キルギス/ナリン旅行記



中央アジア旅行記

~旅の常~

チョルポンアタから首都ビシュケクにたどり着き、僕は迷った挙句ウズベキスタン国境の街オシュではなく、ナリンと言う中国領新疆ウイグル自治区の国境の街へ向かった。色々な思いは交錯していた。

ビシュケクからナリンへの道は、これこそまさに中央アジアと呼ぶにふさわしい光景だった。広大な敷地に羊や馬が放牧されている光景や、険しい山の中を砂埃の中ひたすら進んでいく乗り合いワゴンは僕に旅をしているという実感を与えた。

道の途中で車を降ろされ、「あっちだあっち」だとドライバーや他の乗客は言った。このロシア語とキルギス語しか通じない国で一人車を降ろされあたりには誰もいない状態。昔だったら怖かったのだろうが、今はそんな恐怖と言う感情は消え、ただ真っ直ぐ進もうという思いしかなかった。乗り合いタクシーに乗り、バグザールとだけ言った。僕が持っている電卓にありえないほどの高値を示すドライバーと交渉しながら、何台もタクシーは過ぎていった。

なんとか四苦八苦しながらバグザールにたどり着いた。近くにCBTと呼ばれるツーリストインフォメーションがあると旅行人に書いてあったのでここで宿のことや、カシュガル行きのバスのことを相談した。英語が通じるというのは僕にとって相当ありがたいものだった。

だが、このCBTはどうやら本当の観光客向けのものらしく、宿にしてもバスにしても相当の高値を言ってきた。相談に乗っているようでただ観光客からお金をふんだくっているようにしか見えなかった。こういった田舎においてツーリスト、特に欧米人が集まるような場所は大体物価が高い。今までの経験からそれは熟知していた。

結局僕は自力で宿を確保し、そしてゆっくりとカシュガル行きのバスを探した。だが、旅行人を見ても、誰からもらったかすら覚えていない地球の歩き方のPDFデータを見ても、そして旅行代理店に聞いても、カシュガルへ行くには中国のパーミッションが必要だということだった。

パーミッションの値段はいくらか?と旅行代理店に聞いた。オーナーらしき男性は流暢な英語で「420ドルの車をシェアするといった」ということは、例え4人でシェアしたとしても一人100ドル以上はかかる・・・

「なん・・・だ・・と」

ここにきてまさかの情報不足。僕は情報を確かめないまま、ただ地図上で近いという理由だけでカシュガルへ向かおうとしていた。だがトゥルガルト峠という中国領新疆ウイグル自治区とキルギスの国境は開いていなかった。もちろん多額のお金を支払えば開いているのだが、このお金を使い果たしそうな貧乏旅行者にとって開いていないも同然であった。

何のためにナリンという街まで来たのだろう?予定ではウズベキスタンに行くのをやめてナリンでゆっくりとして、そしてカシュガルからのウルムチだった。僕はウズベキスタンをやめたことでのんびりと日程に余裕を持って旅ができると思っていた。その思いは見事なまでに崩れた。

カシュガルに抜けることができない場合、アルマトイからウルムチに行く以外に方法はない。アルマトイに戻るのか・・来た道を戻るというのは絶対にしたくないことではあったがどうしようもない。

また、ナリンからは中央アジアの広大な景勝地があると聞いていたがそこに行くにもどうやらタクシーをシェアしなければならず、そして人数は集まらなかった。本当に何しにここにきたのか。まったくもって疑問しかわかなかった。

イスタンブールから日本まで、地図上では一直線のユーラシア大陸横断ルートは、イランビザによりその思いをすっぱりと断たれ、なおかつここに来てカシュガルの国境のパーミッションで振り出しに戻らざるを得ないという完全完璧にぐちゃぐちゃなルートへと変化した。

僕は自分の運の悪さを嘆いた。このキルギスの何もない田舎町の不便さにストレスがたまってきていた。なぜこんなに運が悪いのか?大切なところではいつも体調を壊したり、天気が悪かったりする。パソコンは強盗に取られ、2代目は壊れてばかりいる。2代目のバックパックは最悪だった。携帯をとられ目覚まし時計を買ったがすぐに壊れた。日本で買った製品は品質がよかったがすべて強盗に取られ、2代目はどれも品質は最悪でぼろぼろになっていた。パソコンのケースをなくし、変換プラグをなくし、大切なTシャツを人の家に忘れ、カーディガンもなくした。これまでどれだけのものをなくしてきたかわからない。

いつもいつも失敗ばかりしている。自分のおっちょこちょいな性格、情報不足、不慮の事故、そして天気。思い返してみると自分自身の旅は観光と言う意味では最悪だったのかもしれない。そう考えていると何かのせいにしたくなったり自分を責めてしまったりする。そしてその自分が嫌になる。その負のスパイラルは2日間にわたって続いた。その中で旅と言うものを考えた。終盤になり自分にとっての旅とはなんだったのかを考え出した。

僕は何のために旅をしているのか?もしくは旅をしてきたのか?考えるととまらなくなる。

観光旅行を楽しむという意味ではこの旅は最悪だっただろう。僕は走馬灯のように過去を振り返ってみた。

スペインではマドリッドでダラダラしているときは天気がよく、トレドとセゴビアに観光に行った日だけ雨が降った。
チョルポンアタでは異常気象で雨が降った。
アルマトイではメデウという山が綺麗に見える場所に行ったときのみ雨が降った。
カッパドキアもツアーのときだけ雨が降った。
ケルン大聖堂を見に行ったときも雨が降っていた。
リヴィウも初日以外天気が悪かった。
ロンドンにいたっては毎日天気が悪かった。
ニースからモナコにいったときも、その日だけ雨が降った。
イタリアからフランスに行く列車の海岸沿いも雨が降った。
ヴェルサイユ宮殿も雨が降ってなおかつ工事中だった。
イグアスの滝では体調を壊した。
一日だけのアイルランドも雨が降って何もできなかった。
一日だけのブダペストも雨が降った。


でも、

ウユニ塩湖の鏡を見れた。
ラパスで最高の景色を見れた。
イグアスの滝では虹を見れた。
エルサレムで輝く岩のドームを見た。
メテオラの奇岩を見ることができた。
ローマやナポリの街並みを思う存分堪能した。
ニースの優雅な街並みと綺麗な海辺を見た。
北アイルランドでは御伽噺のようなヨーロッパ世界を見た。
ポーランドではクリスマスに雪吹雪く幻想的な教会を見た。
ケルン大聖堂は夜になると輝きを増した。
パリで凱旋門とエッフェル塔を心行くまで見た。
雨が降ったセゴビアではその後虹がかかる城を見た。
セヴィーリャではスペインの真髄とも呼べる建物を見た。
グラナダでは最高のコンディションのアルハンブラ宮殿を見た。
マルタではアラブとヨーロッパが混ざる歴史地区を見た。
ルーマニアではチャウシェスクの国民の館を見た。
ベオグラードでは夕日の沈むドナウ川を見た。
イスタンブールの歴史地区を思う存分堪能した。
カッパドキアのギョレメパノラマは快晴だった。
アルメニアのセバン湖も快晴だった。
アルマトイのロシア教会も綺麗だった。
チョルポンアタのイシククル湖は綺麗だった。


いずれも天気はよかった。よくよく考えると観光旅行としてもそんなに最悪とも呼べない。

物をなくしたら買えばいい。次になくさないようにすればいい。品質がよくないなら買い換えればいい。使えるだけ使えばいい。ないものを嘆くよりあるものを喜べ。と自分に言い聞かせた。むしろそんなことを気にしなくなることが旅の成長と呼べるのかもしれない。

旅と言う得体の知れないことをやってきた1年10ヶ月。雨が降ったこともあった。天気がよかったこともあった。何もかもがうまくいかなくてストレスがたまったこともあった。何もかもがあっけなくうまく行き過ぎて爆笑したこともあった。つまらなくて帰りたいと思うこともあった。楽しすぎて帰りたくないと思ったこともあった。最悪なこともあった。最高なこともあった。

旅は決して楽しいことだけではなかった。だが、決して楽しくないことだけではなかった。人生もそんなものだろう。

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ナリンは中央アジア特有の文化が残されている街でありその意味では来てよかったと思えた。人々は都会では見られない中央アジアの人そのものであり、バザールや郊外をあるいていると異国の文化を感じれた。乾いた山に囲まれているこの街で旅行代理店やCBTの一部を除いた人々は外国人とは一切縁のない田舎でのんびりと暮らしているように見えた。

どうやら日本に帰りたいという思いは強くなりすぎていたような気がしてきた。どうせ帰るのだから一つ一つ楽しめばいい。いや、楽しまなくてもいい。ただただ旅の一日一日を生きるだけでいい。

旅とは喜びなのか苦しみなのか。それすらもよくわからなくなってしまっているこの状態で、僕はマントゥと呼ばれる肉まんに似たものやラグマンと呼ばれる焼きそばのようなものを食べて、中華料理に似ているこの国の料理を食べながら日々を過ごした。

旅終盤に来てこの英語が一切通じず、トイレが汚く、シャワーすら浴びるのに英語が話せないスタッフに毎日言いに行かなければならず、なおかつ毎日暑い、という日々となっていた。それは今までのなかで一番ハードであった。

このハードさに少しだけ気分が落ちていたが僕は宿の人間の純粋な笑顔と、言葉が一切通じないにもかかわらずロシア語でベラベラベラベラと話しかけるこのうざったらしさで少しだけ元気になった。

中央アジアの景勝地を目指すか、ウズベキスタンへ行くか、そのままウルムチを目指すか。出発の前日まで決めることはしなかった。ただ旅の一日一日を生きるというだけが目標となっていった。僕はここ最近ずっとやってきた帰国の日を待ち望んで数えるという習慣をやめることにした。

ただただ一日一日生きようと。それだけを考えることにした。

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