トビリシの安宿



コーカサス旅行記

~ロマンチック病~

金曜日になり僕はカザフスタンビザを受け取った。申請したときと同じようにタクシーでカザフスタン大使館に行き、呼び鈴を押すと、同じように綺麗な女性は出迎えてくれ、いとも簡単にカザフスタンビザを手にすることができた。少しずつ、ビザ地獄の関門は開けていくような気がした。

カザフスタンビザをとった後僕は体調が悪いにもかかわらずフラフラとトビリシの街を歩き回った。それは歩き回りたかったからではなく、単純にカザフスタン大使館から歩いているうちにトビリシの中を迷っていて歩き回らざるを得なかったからだった。

だが、その中でトビリシのソヴィエトっぽさを感じることはできた。グルジアは反ロシアを掲げていて、ロシアっぽさはない旧ソヴィエトの国ではあるが、バザールの賑やかさや古い街並み、そして何よりも何十年間補修されていないであろう社会主義特有の無機質な住宅地は完全にソヴィエトの雰囲気を残しており、ウクライナよりもさらに社会主義の面影は残っているように見えた。

それに前後して、僕はロマンチックホステルの埃っぽさに耐え切れず宿を移動した。ロマンチックホステルの負のオーラは好ましいものではあったが、体力はついていかなかった。周りの日本人や沈没しているイラン人・トルコ人は普通にすごしているが、なぜか僕は埃っぽい宿の中でアレルギーを引き起こし、全身のかゆみと鼻水と咳が止まらなくなった。

はじめは単なる体調不良だとおもいそのまま放置して適当に日々をすごしていたが、1週間が経過してようやく宿に原因があることに気がついた。

グルジアの首都トビリシにはホステルジョージアとその姉妹店であるロマンチックホステルの二つが安宿として日本人に知られているが、スリープインホステルという宿もまた10ラリという安さでドミトリーに泊まれた。僕はホステル.comというサイトでこの宿を見つけ行ってみることにした。

止まる気配のない全身のかゆみと咳と鼻水の中、僕はソフィアに出ることを告げた。彼女は系列店であるホステルジョージアに行けばいいといい、風邪薬をくれたが、僕はホステルジョージアの夜のうるささにも耐えれそうになかった。

グーグルマップで見た感じでは、歩いて15分ほどのところにスリープインホステルはあった。バックパックを背負いホリデーインのあるメインどおりを南に歩いた。重いバックパックを担ぐことで咳はさらに止まらなくなったが、とりあえず地図どおりの場所、地下鉄駅の近くにスリープインホステルはあった。

スリープインホステルはロマンチックホステルやホステルジョージアに比べてクオリティーが高かった。シャワーにヘッドがついている。埃っぽくはない。ベッドはしっかりしている。何よりも泊まりにきている客はどちらかといえば沈没ではなく旅行をしにきている所謂「まともな」人たちであった。そのため夜12時には完全に静かになりゆっくりと眠ることができる。

埃のアレルギーなのか、夜中までうるさいあのホステルのせいなのか、単に自分自身の意志の弱さなのか、ワインが飲み放題だからなのか、いずれにしてもホステルロマンチックでの日々は人生ベストスリーに入るくらいの睡眠不足となっていた。

その睡眠不足を一気に解消するかのように、僕は病気なのではないかと思われるほどに眠っていた。疲れはある程度取れてはいたが、まだ鼻水と咳が止まらない。だが、ロマンチックホステルから移動したことでやがて直るだろうと妙な安堵感はあった。

次はアゼルバイジャンビザ。すでにレコメンデーションレターは持っている。だが、先週と同じように、また世界の常識といわんばかりに、土日は大使館は休みである。また2日間トビリシに滞在しなければならない。

何もすることがない日々はまだ続く。

僕はただ眠っていた。年齢とともになくしていく体力の低下と、襲ってくる睡眠に逆らえずに、ただただ眠っていた。

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