アゼルバイジャンカウチサーフィン



コーカサス旅行記

~石油バブル~

アルメニアとアゼルバイジャンは、ナゴルノカラバフという領土問題を火種に戦争になり、現在に至るまで国境は開かれていない。そのためアルメニアからアゼルバイジャンに行くためには必ずグルジアを経由しなければならない。

グルジアに戻りロマンチックホステルで一泊した後、僕は列車でアゼルバイジャンの首都、バクーに向かった。夕方16時半の列車に乗り、アルメニアに行ったときと同様に、快適な夜行列車で揺られているうちにバクーにたどり着いた。同じコンパートメントだったアゼルバイジャン人夫婦にはパンや水を分けてもらい、片言のロシア語で話をしたりした。アゼルバイジャンに対しての印象はよくなった。

アルメニアのビザを持っていると入国審査のときに賄賂を要求されたり、荷物検査が面倒くさくなるという話も聞いていたが、一切そういったことはなく、極めてスムーズにバクーにたどり着いた。

バクー中央駅からNizami駅へと向かった。アゼルバイジャンは旧ソヴィエト連邦の構成国ではあるが、一切ソヴィエト的雰囲気は感じなかった。中東の国のように男性が多く、イスラム国独特の何かが焦げたような匂いがした。トルコとは雰囲気が違う。シリアやヨルダンやエジプトのようなアラビアの国々とも雰囲気が違う。むしろイランのようなペルシア的雰囲気を感じた。昔行ったイランを思い出した。どこか懐かしかった。

元々トルコからコーカサスの国をとおり、イランへ、そこから中央アジアの国を目指す予定だった。イランと言うイスラムの大国家をもう一度見たかった。だが、少なくとも今は、イランには呼ばれていなかった。

僕はグルジアやアルメニアと言ったある意味ではヨーロッパと呼ばれる地域に長く滞在していた。この旅を思い返してみると、キリスト教国がほとんどだった。そういう風に、何かに呼ばれたのかもしれない。イスラム教国は実際エジプトとトルコだけだった。そういう意味でこのアゼルバイジャンと言う隠れたイスラム国は僕にとって貴重であり、またどこか懐かしささえ覚えた。

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僕は久しぶりにカウチサーフィンを使って現地人の家にとまることにした。アジアでカウチサーフィンを使うことはないかと思っていたが、使わざるを得ない状況であることも事実だった。

アジアの物価はヨーロッパに比べて安いというのはバックパッカーの中では常識であり、長かったヨーロッパが終わって物価と言う意味ではようやく安心できるところに来たと思っていた。実際、トルコも(イスタンブール以外は)グルジアもアルメニアも物価は安かった。自分の中で相当の贅沢をしているつもりでも、一日あたりに使っている金額は1000円ほどだった。

だが、アゼルバイジャンだけは違っていた。グルジアでもアルメニアでも、アゼルバイジャンの物価の高さに辟易したという話は嫌と言うほど聞いていた。アゼルバイジャンはカスピ海の石油採掘により、資本が集まり、急速に経済発展した国であることは昔からなぜか知っていた。ネットで宿を調べてみても、ヨーロッパ並み、むしろイギリスやフランスより高いのではないかと思うような値段だった。

もうお金もつきかけている状態でヨーロッパと同じような値段の宿に泊まるわけには行かない、そのために滞在日数も一泊二日にした。もしカウチが見つからなければ1泊のみヨーロッパ並みの値段のドミトリーにとまろうと考えていた。

ジャラルというおじさんは、僕をカウチサーファーとして受け入れてくれた。このカウチサーファー、ホストという感覚自体は久しぶりだった。

Nizami駅で待ち合わせの約束をしていたが、約束の仕方が微妙に曖昧だったため、僕は一度電話をするためにWIFIが通る場所を探して歩いた。WIFIはあたりに見当たらず、結局あたりの人から電話を借りて彼に電話をした。

彼はすでに駅に来ていた。僕は駅に戻り、彼と握手をして家に向かった。

彼の家は工事中だったが、広かった。彼は両親の遺産である家を3件ほど持っていて、それを人に貸すことで不労所得を得ているようだった。家には三菱製のエアコンがついていて、広い家が冷たく、快適な温度に保たれていた。このエアコンはアルメニアやグルジアとは違う、アゼルバイジャンの経済発展を象徴しているようにも思えた。

ベランダからバクーのあの石油バブルに潤った、突発的経済発展の象徴とも呼べるビル郡が見えた。彼と一緒にタバコを吸いながら世間話をして、僕はしばらくこの石油バブルの象徴を見ていた。

彼の家で昼食をとった後、バスに乗って旧市街へと出かけた。バクーも当然のようにアルメニアやグルジアと同じように夏が来ていた。温度計は40度と表示されていた。物価が高いのでミネラルウォーターも買えないかと思われたが、意外にもミネラルウォーターやケバブなどはそこまで高くはなかったため、安心して買うことができた。

バクーは思ったとおり経済発展がすさまじく、あちこちで高層ビルが建てられていた。カスピ海湾岸はもはやヨーロッパ、それも西欧と見間違えるくらいに近代的な建築が立ち並んでいる。イスラムの国であるにもかかわらず、また旧ソヴィエト連邦であるにも関わらず、その雰囲気はこのカスピ海沿岸に限っては一切なかった。ドバイやアメリカのゴージャスな雰囲気以外何も感じられなかった。

だが、人々はどちらかと言うとトルコに近かった。グルジアのようにさめている感じはなく、むしろ親切だった。旅人を助けてくれる人も何人かいた。またグルジアやアルメニアに比べて遜色ないくらい、アゼルバイジャンの女性も綺麗だった。

しばらく歩くと、カスピ海が見えた。ようやく来たカスピ海。この海の向こうには中央アジアが待っている。ようやく、中東からアジアへ。

そんなロマンチックさに浸りながらも実際は船で進むわけではなく飛行機で一度イスタンブールまで戻り、そして中国よりのアルマトイまで飛んでしまうという現実を考えながら、「旅人よ計画通りに行かないことがたくさんある」というブルーハーツの曲の一節を思い出した。



僕はアゼルバイジャン人と一緒に遊ぼうとカウチサーフィンで会う約束をしていたが、タイミングが合わずに結局会わずに終わった。頑張れば会えたのかもしれないが、現地人との出会いに対しての執着心はヨーロッパに比べて薄くなっていた。

アジアの旅が始まり、いつの間にか人との出会いを大切にする「愛」よりも(物理的よりもむしろ精神的な)一人旅を大切にする「無」に変わっていた。

人との出会いにしても別れにしても、ルーティングにしても、期待は常に裏切られている。旅が計画通りに行ったことなど一度もない。

だからこそ旅は面白い。

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