トルコのカッパドキア



中東旅行記

~奇岩~

バスは朝4時に到着した。あたりは真っ暗だった。

宿の情報をメモするのを忘れたためとりあえずベンチに座っていた。ギョレメのオトガルはバスターミナルのようになっておらず、ただの広場だった。

だんだんと日が昇り明るくなっていくにつれて気球が見えた。ギョレメは世界有数の観光地、カッパドキアの起点となる街である。朝日が昇るに連れて無数の気球が空中に浮いている姿は爽快だった。

カッパドキアの気球

僕は明るくなると同時にカフェに行きネットを繋げて宿の場所を確認した。宿は以外にも近くにありそのまま宿に向かった。思えばこれがトルコで最初の宿になる。

部屋はまだ空いていなくロビーでダラダラとしていると時間は過ぎた。いつの間にか朝の7時になり僕は部屋で眠った。

眠りながら考えた。夜行バスの中でも考えていた。

トルコでの出会いを最後に僕はネット上で知り合ったすべての友達との出会いを終えた。ヨーロッパで終えるはずだった現地人との出会いの旅はトルコでも続いてきたが、イスタンブール・イズミル・フェティエという3つの都市での出会いが最後になることはずっと前からわかっていたことであった。

これが終わった後はどうするかということは以前から考えていたが、一応これからは一人旅をしようと思う。今後の旅もカウチサーフィンなどを使えば新しい出会いはあるのかもしれない。だが、自分の気まぐれな性格上どうなるかわからないとはいえ、とりあえず現地人とのネットの出会いを作るのはやめる。

僕はこれまでの旅の中で、ネットを通じて多くの外国人と知り合いそして出会ってきた。そしてその出会いの中で、幾多ものかけがえのない経験をしてきた。この経験は普通にバックパック旅行をしてきたらできない貴重な経験であった。

僕は常に現地人との出会いに真摯に向き合い信賞必罰で臨んできた。そのため、ヨーロッパの物価の高さもあいまってか常に緊張状態にあり、人との出会いに疲れが出てきたことは否定できなかった。

旅に出る前「何も考えずに旅に出たい」と言ったにもかかわらず中南米・ヨーロッパ・そしてトルコに至るまでそれだけは実現できていなかった。僕は人の出会いを大切にし、一つ一つに向き合うことでまるで仕事をするかのように一生懸命に旅をしてきた。

もうちょっとリラックスして自分のための時間を作りたいと思うようになった。どちらにしてもあと数ヶ月しかない。それに、旅を終えた後も国際交流はやめることはない。今度は仕事として外国人と関わっていくことになるだろう。

フェイスブックは便利なツールであり、これまでの旅のなかでなくてはならないものになった。常にフェイスブックを開くようになり、だんだんと中毒のようになっていった。カウチサーフィンやライブモカで出会い、フェイスブックで連絡を取る。出会いを大切にすればするほどこの中毒は抜けなくなった。そして人と出会うということで時間的制限が生まれ、その間にやることといえばネットという日々となっていった。

人とのコミュニケーションという意味ではフェイスブックはこの上なく便利であったが、あと数ヶ月の旅の中でネットでの出会いを求めない今、その使命を終えた。

僕はフェイスブックを含めた今まで日常的に行ってきた5つの習慣をやめることにした。まずは体にたまった毒を出して一人の時間を作って緊張状態を解くことにした。人との出会いそのものは大切にするがあえて自分から出会いは求めないようにと決めた。

習慣となってしまっていることを急にやめるのは難しいということもわかっていたため、あえてフェイスブックのつぶやきに「しばらくフェイスブックをやめます。用がある人はメールかスカイプに連絡ください」と書いた。

本来はこんなことは書かずにすむのならそれに越したことはないのだが、いかんせんこれを書かないとまたフェイスブックを開いてしまう自分の意志の弱さがあった。

だが、僕はどうしてもこの人との関係における緊張状態を解いて、最後の最後に何も考えずに旅がしたかった。ネット上でのコミュニケーションや便利さに縛られず、自分のためのリラックスした時間をとりたくなった。

言葉が好きで現地人と国際交流をしたい日本人としてではなく、バックパッカーとして、旅人として人と話したくなった。自由に自分勝手に人に巻きこまれずに旅をしたくなった。自分自身を見つめたくなった。

これまでの1年8ヶ月に及ぶ、ネットを使い現地人の家に泊まり、現地人と現地語で会話をして現地を知るというのがキリスト教の到達点である「愛」ならば、これからの数ヶ月に満たない自由気ままに何も考えずに旅をするというのは仏教の到達点である「無」であるかもしれない。

人の出会いを大切にする「愛の旅」から自分自身を見つめる「無の旅」へ変化し始めた。これは僕の人生で最後になるだろう。



カッパドキアは無数の奇岩からなりたつ世界有数の観光地である。宿で調べた感じではどうやらあまりに広く公共交通機関もないことからツアーでいくのが一般的のようだった。

ツアーは100リラくらいするため、できれば使いたくなかった。とりあえず歩ける範囲でいってみようと考え、僕はギョレメミュージアムへ行った。オメールからもらったミュージアムカードを使い、ギョレメミュージアムは無料で入れた。

ミュージアム自体はまったく持ってたいしたことがなかった。この地域で暮らしていた古代キリスト教徒の暮らしぶりや教会などは多少興味を引かれなくもなかったが、それ以上に僕はキノコ岩や奇岩がみえる風景を楽しみにしていた。

ミュージアムから奇岩を求めて歩き出した。向こう側にテーブルマウンテンが見える。とりあえずあそこに向かって歩いてみようと思ってさらに歩いた。途中綺麗な風景が見える場所はいくつもあったが、そんなにすごいと思えるほどではなかった。これだけでも本当はすごいのだろうか、やはり旅慣れしてしまっていて好奇心が失われているのかな?とあきらめの気持ちが芽生えた。

カッパドキア

テーブルマウンテンにむかってさらに歩いた。1時間半くらいあるくと山の入り口が見え、僕は誰もいない山に登り始めた。山道は険しくおそらくツアー客はこれないようなところをビーチサンダルで上るのはかなりきつかったが、山のてっぺんから見える景色は素晴らしく、山のてっぺんを歩いているときはリアルドラクエそのものであった。

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

結局往復で5時間ほど歩きある程度満足してギョレメの街に帰った。ギョレメの街は観光だけで成り立っているような小さな村でボリビアのウユニやネパールのポカラを思いださせた。

ここにはイスラエルで出会った旅人が働いているカフェあった。僕はちょっと立ち寄り彼女と世間話をした。彼女とはイスラエルにいたときに何度か話をしただけで、その後も大して連絡はとっていなかったが、どうしても海外で働きたいという強い意思を持っていたのが興味深く印象的だったため、ギョレメにいくときは立ち寄ってみようと思っていた。

彼女はどちらかといえば日本が嫌いであり、そのために海外で働いているというような感じだった。日本政府がきらいという理由でワーキングホリデーをできるだけ避けるという意見はそれなりに格好いいものであったし、日本が嫌いだから海外で働きたいという気持ちは理解できなくはなかったが、僕は今まで出会ってきた外国人が日本語を勉強する姿や、日本のことを好きだとなんのためらいもなく言う外国人との交流を経てきて、どちらかといえば日本のいい部分を海外に伝える仕事がしたいという気持ちのほうが強かった。

考え方としては間逆ではあったが話を聞くのはそれなりに楽しかった。それどころか、彼女の旅に対する考え方や旅のスタイルなどは僕が今やりたいと思っていることそのものであったためか、少しだけ真似をしようとすら思えた。

・・彼女から見せてもらったカッパドキアの地図を見ると、自分がその日がんばって5時間ほど歩いたところがカッパドキア全体の本の一部でしかないということに気がついた。これはツアーしかないと思い結局宿で90リラのツアーを申し込むことにした。

ツアーは僕を含めて4人だった。ノルウェー人の夫人とカナダ人の老夫婦と4人でカッパドキアツアーに出発した。午前中はウルギュップのキノコ岩を見た後に、正教会のキリスト教徒の洞窟の中での生活をみるようなツアーだった。僕はレッドツアーと呼ばれる所謂カッパドキアのキノコ岩をめぐるツアーなのだと思っていたためかなりがっくりし、たいしてツアー客と話すらしなかった。むしろレッドツアーだと宿で何度か確認したにもかかわらず地図で確認する限りブルーのラインのところをまわっているため、宿にクレームを出そうとすら考えていた。

だが、お昼を食べているとき、ガイドの息子は流暢な日本語で「キノコ岩は後で行きますから心配しないでください」と言った。だんだんと不安は解け僕はほかのツアー客となれない英語で徐々に会話をして打ち解けていった。彼らはみな優しく僕のそんなになれない英語をゆっくりと聞いてくれた。

最後にキノコ岩を見に行った。天気が悪く夕日は見えなかったが、やはりこの風景はすごかった。すごかったというよりは意味がわからなかった。これまで見てきた遺跡はなんとなく人が作り上げたものであるためか、すごいと思えたが、カッパドキアに関してはすごいという感覚を超えて「意味がわからない」という感覚に浸った。

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

ガイドは一生懸命に説明をしてくれた、ブルーのラインをまわっているときは大して話を聞いてもいなかったが、キノコ岩についたときに僕はガイドの話を聞き、また仲良くもなり一緒に写真をとったりすらした。もう70近い老人のガイドの笑顔は本当に素敵だった。

ギョレメの街に戻るとガイドの息子がいた。彼は日本で働いていたらしく日本語がペラペラだった。そして「日本ではたくさんのいい経験をしたから私は日本人が大好きです」と興奮気味にいった。やはりこういう外国人がいる限り、自分は一生外国人と関わっていきたいと思い、多少感動すらした。

最後の日には一人でギョレメパノラマに登った。ここから見える景色こそが自分が思い描いていたカッパドキアそのものだった。後ろには古い城砦のような建物が見え、前には奇岩が無数に聳え立っている。その奥には初日に見たテーブルマウンテンが輝いている。青い空にこれらの景色が映え、最高の景色を作り出していた。

初日に登ったテーブルマウンテンやツアーで行った場所もすごいといえばすごいが、ここから見える景色は本物だった。僕は最後の日になりようやく満足した。

ギョレメパノラマ

ギョレメパノラマ

ギョレメパノラマ

ギョレメパノラマ

僕は常に5リラのケバブを食べ毎日のんびりしながらも精力的に歩き回った。ギョレメは静かな街でありのんびりと滞在するにはいい所であるが宿もそんなに安くはなくなおかつローカル食堂もなかったため、早めに脱出しなければならなかった。

ギョレメは濃い日々の連続だった。まるで1週間もいるような感覚に陥った。

ここにきてようやく本物の一人旅が始まった。「今私たちに大切なものは恋や夢を語り合うことじゃなく、一人ぼっちになるためのスタートライン」という曲が頭の中で流れた。

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