ケセラセラ.バックパッカーの中南米旅行記。旅行記小説・・?



〜別れ〜

何人の人と握手をして、そして抱き合っただろう?




出発前に友達やお世話になった人達一人ひとりとカフェに行ったり酒を飲んだりしていた。 ほぼ毎日酒を飲んでいる。明らかに飲みすぎている。頭が痛い。

その飲み会の中に仕事最後の日を迎えた。最後の日であったけれど遅刻をした。ほぼ初めての遅刻だった。最後の最後に遅刻した。馬鹿をやってしまったと後悔した。が、時間が経つと、致命的なミスをしたり、本当に人に迷惑をかけることでなければいいやと自分に都合のいいように考えた。 事実、自分が遅刻したことで何一つ被害はない。
今までも色々と馬鹿をやってしまったけどそれでいい。やっぱり馬鹿をやって行きたい。やるべきところはきっちりとやるけどやっぱり馬鹿をやって行きたい。

後日、会社に就業がすべて終わったことと、遅刻したことを伝えるために電話した。 社長は「あれ、昨日で終わりだったっけ?まぁいいや」といった感じで特に気にもしていないようだった。最後に「まぁ、海外に行って死なないように!」といわれ電話を切った。 最後の最後までこの会社らしい。

後日派遣先に最後の挨拶に行き、お世話になった人たちに挨拶をした。お世話になったSVや同僚の人たちは最後にプレゼントをくれた。

最後になって気づいた。今までうすうす感づいていたけれどどうしても認めることが出来なかった。最後になってはじめて認めた。「こんな楽でいい職場に二度と出会うことはないだろう。」



友達と最後の(?)別れをしていくうちに、もうすぐ旅立つと改めて感じた。10月8日。今までずっと期限が決まっていないことでダラダラと日本で過ごしていたところがあったが期限が決まっているともう後戻りは出来ない。

もともとの大学のときからの友達、前回の旅で知り合った人たち、そして日本に帰ってきてから知り合った人たち、特に「あの家」で知り合った人たち、何人も何人も会いたい人・話したい人がいた。

仕事をしながらだったのでスケジュール的に厳しいところもあったけれどそれでもできるだけ全員と会うようにした。いろんな人がいる。年下の人、年上の人・安定している人、不安定な人・男の人、女の人・・・・でもみんな共通しているのはある程度僕のことを認めていて一緒に会って話をしてくれる人であること。プレゼントをくれた人、カラオケでギブソンと称し自分に向けての曲を歌ってくれた人、JICAでマラウィに旅立つ人、就職したけれどなんか人生迷っている人、子供が生まれた人、子供が生まれそうな人、境遇はそれぞれ違うけどみなさんが応援してくれるからこんな旅ができる。一人旅というけれど心の中まで一人では絶対に旅は出来ない。そんな想いを持ちながら旅立つことの幸せをかみ締めたい。そして旅立って色んなものを吸収して、それをいつか社会に還元していきたい。






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時間が経つのは無常なもので、ついに東京最後の日を迎えた。今日の夜行バスで実家に帰る。

なぜか早起きした。そういえば4月の桜を見に行った日もなぜか早起きだった。Yと一緒に夢と未来を語り合ったあの日と一緒だ。そう考えるとほとんど眠れていなかったし、頭がボーっとしているけれどなんか笑えてきた。

少しだけ帰りの準備をして、家の友達とマックへ行って、まるでいつものようにぺちゃくちゃとおしゃべりをしていた。今日が最後の日だということの実感がわかない。寂しくもないしうれしくもないし悲しくもない。ただ時間は過ぎる。

今日まで同じ家で暮らしていた仲間たちと離れる。水も空気も食べ物も今の自分には当たり前すぎて気づかない。それと同じように幸せは失わないとわからないのかもしれない。

思えばいろんなことがあった。ここは天国のように楽しかった。毎日毎日が楽しかった。2011年に入ってから嫌なことは一つもなかった。4月になって大好きな人が沢山できた。一人ひとりと集中して話をすることができて、もちろん考え方が合わないことからちょっと意見が対立することもあったけれど、それはそれで自分にとってのマイナス面を発見できたし、というよりも何よりとにかく楽しかった。仲のいい人が女子だけだったこともあり、女子に囲まれすぎていたことで、一人ひとりの女子とずっと何時間も話すということや、女子だけの飲み会やイベントに男子一人で参加し、そして完全に溶け込んでいるという明らかに異様な光景になった時もあった。今日はあの人、明日はこの人、とチャラチャラした男に見えなくもないが、男としてではなく人として接していたし接せられていたように思う。これを青春と呼ぶ。この家の人たちは自分にとっては優しすぎた。感謝してもしきれない。




そんなことを考えながら最後はYと一緒に過ごした。

Yは恋人でもなければ嫁でもない、ただの友達である。

でも彼女は自分にとってかけがえのない人間である。友達とか恋人とか親友とか関係性を言葉では言い表すことができない。

Yと過ごした日々は一生忘れることができない。共通パソコンのある2階での出会い、世田谷公園の桜、キャロットタワー、不幸の手紙と呼ばれた住民税、屋上で見た朝日、一緒に行ったコインランドリー、ラウンジで異常なまでに語り合い、一緒に飲んだコーヒー ・・・・・

たった半年の間にどれだけの時間話したのだろう?そしてどれだけ一緒に笑ったのだろう?文学・社会・政治・教育・経済・労働・お金・愛・恋・家族・夢・希望・時間・過去・現在・未来・・・語り合ったテーマを挙げていくと切りがない。
二人とも過去に絶望を見てきている。そして今の不安定な状況の中でも自分たちのやりたいことをやるために、自分という小さい存在が、社会に対してどういう形で貢献ができるかを日々考え、マイノリティーとして毎日毎日を明るくただただ過ごしている。

Yは部屋を出た共用パソコンのところにいた。
最初に出会ったこの場所から一つ一つ思い出すように世田谷公園へ向かった。

世田谷公園は秋の香りがしていた。初めて会った桜の季節から紅葉の季節へ変わっていた。

「秋の匂いがするね」と僕が言うと
「すごいわかる!秋の香りがするよね!」とYは言い出した。
・・・・考えていることがいつも一緒。それどころか一瞬沈黙した後に出てくる二人の言葉が一字一句変わらないことが今まで何回もあっていつも笑いあっていた。今日もいつものように大きな声で二人で笑いあう。

天気がいい。台風の後の鮮やかな秋晴れである。

世田谷公園

ベンチに座り話をしていた。やっぱり話すことはいつもと変わらない。いつも同じような話をしている。それでいい。それでいいんだ。いつもいつも未来への希望と夢を語り合っている。これがYと過ごしてきた僕の青春であった。今日はその集大成。何も特別なことは必要ない。いつもと同じように最後を迎える。




あたりは暗くなっていった。世田谷公園から移動し、もう一つの思い出の場所であるキャロットタワーへ向かった。

思い出の展望台へ登り、レストランで食事をした。レストランから見る夜景は素晴らしい。
渋谷・新宿・お台場がよく見える。東京タワーはその中でもひときわ輝いていた。
二人で高級な料理とワインを頼んだ。この一皿だけで4〜5日は十分暮らせるだけの金額である。
「俺らこんな上流階級の人間だったっけ?」と冗談めかして言うと、
「ううん、かなり底辺の部類にいるよ」と彼女は答え二人で笑っていた。
日本は不思議な国だ。こんな経済的に不安定で社会的に底辺にいる人間でもこんな社会的に最上級のサービスを受けることができる。この国にいることにはやっぱり感謝しなければならない。散々この国のいい所・悪いところを語ってきた二人だがやっぱりこの国に守られているのである。

しばらく話すとピアノが鳴り出した。この夜景・食事・ピアノ演奏・・・どう考えても経済的に底辺の部類にいる人間がすることではない。でも何よりも二人で楽しく過ごせていることが幸せだった。恐らくこれが一人だったら、一人ではないにしても信用できない人との食事だったら・・・お金がすべてではないということを分からせてくれる。そう、大切な人がいるからお金は生きてくる。

「渡すものがあるから。」一言だけ彼女は言うと袋を差し出した。正直、最後だし何かプレゼントはもらえるものだと思っていた。が、プレゼントは予想以上の物だった。

Yは1ヶ月くらい前から家の女子に声をかけ、メッセージを集めていた。そしてそれを一つの冊子にまとめてみんなのメッセージ集のようなものを秘密で作っていた。

僕が一番欲しいもの、それは高級なブランド物でもなければ美味しい食べ物でもない。もっと言うなら欲しいものなどない。自分は何もされなくていい。人に対して普通に接すること、その中でほんのちょっとでいいから人のことを考えること。それだけだった。それをこういう形で返してくれた。最高のプレゼントだった。

・・・泣いた。号泣した。Yも泣いていた。二人で泣いていた。泣きすぎて鼻水が出そうになった。キャロットタワーの最上階でムードのいいピアノ演奏を聞きながら東京タワーが大きく見えるこの最高のムードのところで僕は号泣した。もはやわけが分からない。わけが分からないくらい号泣してしまった。正直、泣かないだろうと思ってた。笑って最後を過ごそうと思ってた。でも、無理だった。しゃっくりがでるくらい泣いた。彼女が自分をここまで想ってくれていることが、ここまで自分のことを想っている人がいることが嬉しすぎて、安心して、頭の中が訳分からなくなって、とりあえずキャロットタワーの展望台のお洒落なレストランで、僕はずっと泣いていた。




家に戻った。このメッセージ集を作っていたということはこの1ヶ月ほど、みんなこの存在を知っていて僕に黙っていたということになる。考えると恥ずかしくなった。帰るのに緊張した。自分の家に帰るのに緊張したのは生まれてはじめてである。

家に戻るとみんなは普通にいた。普通にテレビを見ていた。何一つ変わらない。自分が出て行く日でも何も変わらない。この普通さが最高だった。最後の小一時間、テレビを見たり、屋上に行って何人かで話したりしていた。時間というのは無常なものでどんなに大切な時間でも必ず終わりが来る。

最後にこの場にいる全員に挨拶をした。一人ひとりにちゃんと挨拶をしたかった。感謝の気持ちを伝えたかった。そうするとその場にいる全員、下に見送りに着てくれた。道路で通行者の邪魔になりながらも写真をとった。こんな大学生の青春のようなことをこの年齢でやれていることが幸せだった。そしてこんな生活ができた周りの人たちに感謝をした。一人ひとりと順番に握手をし、そして仲がよかった女子とは全員ハグをした。寂しいというよりも「ありがとう」という気持ちが強かった。

そしてYと一緒に夜行バスの出る新宿へ向かった。




夜行バス乗り場に行ってしばらく彼女と談笑していた。会話の内容はいつもと変わらない。いつもいつも未来への夢を語っているのである。最後の最後の最後まで変わらない。 別れを惜しんではいけない。別れは次へのステップ。ここで一旦この生活を壊して、みんなと別れることでさらに成長できる。それが分かっていながらも寂しさがこみ上げてきた。 今まで当たり前のように暮らしてきた人たちと離れ離れになるのである。そして一人で旅に出るのである。考えてみれば寂しくなるのも当たり前だ。でも、そんなことも言ってられない。ちょっとだけ頭の中で二つの考えが錯綜した。

バスが来た。別れる直前に沖縄のお守りをくれた。彼女は最後の最後の最後の最後まで人を泣かせるようなことをする。

出発の直前まで乗り込む直前にあと数分あったけれどYは「もう行きな!」と笑顔で言った。

彼女は泣いていた。泣いているのを必死にこらえている感じがした。でも数分残っているにもかかわらず、未練を残さずに断ち切った。

この瞬間に分かった。「三茶の思い出、Yとの一緒の生活はもう終わったのだ」

彼女がくれたみんなのメッセージが込められたプレゼントはただのプレゼントではない。ここまで徹底的に別れを強調されたプレゼントをもらうということはどういうことか?今、中途半端な状態で三茶には戻れない。

これは・・・「もう三茶に戻ってくるなよ!」という彼女のメッセージである。

・・もう過去に甘えてはいけない。Yに甘えてもいけない。
この厳しさが何よりも嬉しかった。愛情を感じた。

最後に彼女と握手を交わし、ハグをして僕は彼女に「愛してるよ!」と言った。そしてそのまま彼女の方を一切振り向かずに実家に帰る夜行バスに乗り込んだ。

もう何も思い残すことはない。ありがとう。Yからもらったこの愛を胸に秘め、僕は旅に出る。



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