ウルムチで日本を思う



中国旅行記

~ウルムチで日本を思う~

どうやって帰国するかは最大の悩みであり、最大の楽しみでもあった。

上海から船で神戸にいくか、春秋航空で茨城に行くかをずっと考えていた。それぞれにお金がかかり、計算に戸惑っていた。また、ウルムチから上海へいくチケットが取れるのかという不安が常に頭の中によぎっていた。ウルムチから上海へいくチケットは取るのが難しく、下手したら無座と呼ばれる席が無い状態で45時間ほど過ごさなければならない。

僕はもはや日本に帰ることが楽しみすぎて日本のことばかり考えるようになってきていた。旅が尻つぼみになっているといえばそれまでだが、この長期旅行においてそもそもアジアはおまけであった。それに、また来ればいい、また来れるという気持ちもあった。

今は、日本に帰ってこの精神的な疲れを癒したい。刺激的な日々から普通の日々へ。非日常が日常になってしまっているバックパッカー生活を一度リセットして、次へ行きたい。

そんな中、西安から成田に飛んでいる安い航空券を見つけた。周りの人に聞くとどうやらウルムチから西安までのチケットはたくさんあり、そんなにチケットを取るのには苦労しないということだった。

僕は多少高くなってもいいと思い西安から成田へ飛ぶ飛行機のチケットを取ることにした。世界一周の定義は人それぞれだが、僕はすでに中国に入ったということで世界一周を成し遂げたと思っていた。それに、世界一周に対して、できれば達成したいとは思っていたが、そこまでの情熱は無かった。僕はこれまで素晴らしい人たちとの素晴らしい経験を幾度となく成し遂げてきており、それに比べればこんなネームバリューはあまり意味のないものだった。

いつも初めに思ったことと結果は変わる。常に自分が思い描いていた理想と現実は違う。それはいい意味であっても悪い意味でも。期待していたことが思っていたことと違っていた。だから別の方法で楽しんだ。それはそれでいい気がした。

あくる日、僕はウルムチから西安までのチケットを取りに代理店のようなところへ向かった。中国当局の検閲の関係で、グーグルマップがうまく機能せず、百度の地図で場所を調べた。だが、その場所は移転しており、結局近くにいた中国人に新しい場所まで連れて行ってもらった。

中国人は英語ができなかったが、優しい笑顔で僕を何のためらいもなく助けてくれた。僕は謝謝と言った。

無事チケットは取れた。ウルムチ~西安。8月8日。そのままスカイスキャナーを使い、西安から成田のチケットを取った。

ついに、ついに日本へ帰るチケットを手にした。8月11日出発。8月12日成田着。そこには感慨いう感情に近いものがあった。僕はすでに達成感で胸がいっぱいになった。

だが、これで終わりではない。僕はまだ中国にいる。それも中国と言う広大な国の一番西。ここから極東の国日本へ向かう。そして東京から実家のある新潟へ。それまで旅は終わっていない。

だが、その思いとは裏腹に、僕は日本のことを考えてばかりいた。日本に帰ったときのために靴を買い、ジーンズを買った。ウルムチのバザールをくまなく周り、買い物をしている自分はどこか昔に戻った気がした。

僕は2009年の1年間インドでボランティアをしているときから現在まで常にお金を計算し、日本いるときも必死にお金を貯めていた。この旅中も常にお金のことは頭にあった。それは旅を如何に長く続けるかという自分の欲望に起因するものであった。

僕は自分が納得するまで旅を続けたかった。僕は旅と言うものが大好きで、旅をして色んなことを経験してきた。この中でお金がなくなるという不安は常に自分の隣にあった。旅のために必死にお金を貯めて、旅中は必死にお金を節約してきた。そのために野宿をしたり治験すらもやった。

だが、生きると言う意味では、現状まだお金に余裕があったためか、気が緩み始めた。あれから何年たったのだろう?お金というものをできるだけ使わず、普通の人からみたら異状に見えるほどお金にこだわってきた生活からほんの少しだけ自分の楽しみのために何のためらいもなくお金を使えるということは、僕にとって喜びだった。

僕はこの1年10ヶ月という長い長い長期旅行を心行くまで楽しんだ。そこには完璧な納得感があった。

ウルムチというイスラム系の人々が暮らす中華人民共和国は、完全に漢民族に支配されてしまったかのように、漢字があふれ漢民族が移住してしまっていたように見えた。だが、ふらふらと歩いているとそこにはモスクがあり、ヒジャブをする女性やトルコ帽をかぶる男性がいた。まるでトルコだった。

僕はこのウルムチでまだまだ遠い日本を思った。日本に帰ったら何をしよう?誰と会おう?だが、旅は終わっていない。気を引き締めなければ。キルギスで日本を思うことをやめようと言ったのに、、でも日本を思ってしまう。

2つの思いが交錯しながらこの漢民族に支配されてしまった新疆ウイグル自治区の首都を歩いていた。

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