ウルムチ旅行記



中国旅行記

~中華人民共和国~

アルマトイからウルムチまでの24時間、僕はずっと体を横にしていた。

中国のバスは世界中のどこのバスよりも快適だった。バスのシートはベッドのような形になっていて、完全に体を横に倒すことができた。

途中のイミグレで、パソコンの中身を見られたりして時間はかかったが、中国の入国審査官が最後に行った「さようなら」という日本語は印象的だった。

色々なことを考えていた。中国はビザなしだと15日までしか滞在できない。その間に安いチケットを見つけることができるのか?飛行機で帰るのか船で帰るのか、上海までは椅子のみの席で行くのか、ベッドの席をとるのか、そもそも上海までの列車のチケットは取れるのか。

「もうすぐ帰国か。」色々な思いが交錯していた。



ウルムチは雨が降っていた。キリル文字ばかりであったキルギス・カザフスタンから突然街の様子は様変わりをし、漢字があふれていた。僕はいよいよ自分の生まれた国が近くなっているのを感じた。同じ漢字文化圏。ここは日本の隣の国、中国。

そんな郷愁に浸っている暇もなかった。僕はまず持っているユーロ現金を両替をしようと思い、銀行を探した。その前にトイレに行きたくなったので人にトイレはどこかと英語で尋ねたが、中国もまた旧ソヴィエト圏と同じように、もしくはそれ以上に、英語ができない人たちばかりだった。

だが、旧ソヴィエトと一つだけ違うことがあった。ここでは「漢字」が通じる。僕はノートに「便所」と書き、その辺の人に見せた。この漢字で意思疎通を取ることができ、僕はトイレに向かった。

トイレは燦々たる状況だった。中国のトイレは汚いとかそういうレベルではない。汚いだけなら今まで何度も見てきた。むしろインドのほうが汚い。だが、中国のトイレは「大」のところまでオープンになっている。これはうわさでは聞いていたが実際に見るとひどいものだった。だが、僕にはそんな余裕すらなかった。

トイレを終えて今度は銀行を探した。ちょっとだけ持っていたカザフスタンの通貨は国境で両替をして、前日の夕食のラグマンへと消えていた。現金のユーロを両替しなければ何もできない。

「両替」と紙に書いて見せるが反応がない。仕方なく「銀行」と書いたら通じ、場所を教えてくれた。だが、銀行でユーロの両替をしようとしてもまったく反応がなかった。まったく英語は通じなかったが銀行員は「中国銀行」と書いた紙を渡してくれた。

僕は中国銀行へ向かったが閉まっていた。折りしもこの日は日曜日だった。ここが閉まっているということは両替ができない。すなわち元という中国の通貨がもてない。どうしようもなくなりできるだけやりたくなかったが、ATMでお金をおろそうとした。すでにクレジットカードはとまっているがもう一つのシティバンクの国際キャッシュカードは、レートが悪いとはいえ、現金を引き出せるというのはビシュケクにて証明されたことである。

その安堵感は絶望感へと変わった。どこの銀行でもシティバンクのカードが使えない。

「なん・・・だ・・・と」

ATMで降ろせない。どういうことなのか?ただ中国でシティバンクが使えないのか?それとも自分の口座のお金が足りなくなっている?いや、そんなことはない。もしそんなことがあれば、、、もう人生が終わる。

大きなことを考えるのはやめにした。とりあえず、現金が両替できない、そしてATMで現金を下ろすことができない。クレジットカードはとまっている。すなわち、詰むということである。

さすがに少しだけ焦りを感じた。最後の最後にきてこれか、さてどうするか?焦りながら重い荷物を背負って歩いた。だが、中国銀行以外の数ある銀行を10件ほどまわったがすべて「無理」というようなことをいわれるだけだった。

僕は気合を入れた。これが最後、今までもいろんな逆境を克服してきた。これくらいなんとも無い。自分自身に言い聞かせながらなんとか解決策を考えた。いつの間にか雨はやんでいた。

まず僕はどこで両替が可能なのかを漢字で書いた。ユーロと言う漢字は知らない。とりあえず「私無元」と書き元を持っていないことを伝え、昔ミリオネアーというテレビ番組のクイズになっていたアメリカの中国語「美国」を使い、ドルを持っているということにして「私欲変化美国金」「場所可能?」と書いた。

この紙をあらゆる銀行で見せた。だが、以外にも助けてくれたのは道端の警察官だった。警察官は英語ができ、「あっちのほうへ行けば両替をしてくれる業者がいる」というようなことを言った。絶望的な状況に追い込まれている僕に警察官は水をくれ、丁寧に教えてくれた。

警察官が言った方向に歩いていくとどこからとも無く闇両替があらわれた。かなりレートは悪かったが交渉しながらなんとか50ユーロ360元で手を打った。肯定レートでは382元なだけに損をしたことに変わりは無いが、両替できただけでもありがたいと思い、まんまと闇両替のビジネスに乗せられた。

次は宿を探さなければならない。僕はビシュケクの宿の宿泊客から宿の情報を得ていた。麦田青年旅舎というところは安い割りにいい宿であると聞かされ、ここに行くことを決めていた。紅山の近くにあると聞いていたためバスで紅山に向かった。だが、バスは一向になかった。道を聞くとみな親切に教えてくれる。中国語をものすごい勢いで話すため何を言っているかわからないが、その親切心は僕の中国のイメージを一掃させた。

日本の、特に最近インターネットで言われている中国のイメージはひどいものだった。正直中国に行くことも怖かった。だが、そんなことはなかった。中国人は皆親切だった。1元のバスに10元払おうとするとお釣りが無いからもう乗れと言うバスの運転手、そして1元をくれたおばさん。この国は決して悪い国ではない。少なくとも中国人民は、皆助け合いながら必死に生きている、そんな感じがした。

なんとか宿にたどり着き、シティバンクに連絡をした。口座には何の問題も無く、ただ中国で使えないだけだった。クレジットカードもお金を銀行口座に入れもうすぐ復旧する。準備は整った。

あとは、日本に帰るチケットを取るだけ。上海から春秋航空というLCCが茨城まで飛んでいる。船で神戸か大阪に帰ることもできる。西安からも割高であるが成田まで出ている。上海までの旅費を考えればそんなに変わらない。

最後の、最後のルーティングの悩みがやってきた。

ネットで調べると時差は日本と一時間となっていた、最初は16時間あった時差も残り1時間。もうすぐだ。

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