カザフスタンアルマトイの寿司屋



中央アジア旅行記

~寿司屋~

アルジャパールとはカウチサーフィンで知り合った。僕はすでにカーリエの家にお世話になっていたが、できるだけ多くの人とかかわりたいと思っていたため、彼と会うことにした。

カーリエはアルジャパールと連絡を取り、僕を来るまで連れて行ってくれた。レストランのようなところに角刈りで眼鏡をかけたまじめそうな男がいた。彼がアルジャパールだった。

彼は僕に握手をしてきて、日本が好きだと言った。あまり多くを語るタイプではなく、物静かな人間だった。だが、皮肉がすきそうな彼は僕がアルジャパールという名前を中々覚えられないとき、「俺の名前はAでいい。そしてお前の名前もトウキョウでいい」といってシニカルに笑った。

僕は彼とその友達と一緒にカザフスタン料理を食べに行った。話を聞いていると、彼らはどちらも経営者だった。アルジャパールはアルマトイで寿司のデリバリー事業を起こしたばかりで、友達は不動産会社を経営していた。どちらも親から受け継いだのではなかった。

また、彼らは日本の製品が好きなタイプの人間であった。トヨタのレクサスに乗り、SONYや東芝の製品がほしいといった。一緒に車に乗っているときは常にトヨタトヨタ、サムライサムライといっていた。日本となじみの無いカザフスタンと言う国にも日本の車や家電製品、所謂伝統的日本企業は進出していた。

彼らは実にいい人間だった。当たり前のように食事をおごってくれ、僕が払おうとすると「ゲストにお金を払わせるなんて恥ずかしいことをしたら俺は切腹しなければならない」と冗談交じりの英語で言った。彼らのホスピタリティーもまた、本物だった。



「明日から寿司デリバリー60%オフのキャンペーンで忙しくなるから手伝わないか?もちろん給料も払うから。」と彼は唐突に言った。僕は特段お金がほしかったわけではないが、海外で働いてみたかった。それは、深夜特急の中で「私」がトルコかイランかアフガニスタンかは忘れたが、客引きをする代わりに宿代を安くしてもらう構図に似ていた。

僕は「1テンゲ以上払ってくれればそれでいい」と言った。すでに僕はカーリエの家に、厳密に言えば隣の家の地下に、住まわせてもらっているため、宿代は一切かかっていなかった。「すでにカザフスタン人の家に無料で泊めてもらっている。人は違うが、カザフスタン人に対してそのお返しをしてみたい。どうせウズベキスタンビザを取得するまで暇なのだ。」

僕はこの寿司屋を手伝ってみることにした。

だが、僕は大してやる気も無かった。自分からやると言ったが実際行って見ると何もやることは無かった。寿司デリバリーの事務所の中に座ってぼーっとしているだけだった。また、アルジャパールも彼の共同経営者もものすごい勢いで働いていた。このキャンペーンが事業の鍵を握るとだけあって、彼らの表情は真剣そのものだった。

その中でも彼らはこの日本人に笑顔で接してくれた。自分達がやっている事業、寿司の起源である日本という国から来た日本人を「客」としてもてなしてくれた。僕は彼らの心意気を買い、多少高かったが彼らの店の寿司を注文し、昼間からビールを飲んだ。そしてそのまま眠った。

眠りから覚めて暇になった。僕は完全にやることをなくしたため、事務所の中にあったチラシを見ていた。どれもそこそこいい値段がする。そもそも寿司は世界中すべての国で日本よりも高くつく。日本製品を輸入しなければならないからしょうがないのだが、この値段のために多くの貧乏旅行者は敬遠しているのだろうとも思えた。

「チラシを配るか?日本でも広告のティッシュ配りのバイトはよくある。新宿や渋谷に行けば嫌と言うほどティッシュを配っている。これなら自分にもできるな。むしろ日本人が配っていたら面白だろう。」

僕は彼らに言ってチラシを配ることにした。SAKURAEXPRESSと書かれたチラシはしっかりと印刷されていて、こまかく寿司の値段、飲み物の値段が書かれていた。

チラシを何十枚か持って外に出た。とりあえず来た人来た人に「スパシーバ」といいながらチラシを手渡した。皆、不思議そうに外国人なのかカザフスタン人なのかわからない男からのチラシを受け取った。僕は少し驚いた。東京だったらチラシを受け取る人などほとんどいない。皆忙しそうに足早に歩き、人に興味も示さない。それに比べてアルマトイではほぼすべての人がチラシを受け取り、受け取らない人「いらない」とはっきりと言う。この違いは明確だった。

僕は段々と楽しくなってきた。チラシを皆が受け取ってくれるためやりがいもあった。一度事務所に戻ってチラシを取りにいったりすらもした。



数日間、僕はそんなにやる気を見せるわけでもなく、1日1時間程度事務所に赴き、チラシを配った。

アルジャパールは「スパシーバではなくありがとうと言え。そのほうがインパクトが強い。」と言った。僕は「ありがとうって言葉をカザフスタン人が知らないじゃないか」といったが、彼はシュールな含み笑いをしながら「それが面白いんじゃないか。」と言った。

それから僕は日本語で「ありがとう」といいながらチラシを配った。チラシを配るのはなんだか楽しかった。人がチラシを受け取ってそれを見て電話をする。そして物が売れる。何年も前にマーケティング会社で働いていたことを思い出した。

今後自分が海外で日本語教師をやる場合、学校に所属するならまだしも、自分個人で日本語を教えるのなら僕はこうやってチラシを作ったり、Web広告をうったりと考えていかなければならない。その未来を考えるのは楽しかった。今はアルバイトとして、むしろボランティアとして人のためにやっているが、個人の事業としてやるのは、すべてが自分に跳ね返ってくる。そんな未来すら考え始めた。

日本語教師に限る必要すらないと思えた。なんでもいい、海外で活動するためのビジネスモデルなんかも考え始めた。チラシを配りながら、僕は常に自分の未来、個人で活動している自分を妄想していた。

出発の前日、僕はウズベキスタンビザを受け取り、また彼らの店に行き、「今日が最後だ」と言った。このキャンペーンがうまくいっているためか、彼らは忙しそうだった。僕は慣れたように、そして大してやる気も無いまま、チラシを配り始めた。

チラシ配りも終わり、アルジャパールとご飯を食べに行った。彼は「事業がある程度軌道に乗るまではずっと働きっぱなしだ」といった。僕は彼の日本好きに加え、事業に対して真剣になっているところに惹かれた。彼はいつか日本に行って日本のビジネスを見てみたいというようなことを言った。僕は「いつでも日本に来い。良くも悪くも面白いだろう」と彼に言った。

彼は最後に4200テンゲ(約3000円)をくれた。大体時給900円~1000円くらいだった。以前アルジャパールが言ったカザフスタンの給料に換算すれば相当いい給料になる。それは彼が僕が旅をしていることに対してのご祝儀も含まれていた。僕は「こんなにもらっていいのか?」と何度か聞いた。彼は「何の問題も無い」と疲れた表情で言った。

彼が家に送ってくれてくれるまでの間、彼は「ギンザ・キミガヨ・シブヤ」などと言って笑った。このシュールで真面目な人間も、本当に日本が好きな人間の一人だった。家に到着してから彼は一言「Good luck!」というメッセージを送ってくれていた。

・・翌日、僕はカーリエにサイランバスターミナルまで送ってもらい、キルギスの国境までのマルシュルートカに乗った。カザフスタンという未知の国は予想に反して楽しいことばかりだった。

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