カザフスタンでカウチサーフィン



中央アジア旅行記

~地獄から天国へ~

バクーからイスタンブールを経由してアルマトイに入ったときはすでに朝方になっていた。僕はまったく眠れないまま、飛行機は中央アジアの国・カザフスタンに着陸した。

カザフスタンに限らず、中央アジアはレギストラーツィアと呼ばれる滞在登録が必要な国だということはグルジアで嫌と言うほど聞いていた。旧ソヴィエト連邦の名残が残っていて、入国および出国において様々な手続きをしなければならない。

カザフスタンにおいては入国のイミグレの際にレギストラーツィアの紙をもらいその紙にスタンプが2個押されていない場合、オーヴィルと呼ばれる事務所に5日以内に行き、手続きをしなければ出国審査のときに罰金300ドルほどとられるという話だった。ただそれは陸路国境だけと言う噂もあり、僕はイミグレでスタンプを2個押されたのを確認して入国審査官に何度も「オーヴィルに引く必要はないか?」と確認を取った。やはり噂どおり、それは陸路国境のみらしい。

空港から外に出ると無数のタクシーの客引きが現れた。彼らはほとんどが自分と同じ種類の顔、モンゴロイドの顔であった。僕はこのアジアの顔に懐かしさ、安心感さえ覚えた。

アジアとは一般的に日本からトルコまでの広大な地域のことをさすが、インドやバングラデシュを境に人の顔はがらりと変わる。東のモンゴロイド、所謂自分と同じ種類の顔から西のアラブ系の顔へ。

これまでラテンアメリカから始まり中東・ヨーロッパ・トルコ・コーカサスと旅をしてきた。当然のようにモンゴロイドの現地人はいなかった。これまで自分と同じ種類の顔の現地人がいないという事実は僕に異国であることを強調させ、同時に寂しさも強調させてきた。

ここは中央アジアの国カザフスタン。僕はようやく「アジア」にはいったのだ。もうすぐだ。モンゴロイドの国、極東の国。僕の生まれた国はもう近くなのだ。

自分がアジアに入った興奮を抑えきれないままに僕は両替をしてバス乗り場へ向かった。カタコトのロシア語を話しアルマトイⅡ駅へ行くバスの場所を通行人に聞き、そのままバスに乗り込んだ。今まで見たこともなければ聞いたこともない完全に未知の世界である旧ソヴィエト連邦の構成国であるカザフスタンに来たという実感は徐々にわいてきた。

バスターミナルから10分ほど歩きアルマトイⅡ駅に向かった。アルマトイは広かった。炎天下の中重い荷物を持ちながら、道端の警察の賄賂要求が来た場合の対処法などを考えながら、僕は常に緊張していた。興奮しているときは多少疲れていてもエネルギーが沸いてくるが、その分あるとき疲れは一瞬にして波のように襲ってくる。

アルマトイⅡ駅に到着したとき疲れは頂点に達した。カザフスタンでもカウチサーフィンのホストはすでに見つけていたが、旅行人に書いてある「アルマトイⅡ駅2階の宿泊所」に一泊だけしようと考えた。この疲れで人と話すほどのエネルギーは残されていなかった。

2階の宿泊所を見つけ中に入った。中には数人の、モンゴロイドの、おばさんたちがいた。彼女らは一切の英語ができなかった。僕は電卓を使って値段を聞き、ドミトリーの部屋を見せてもらってからカタコトのロシア語で「一泊は大丈夫か」とたずねた。

だが、値段は僕が想像していた以上に高かった。2500テンゲ。カザフスタンのテンゲという通貨は1.5倍すると日本円と同じ価値になるとネットに書いてあった。ということは大体1700円~1800円くらいはする。この値段は、ドミトリーにおいてはヨーロッパも含めて今までの旅の中で最高値だった。こんな高い宿に泊まることはできない。

疲れは最高潮に達していた。一泊したいがお金はない。さてどうするかと考える余裕もなく僕は座りながらぼーっとしていた。さてどうするか、泊まるか、泊まらないか、「アジアは物価が安い」という大前提を崩すこの国に若干の苛立ちすら覚えながらカウチサーフィンのホストに連絡しようと思い、駅のWIFIをつなげようとした。

だが、一切WIFIはつながらなかった。駅に大きく「WIFI」と書いてあるにもかかわらずつながらないというこの適当さ、さらに一切、本当に一切英語を話さない、話そうともしないカザフスタンの人々、はさらに僕を疲れさせた。

駅に荷物を預けてネットカフェに向かった。僕はこの暑さ、英語の通じなさ、眠っていない疲れ、という地獄のような状態に陥っているような感覚になった。駅から見える山だけは綺麗だった。

ネットカフェでフェイスブックにつなげてホストにアルマトイについたとメッセージを送った。すると彼は「Unfortunately, I can't host you because my father don't like it anymore」というようなことを言った。

このようなことは今まで何回かあったことでありもはや慣れていた。だが、このタイミングでのこれは相当に痛手だった。地獄度はさらに増した。

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突然カウチサーフィンで一人の女性がメッセージを送ってきた。カーリエという女性の「I can help you」のメッセージに僕はすがるような思いで現状を話し「Can you host me?」と送り、彼女が送ってくれた電話番号をメモした。だが、しばらくして僕はネットカフェから出なければならなかった。

それはウズベキスタンビザを取るというカザフスタンにおいてもっとも重要なことをやらなければならなかったからだった。午後3時から大使館は開くと旅行人に書いてあった。僕はまるでヨーロッパにいるかのようにタクシーを代をけちるために歩こうと思っていた。気がついたら1時半ごろになっていた。歩くのならばある程度時間に余裕を持ったほうがいい。

ネットカフェでビザのアプリケーションフォームをプリントアウトし、地図を頼りにウズベキスタン大使館に向かった。アルマトイは広かった。碁盤の目のようにわかりやすい大都会であり、なおかつ木々が整備され、まるで大きな公園にいるような気分になった。どこか表参道に似ているななどと日本を思い出しながら炎天下の中歩いた。

道端で英語のできる大学生に道を聞くと、彼はウズベキスタン大使館の近くのパンフィロフ公園に連れて行ってくれた。僕は彼に携帯を貸してほしいとお願いし、彼の携帯からカーリエに電話をした。だが、彼女は電話に出なかった。後でメールしようと思い気にせずウズベキスタン大使館に到着した。

ウズベキスタン大使館に行くとそれなりの人だかりができていた。どこの国の人なのかまったくわからなかったが、皆ビザを取ろうとしているのだけはなんとなくわかった。

護衛の警察官に呼ばれパスポートを渡し、名前を書く。そしてそのまま待てといわれた。ロシア語だったので実際に何を言っているかまったくわからなかったが、おそらくそういっているような気がした。

椅子に座ってぼーっとしたり、ぶらぶらと外の待合室を歩いたり、とにかく暇をもてあそびながら、とにかく待った。気がついたら1時間が経過していた。「どれだけ待たせるんだこの大使館は」と思いながら座った。今まで手続きをしてから受け取りまで数日間待たされたことはあったが、手続きをするまでにこんなに待たされたことはなかった。だが、もはやそんな苛立ちを覚えることすら疲れると思い、何も考えずにただただ座っていた。

すると一人の女性が現れた。「彼女はあなたは日本人ですか?」と英語で尋ね「私がさっきカウチサーフィンで話していたカーリエです。」と言った。

なぜ?ここにこれたのだろう?と疑問に思い、彼女に尋ねると彼女はさっきこちらが電話した電話番号に折り返しかけ、あの大学生は僕がウズベキスタン大使館にいるだろうと彼女に言ったようだった。

彼女は自分の家には泊まれないけれど、実家に泊めることはできる。好きなだけアルマトイにいたらいいといってくれた。

僕はカザフスタンと言うまったく未知の国に来ても今までと同じようにホストのホスピタリティーに対して感謝し、そして一気にカザフスタンが好きになった。

彼女と話しているうちにビザの申請の時間が来た。門番に中に通され受付係のところに言って観光ビザを取得したいと告げた。結局2時間ほど待たされたにもかかわらず、ビザの申請はアプリケーションフォームとパスポートのコピーを手渡し、受け取りは1週間後と言われるだけで終わった。3分もかからなかった。

彼女の車で僕は荷物を取りに駅に向かい、そのまま彼女の実家に向かった。車で20分ほど走った。アルマトイは発展している。物価ももちろんだが、大きなビルやモールがいくつもあり、まるでアメリカやヨーロッパの大都市を思わせた。ここは有数の石油産出国だと何かで読んだのを思い出し、合点がいった。

彼女の家にたどり着き、家族に挨拶をしてお茶を飲み乳製品を食べた。お茶は日本のようにお茶碗で飲んだ。どこか中国的な、日本的な、感じがした。ここは完全にアジアであった。カザフスタンは遊牧民族の国であり、ソヴィエトや帝政ロシアに支配される前はトルコ系遊牧民の国であり、歴史的に中国の影響も強い、と彼女は教えてくれた。

日本語も英語も通じない旧ソヴィエト連邦の未知に国カザフスタンで、僕はモンゴロイドの家庭でお茶を飲み、中国のような文化を目の当たりにしてここはアジアの国であると確信し、どこか日本を思わせる感覚を覚えた。それは日本に帰りたいと思わせるには十分だった。

彼女は家に帰り、ほとんど英語の話せない弟のアルマスは僕をサウナに連れて行ってくれ、汗をかいてすっきりしたあとにレストランへ行った。現在カザフスタンも含めたイスラム国においてはラマダンであり、彼もラマダンのため日が出ているうちは飲むことも食べることもできない。その分日が落ちた後は一気に飲み食いをする。

彼はすべておごってくれた。僕は一切のお金を払うことなくサウナで汗をかき、美味しいご飯を食べた。一緒にいるとき、あまり共通言語はなかったが、彼との会話は楽しかった。彼は日本が好きだった。「サムライサムライ」や「トヨタトヨタ」と言って笑った。こんな未知の国ですら日本のことが大きく知られているということは驚きだった。

カザフスタン初日は前半のありえないほどの地獄から一気にありえないほどの天国へと変わった。

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