イスタンブール旅行記



中東旅行記

~耐え切れず~

イスタンブールには結局9日間滞在した。

イスタンブールの友人たちはすべて、愛情にあふれていて、純粋だった。これはヨーロッパとは間逆だった。ヨーロッパから来たから余計に彼らの優しさが身にしみる。こんな素敵な人たちと過ごした日々は一生の思い出になるだろう。

僕は船のチケットを取るために、カバタシュに向かったが、船のチケットはなかった。理由はよくわからない。バスのチケットをとらなければならないが、どこにバスのチケットが売っているのかわからない。オトガル(メインバスターミナルのトルコ名)で売っているのかもしれないが、オトガルはヨーロッパ側にありアジア側に向かうバスがここから出ているかは疑問だった。また、オトガルはカバタシュから1時間ほどあり、なおかつトラムとメトロを乗り継がなければならなかった。

イスタンブールは終始このような感じだった。メトロとトラムとバスと船に共通の券がなく、一回一回お金を払わなければならない。なおかつ主要のエリアが常に一つの交通手段ではいけない。たとえばトラムの駅からタクシムにいく場合、トラムでカバタシュにいってから地下鉄のカバタシュ駅に行き、一駅だけのために地下鉄にのらなければならない。そしてたった一駅のために2回料金を払わなければならない。

アジア側も同じ。カドキョイやウスキュダルなどのアジア側にいく場合、必ずトラムでエミノニュやカバタシュへ行き、そこからもう一回料金を払って船に乗らなければならない。すぐ近くなのに交通費は倍になる。基本的にトラムでいける範囲が旧市街でであり、主な観光地はここに固まっているため、通常の旅行者はこの複雑さが理解できない。

家に引きこもっている分には、確かにお金はかからないが人と会うとなるとそうもいかない。友人たちにトラムの範囲に着てほしいといったが、トラムでいける旧市街の範囲はどうやら現地人はあまりいかないらしい。この9日間で僕は旧市街に行っていないが、今思い返してみれば確かにあそこは外国人がほとんどで観光客向けの商売をしているトルコ人以外、トルコ人をあまり見かけなかった気もする。

トゥルチエはフェイスブックで色々と手伝ってくれ、イズミル行きのバスのWebサイトを色々と教えてくれた。だが、すべてのWebサイトはトルコ語で書かれていた。グーグル翻訳を使ったり、トゥルチエに手伝ってもらったりしてなんとかトルコ語を訳してチケットを買うところまでいったが、なぜかカードエラーが出たり、トルコ人が持っているID番号を入れなければ変えないという状態になり。結局買うことはできなかった。

とりあえず直接買おうと思い、カバタシュからアジア側のカドキョイへいく船に乗った。結局今日も交通費を2倍払っている。

アジア側にたどり着いたものの、バスターミナルらしきものは見つからない。結局カフェでネットをつなげ、「istanbul izmir bus」で検索をしてバスを探すことにした。だが、なぜかグーグルは飛行機のサイトばかり表示して、バスのサイトは出てこなかった。

僕はトルココーヒーを飲んで四苦八苦しながらバスのサイトを探した。だが、どうあがいてもチケットは変えなかった。理由は最後までわからない。いつもカードエラーがでたり、最後にクリックできなかったり、意味不明なことばかり起こった。トルコでは、あまりネットでバスのチケットを取らないほうがいいかもしれない。

トルコ最大のLCC、ペガサスエアーは73リラだった。バスが大体50リラ~60リラ。10時間バスに揺られるつらさを考えれば飛行機のほうがいいかもしれない。ヨーロッパを終えてアジアは陸路移動をすると考えていたが、ほとんど値段が変わらないのだったら飛行機を使うのも悪くないと当初の計画を変えた。

あっさりとチケットは取れた。またサビアギョクヘン国際空港という今いる家からトラムと船とバスを乗り継ぎ2時間はかかるであろう場所に行かなければならない。だが、もういいだろう。お金がなくいつもお金の計算ばかりしているのも事実だが、やったことに対して後悔してもしょうがない。



最後の夜となった。トルガは朝仕事に行き、夜になるまで帰ってこない。ちゃんと話すのはこれが最後になる。本当に悲しくなった。イスタンブールに住みたいとすら思った。

最後の会話は楽しかった。お互いの共通言語が一切ない中で、グーグル翻訳というツールを使いながらコミュニケーションはうまくいった。日本語の教科書を使い日本語を教えて、それから1時間以上、彼が6月にタイとマレーシアに行く話、7月にラマダンをする話、日本やトルコの物価や社会事情のこと、などを話していた。

彼ほどの純粋な人間を僕は今までに見たことがなかった。ウルルン滞在記のような感覚に陥った。トルコに来てからずっとこの感覚が離れない。

洗濯をしたいといっただけで次の日には自分の洗濯物が干されていたり、本をコピーできる場所はあるかと言っただけでコピーをとってくれ、いつの間にか綺麗にベッドメイキングがされていて、いつも飲み物や食べ物をおごろうとしてくれ、交通費まで出してくれようとしてくれ、そしていつも笑っている。彼のいい人っぷりは異常だった。

僕は彼と最後に固いハグをした。涙が出そうになった。

飛行機の出発時間は夜中だったにもかかわらず、空港があまりにも遠いために僕は彼の帰りを待つことはできなかった。ノートにメッセージを書いて家を後にした。

1時間ほどトラムに乗りエミノニュ桟橋からアジア側に船で渡る。特別観光はしていないのに、毎日のようにガラタ塔とハイダルパルシャ駅を見てきた。だが、今日でそれも最後になる。

イスタンブールとの別れはやってきた。

僕は空港に行く途中、トゥルチエからもらったプレゼントをあけてみた。イスタンブールの観光名所のマグネットだった。このプレゼントを見たとき、僕は耐え切れず涙を流した。

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