イスラエルのキブツ





~キブツ~

僕はエルサレムのセントラルバスステーションからバスに乗った。

イスラエルにはキブツというコミュニティーがある。

ユダヤ人が作った共産主義社会。キブツの中では皆この共同体の中で働き、共同体の下で家と食べ物が平等に与えられシェアされる。オーロヴィルと並ぶ世界的に有名なインターナショナル共産主義コミュニティーである。

僕はこの旅を始める数年前にこのキブツをネットで見つけた。キブツは国際ボランティアを常時募集していて、ここで1年間働こうと思ったこともあった。だが、当時僕はまだよく海外のことを知らなかった。海外でどんなことが行われていて、どんなクレイジーな人がいるのかも知らなかった。そのため、僕は社会的に安全な方法をとって、家族の意向も汲んでイスラエルには行かずに、インドという選択肢を取った。

だからこそ、この旅でイスラエルに来ると決めたとき、キブツで働いてみたいと思っていた。

キブツで働くにはテルアビブに行かなければならない、テルアビブのオフィスに行き、登録をしてからイスラエル各地にあるキブツに派遣される。最短でも1ヶ月働かなければ行けないということはエルサレムに入ってから知った。僕はエルサレムに入った時点ですでに2週間後にイスタンブールに抜けるチケットを持っている。一瞬迷ったが、見学だけでもできればいいと軽く考えていた。

エルサレムの聖地をめぐった後はテルアビブに行き、見学だけでもさせてほしいとオフィスに頼つもりだった。

だが、その計画はいつものように、そして予想していたかのように、見事に変わった。僕はイブラヒムおじさんの家で偶然、キブツで働いていてたまたまエルサレムに遊びに来ているブラジル人、ジャケリンと中国人リーと韓国人二人と知り合った。僕がキブツを見学したいというと彼らはいつでもウェルカムだということで、住所と行きかたを教えてくれた。2~3日だけ見学したかった僕にとって彼らとの出会いは最高の出会いだった。



to come here you must to take a bus in Jerusalem bus station - Jerusalem to Beersheva (bus number 470 ) this jorney it's around 2 hrs. When you arrive in beersheva take a bus number 60 to Sde boker Kibbutz (45 minutes). see you

彼女が送ってくれたこのメッセージを頼りに、僕はキブツを目指した。彼女の行っていた通り、Beershevaには2時間ほどで到着し、そこからこの地球の歩き方のコピーの裏に書きとめたこのメッセージのメモを人に見せてバスに乗った。僕は運転手にここに着いたら教えてほしいと言ったため、運転手は到着すると「ここだ。ここだ。」というような仕草をした。

そこには何もなかった。ただ砂漠があった。

キブツ

少し歩くと緑が見え始め、家々が並んでいるのを確認できた。おそらくここがキブツという共同体なのだろうと思いながらブラブラと歩いていた。ここで彼らと合流できなかったらどこに泊まろうか?などと考えながらとりあえず歩いていた。

人がいない。この砂漠の中のオアシスのようなこの場所に人はいなかった。だが、寂しい感じはしなかった。この静寂さを堪能しながら僕は数十分歩いていた。

しばらくするとセンターのようなところを見つけた。このビルの中には何人か人がいた。彼らが国際ボランティアなのかキブツの住人なのかはわからなかったが、僕に「Do you need any help?」とたずねてくれた。僕は「ブラジル人と韓国人の友達とエルサレムで知り合って、彼らに会いに来た」と伝えた。すると一人のボランティアのオランダ人は合点がいったような様子で僕を案内してくれた。

5分ほど歩いたところに住居のようなところがあった。ここがボランティアの住居のようだった。

僕はここで彼らと再会し、リーと握手し、ジャケリンとベシートをした。ジャケリンはブラジル人だったので、スペイン語は話さなかったが、僕は彼女の仕草から、中南米を思い出した。

僕はジャケリンの部屋をシェアさせてもらうことになった。テルアビブのオフィスの許可がないため、働くことはできなかったが、見学だけは十分にできそうだった。



ここは不思議な街だった。ネゲブ砂漠の真ん中にオアシスのように街が出来上がっていた。このコミュニティーを一歩出ると砂漠しかなかった。それもエジプトやアラブのような幻想的な砂漠ではなく石がごつごつとしているような所謂、人が生きていけなさそうなリアルな砂漠だった。

キブツ

だが、このコミュニティーの中にはプールがあり、体育館があり、食堂があり、イスラエル人が普通に、ここが世界の所謂、標準的な感覚からしたらクレイジーと呼ばれる共産主義的共同体とは思えないほどにごく普通に、暮らしていた。リーが「俺たちも実は月に100ドルほどもらっている、彼らも今は少ないが給料をもらっているし、完全な共産主義とは言えない」というようなことを教えてくれた。

ここには鶏肉を作る工場と、セロテープを作る工場があった。ボランティアとイスラエル人の共同体構成員ははここで働き、住居と食事を提供される。そしてリーが言っていたように、100ドルの給料をもらえる。ジャケリンとリーは食堂でみんなの食事を作るという仕事をしていた。食事も大きな食堂で、ビュッフェ形式で賄われていた。ここで全キブツの構成員が毎日同じような時間に同じ食事を食べる。

キブツ

キブツ

僕はここを一人で歩き回り、プールで泳ぎ、ただただのんびりとしていた。特に何もすることはなかった。だが、ここの静寂さは僕にとっては新鮮で、あまり経験したことがないものだった。ただ静かなだけではない、どこかにパワーを感じる、この感じはオーロヴィルに似ていた。

ユダヤにとっての安息日の前日、金曜日の夜にはキブツの構成員が集まり、ワインやお菓子が振舞われ、みんなが談笑する。僕はジャケリンとリー、その他のメンバーと一緒に談笑していた。中にはエクアドル人やコスタリカ人もいて、スペイン語を話すこともできた。

そのまま部屋に戻り、眠った。

だが、数十分後にジャケリンは僕を起こして「クラブに行くわよ!」と言った。なぜかキブツの敷地内にはクラブとバーまであった。金曜日には皆がここに来てお酒を飲み、音楽を楽しんでいるようだった。僕はクラブにいったことは今までの人生で2回しかなかったし、自分がそういう柄ではないことも知っていたし、実際面倒だったが彼らについていった。みんな酔っ払っている。僕ははじめ面倒くさそうに帰りたい雰囲気をかもし出していたが、誰か知らない人におごってもらったビールとウォッカが体にまわると徐々に楽しくなり、大きな声で笑うようになった。そして普段絶対にしないのにも関わらずクラブにいって踊ったりした。

気がついたら午前3時を周っていた。僕は酔っ払いすぎて記憶をなくしたが、ジャケリンは自分も相当酔っ払っているにもかかわらず僕を部屋まで連れてきた記憶だけは残っていた。

僕は彼女とベシートをして「お休み!」と大きな声で言った。

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気がついたらお昼だった。僕は酔っ払いすぎてそのまま眠ってしまったようだった。彼女も同じように朝まで飲んでいたらしくテンションは低かった。僕らはそのままお昼ご飯を食べに食堂に行き、また部屋に戻って眠った。

みんなでハイキングに行こうとしていた場所へも行かず、そのまま僕は帰る時間になった。ここにもっといたかったがテルアビブで登録をしていない状態で何日もいるのはまずかった。なおかつ、今はユダヤの正月で、エルサレムに帰るバスも明日以降なくなってしまうと言われた。

他のメンバーと握手をして別れを告げた。ジャケリンはバス停まで見送りに着てくれた。たった2日間だったが楽しかった。そして寂しかった。だが、なぜか全く悲しくなかった。エルサレムに帰って次の出会いが起こり、そして別れ、また別の場所に行き、そして別れ、を繰り返すことに若干慣れ始めていた。仲間は大切だからこそ悲しくならないようにと考えるようになった。

バスが来た。僕は彼女とハグをしてベシートをしてバスに乗り込んだ。

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