〜帰国・不安、焦り、それでも何とかなると信じ続ける〜「日本には仕事がないぞ」
お金がない。リアルに後数ヶ月働かなければ破綻してしまう。 日本に帰国し、旅先で知り合った人や古くからの友人と再会しながらも僕には懐かしんでいる余裕はなかった。 仕事がない。大学生のときにバイトしていた日雇い派遣の会社も雇ってくれず、アミューズメントの請負業者はつぶれていた。大学生の時は簡単に採用されていたのが嘘のように、パチ屋やネット関係のバイトに応募してもことごとく落ちる。日雇いの仕事をしても交通費も出ず日給にして4000円程度である。 海外にいた時は日本が不景気だと言うことはネット上の文字でしかわからなかった。日本に帰国して実感した。 旅で知り合った人の家を転々としていたがようやく住むところを見つけた。旅先で聞いていたオークハウスというゲストハウスである。まずは生活基盤を作らなければならない。 オークハウス大塚 建物は汚かったがいる人はみんな楽しそうだった。かなり年齢層も高い。そしてみんな頭がいい感じに飛んでいる。ラウンジにぼろぼろのソファがありたばこをふかしながらくだらない話をする。写真家を目指しているNさんとかここでは書けないような危ない経歴を持っているMさんとか、WさんとかS君は明らかに経済的・社会的にそんなにいい状態とは言えないがみんな明るかった。人は経済状態・社会的地位に関係なく幸せになれるっていうのをわからせてくれた。 ---- ようやく大塚のパチンコ店でバイトすることが決まった。これで何とかなる。ここで数ヶ月働いてワーホリへ行こう。 だが、いざ働いてみるときつい。長年働いていないからか、パチンコというものが嫌いだからか、まったく自分に合わない。まずインカムが聞き取れず何を言っているかが分からない。指示が聞こえないので作業が出来ない。細かい作業をするといつも注意される。そして注意の仕方が怖い。社員は完全に全員ヤンキーあがりである。 こんなボロボロの状態の中、さらに追い討ちをかけられた。 インドに旅立つ前にお世話になったOさんと高田馬場で再会した。
---- 約1年半前のこと。 彼女とは旅立つ前にNGOの説明会みたいなイベントで知り合って友人になった。それから、自分が会社を辞めて、どこかへボランティアをしに旅立ちたいという話をしていた。彼女もボランティアなり国際貢献がしたいという思いを持っていたこともあり、話はそれなりにあっていた。 彼女は自分にない落ち着きとか、冷静で静かなものをもってるし、上手く表現できないけど、普段は冷めたように見えるが、本当はものすごく熱く、海外に対する想いを持っている。だから話しててものすごく面白いし、海外っていう同じ所を見てる人間として、元気になれた。 旅に出る前、ずっと迷ってた。会社を辞めて、この不景気の中、ボランティア活動をするということがどういうことなのか、現実をみなければいけないのか、やりたいことをやるよりも社会的安定を重要視するべきなのか。半年以上悩んでいただろうか?
そんななか、彼女はベトナムに旅行したときの話をした。彼女はあまり自分から話すタイプではないのだが、ベトナムの話をものすごい楽しそうに、そして感動的に話してくれた。その話に心打たれ、僕はインドにボランティアに出る決意をした。彼女のように、海外で人とかかわることに、絶対に楽しさを見出せる。そしてそれを自分の力にして、自分や彼女のように、海外とかかわりたい人をサポートできるような、自分の人生を作れると確信した。 彼女はそんなこと意識しないで話しただろう。おそらく今では忘れているかもしれない。でも確実にこの話によって僕の人生は変わった。 旅立つ前に彼女は僕のために、色々としてくれた。そんなやさしさに気づいたのは旅に出てからだった。彼女は僕が好きだったのではなく僕の夢が好きだったのかもしれない。 インドに旅立つ日、彼女は見送りに来てくれた。そこでプレゼントをくれ、「行ってらっしゃい!」と言った。彼女は僕のことが好きだったが、でも旅に出ることでお互いが恋人になることはなかった。むしろ、彼女が自分を好きだったことに気づいていなかった。 インドに来てから僕は自分が彼女のことを好きだということを知った。日本に帰国したら好きだって言おうと思っていた。でも、またワーホリに行ってしまう。好きになったところで恋人にはなれないという事を知っていた。 ---- 1年後の再開はまったくの期待はずれに終わった。
最後はほとんど無言だった。無言のまま1時間が経過した。
1年の歳月は人の心を変化させるのに十分な時間だ。彼女の心は他の人にいっていた。
わかってる。世の中は諸行無常であること。 当然だと思う。別に付き合ってるわけでもない、ただの友達なんだから。1年も待ってるほうがどうかしてる。分かってる。理解してる。・・・でも人間の感情は頭で理解できていても、いうことを聞かないものだ。泣いた。涙はとめることが出来ない。 逆にこれはチャンスであると思った。
海外に働きに出よう。
僕は恋がうまく行かない運命の元に生まれてきたのだろう。
---- 現実は、そんなことを悲しんでいる暇すらなかった。
治験をやることも考えたがこの不景気な世の中、応募する人が多く、もともと持病で喘息を持っていることもあり上手くいかない。 こんなバイト絶対に続かない。早く辞めたい。
・・・焦った。
インドで1年かけてあがったテンションは帰国1ヶ月でありえないほどの急降下をした。 けれど、なんとかなるということは確信していた。
根拠はなかった。でも信じ続けた。毎日毎日「何とかなる」と独り言を言っていた。 ---- ずっと口に出しているとその言葉は本当になるものだ。
新しいバイトを探した。
面接に行ったとき必ず採用されると確信した。やっぱりパチ屋のようなバイトよりPCを使って話す仕事の方が自分にあっている。集団面接でも一人郡を抜いて面接官と意気投合していた。 翌日、案の定採用の電話が来た。
あとはどうやってパチ屋のバイトを辞めるかである。
・・考えた末に電話で「体調不良のため入院することになりました」と嘘をついた。これなら実際に顔を合わせずに済む。 ・・と思っていたら「入院前に一度荷物を整理しにこい」と言われた。病気のふりをするためにコンビニでマスクを買い、いつでも逃げれる準備をしながらパチ屋へ向かった。 行って荷物を整理し、「お世話になりました」と言うと舌打をされ、「もう帰れ」と言われた。 これ以上ここにいると何をされるか分からないのでダッシュで逃げた。そして小さくガッツポーズをした。 ---- 数週間後、給料は振り込まれていた。帰国後初めてもらった給料。16万円くらいだった。うれしかった。これで勢いがつく。ようやくワーホリへの道が見え始めた。 この経済的・社会的・精神的に絶望的な状況の中、どこかでそれを楽しんでいる自分がいる。辛いときほど笑い飛ばそう。とりあえず笑った。 うまくいかないときほど笑ってすごそう。
とりあえず口に出してみた。 あきらかに状況的にはやばいのに笑っている。幸せか不幸せかは状況によるものではなくて自分が決めることなのだと確信した。 帰国後数週間でありえないほどの急降下をしたテンションはその数週間後には同じ角度で急上昇し、結局元に戻った。 TOP NEXT |