アララット山inエレバン



コーカサス旅行記

~ノアの箱舟~

リダの家はホステルとは違い、普通に家族が住んでいた。おばあちゃんであるリダ、娘と思われるお母さん、お父さん、孫と思われる若い女性、そして2人の子供。ごく普通のアルメニアの家庭に日本人が何人も行き来し、そしてキッチンを共同で使う光景はどこかシュールだった。

僕はこの所謂日本人宿で日本人に囲まれながらすごした。夜は自炊をした。グルジアから一緒の若者はいつのまにかリダの家のシェフとなり、毎日毎日食事を作ってくれた。

僕らは常に夜は自炊をして、日本食やパスタなどを食べた。誰かが醤油を持っていたために、日本の味を味わうことができた。

この宿では、トビリシとは反対に、若者が多かった。大学生、フリーター、大学を卒業後すぐに旅に出た人、などなど環境は違っても21~24歳くらいの若者たちはそれぞれエネルギーにあふれ、また明るい未来にあふれていた。

彼らとは昼一緒に行動することは少なかったが、一度だけ6人ほどの大人数で出かけた。ホルヴィラップという場所には由諸正しい教会があり、そこから見えるアララット山は綺麗だと旅行人に書いてあった。

アララット山は僕がいつか見てみたいと何年も前から思っていた場所の一つだった。山に登るほどアクティブではない自分にとって、ヒマラヤ、アンデス、アルプスなど 世界的に有名な山脈はミーハー的に見てみたいと思っていたし、事実今回と前回の長期旅行の中ですべて見ることができたものの、それ以外の所謂一つの山には大して興味がなかった。

だが、アララット山だけは違っていた。アララット山は聖書に出てくる「ノアの箱舟」の舞台、神様が人間を滅ぼすために大洪水を起こす前に、ある種の人々だけは助けようとしてノアの箱舟に乗せてアララット山に登らせたという伝説が残っている山である。

伝説が残るほどに、アララット山はヨーロッパ・中東の歴史におけるもっとも古くから神聖視されていた場所であり、それは西洋の宗教が好きな僕にとっては憧れの場所であった。アララット山は現在のトルコ領にあり、僕はトルコからイランに入るときに見るものと思っていたが、アルメニアでも見れるということを最近になって知った。

エレバン中央駅の裏からホルヴィラップ行きのマルシュルートカは出ていた。6人の日本人は蒸し暑い社内で思い思いに席に座り、1時間ほどかけてホルヴィラップへ向かった。

そこは何もない場所だった。周りには緑が広がり、好ましい景観を作り出していた。太陽は照り歩いていると汗が噴出す。そんな中、アララット山が見える教会へ何もない道をひたすら歩いていった。

10分ほどでアララット山が見えた。あのノアの箱舟の伝説を髣髴させるように、高い高い二つの峰が聳え立っていた。雲に隠れててよく見えないとも思えたが、逆に雲の上に頂上が見えるその姿は、僕にノアの箱舟の伝説をイメージさせた。

もはや教会はどうでもよかった。教会の近くにある丘からみえるアララット山をずっと見ていた。気温は高く、相当暑かったが風は心地よかった。僕は若者たちと時折話しをしながら、アララット山をじっと見つめていた。

アララット山

次の日に僕は何故か早起きをした。宿にいる日本人宿泊客たちはみんな寝ていた。僕は久しぶりに一人を満喫し、一人でエチミアジンに行こうと考え、キリキアバスターミナル行きのマルシュルートカを探した。だが、その途中にくっきりとアララット山が見えた。

僕は急遽エチミアジンに行くのをやめてカスカードに向かった。エレバン市内にある展望台。ここから見えるエレバンの景色と大小のアララットの光景は素晴らしいと何かに書いてあった。ソヴィエト的な暗くじめじめした地下鉄の駅で100ドラムでトークンを買い地下鉄に乗った。地図を見た感じでは3つか4つほどの駅で降りればカスカードは近いと思われた。

駅の名前もわからなかったが、人に道を聞きながらカスカードにたどり着いた。なんだかよくわからないモニュメントが無数においてある大きな階段を登り、そしてさらに工事中の階段を登ると展望台にたどり着いた。エレバン市内が一望できて、その奥にはアララット山がそびえている。残念なことにこの日も雲がかかっていた。僕は雲のかかっていないアララットも見たくて、しばらく展望台で待っていたが、雲が晴れることはなかった。

アララット山

そのまま母なるアルメニア像と呼ばれるソヴィエト時代のモニュメントを見に行った。トビリシにも会ったこの女性像は祖国を母に見立てるソヴィエト政府の方針があったと旅行人に書いてあった。僕はこの像がある公園内を一人でふらふらとしていた。

一通り見終わった後僕はリダの家に帰り、またいつものように日本人と一緒にご飯を食べて飲んだ。

僕は毎日彼らと一緒に夕食を食べ、そしてアルメニア産のワインやコニャックを飲んだ。グルジアにいたときから数えて数週間、毎日毎日ワインを飲み続けている。僕は旅に出る前、そんなに頻繁にアルコールを飲むことはしていなかったが、この旅を始めてからワインやビールの美味しさを知り、いつの間にか酒に強くなっている感覚すら芽生えていた。

若い人たちは皆グルジアに向かった。トビリシから一緒の彼とは数えてみると25日間一緒にいたことになる。25日間一緒にいたのに一緒に行動したのは1回だけ。それどころかほかの人とも昼一緒に行動したことはほとんどなかった。ただただ夜集まって話し込むだけ。そんな青春のような日々もたまになら悪くないな、などと考えながらリダの家においてあった遠藤周作のディープリバーを読んだ。

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