~イランビザ~
トラブゾンには日曜日の朝についた。
Hotel Benliという場所にいくことを決めていたため、道端の人に場所を聞きながら街中に向って歩いた。オトガルからこのホテルまでは大体2キロくらいはあった。
バックパックが重い。春の気候から夏に変わろうとしているこの季節、重いバックパックをかついて歩くのは段々としんどくなってきた。加えてこのペルーで買ったバックパックはクオリティーが低く、かつぎにくい。早く荷物を整理して冬服を日本に送りたい。そのときには新しいバックパックを買おうと決めていた。
なぜか周りのトルコ人はみな、Hotel benliの場所を知っていた。また、トルコ人はどの人もみな親切で懇切丁寧にホテルの場所を教えてくれた。
ホテルに着き、宿のスタッフにイラン大使館の場所を聞いた。
この黒海に面した街トラブゾンに来たのは、イランビザを取るためだった。バックパッカーの間でトラブゾンはイランビザが簡単に取れるトルコの街であるということはブログをみたのか、人から聞いたのか、ずいぶん前から知っていたのかはわからないが、なぜか頭の中に入っていた。
だが、イスタンブールにいたころからブログなどでイランビザに関して情報を集めていると、現在はイランビザを発給停止しているという情報もあった。イランでは6月20日前後に大統領選挙があり、その間は外国人の締め出しを行っているという。
僕はかなり不安になりながらも一応トラブゾンにやってきた。ここでビザが取れなければそのときにまた考えようと思っていた。
いつの間にかトルコに少しだけ残されていたヨーロッパの面影は、東に東にといくうちに徐々に消えた。トラブゾンは完全にトルコの伝統的な街だった。
アザーンが心地いい。アザーンを聞いてチャイを飲んでケバブを食べているだけで落ち着いた。
Hotel benliには日本人がたくさんいることを期待していた。ここにいる日本人にイランビザの情報を聞いて何とかしようと考えていた。だが、ほとんど日本人はおらず、僕はどうしようもなくイラン大使館の場所だけ確認し、何もせずにいた。
トラブゾンの街は、黒海に面した綺麗な街で住み心地もよさそうだった。
Hotel benli のネットは不安定だった。
だが、フェイスブックをやめた今、そんなにネットは重要ではなくなった。でも、やはり心のどこかに穴があいたような感覚もある。今までずっと使ってきたツールを急に使わなくなるという、ある意味での習慣を断ち切ることになれるにはもうちょっと時間がかかるのかもしれない。
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次の日には早起きをしてイランビザを申請しにいった。イラン大使館は宿から歩いて10分もしない場所にあった。歩いてイラン大使館に行くと大使館の前に二人の日本人がいた。話を聞くと彼らはチャリダーのカップルで、同じようにイランビザを取りに来たということだった。
担当に話をすると「ビザの発給ができるようになったら連絡するからパスポートのコピーにメールアドレスを書いて提出してくれ」といわれるばかりだった。どのくらいかかるかと聞くと、「一週間から10日くらい」といわれたが、メールが本当に来るのかは怪しいものだった。
イランの入国は絶望的になった。さてルートをどうするか。
僕はアフリカに行きたいと考えていたが、お金と時間がないこと、そして何よりも興味がないという理由でアフリカにいくのをやめた。あまりにもビザがどこでも取れずに行き詰った場合、アフリカに行く可能性がないとも言いきれないが、基本的には中央アジア・中国を通って日本に帰ろうと考えていた。
だが、ここから先はこの旅ではほとんど経験していなかったビザ地獄が続く国々である。グルジアはビザがいらなくなったが、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、とビザが必要な国がこれからずっと続く。
アルメニア・アゼルバイジャンは国境およびグルジアでビザが取れるので問題ないが、ビザなしで入国ができるキルギス以外の中央アジアの国々、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンのビザはイランで取ろうと思っていた。
チャリダーの二人はアゼルバイジャンから船でカスピ海を渡りトルクメニスタンに渡るという道もあるという。だが、イランにいけないとなると、中央アジア各国のビザをどこでとるのかという話になる。
宿に帰ると別の日本人が2人いて話をしていた。話を聞くとどうやらグルジアやアルメニアでも中央アジアのビザは取れそうだった。少しだけ希望の光が見えネットで調べたが、カザフスタンビザとトルクメニスタンビザはグルジアとアルメニアに大使館があるが、ウズベキスタンだけはアゼルバイジャンにしか大使館がなかった。
また、どこで聞いたかわからないが、アゼルバイジャンの物価はヨーロッパ並みであるということは頭の片隅に入っていた。ここにきてようやく物価の安いアジアに入っているにもかかわらず、ヨーロッパ並みの物価の国というのはできれば避けたい場所であった。
仮にアゼルバイジャンからカスピ海を渡ったとしても最初の国、トルクメニスタンでウズベキスタンのビザをとることも不可能だった。トルクメニスタンのビザは5日間のトランジットである。時間的にも制度的にもこの国で他国のビザは取ることはできない。ビザがなくウズベキスタンに抜けることができない場合、カザフスタンに抜けるしかないが、トルクメニスタンからカザフスタンに抜けたあたりで、ウズベキスタンのビザが取れそうな大きな街はない。
さてどうするか・・・・
ビザ取り合戦が始まった。
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