コンスタンティノープルの陥落





~コンスタンティノープルの陥落~

朝方飛行機は到着した。

イスタンブールに着いた僕は眠気を抑えながらオールドシティ行きの地下鉄を探した。イスタンブールには7年半前に来たことがあったため、僕はアタテュルク国際空港からオールドシティに地下鉄が出ていることを知っていた。

だが、誰に聞いても地下鉄はないという返事ばかりだった。おかしいと思いながらよくよく聞いてみるとどうやらここはもう一つの空港のようだった。エルサレムで日本人旅行者からもらった地球の歩き方のデータを見るためにパソコンを開いた。「ほとんどの飛行機はアタテュルク国際空港に発着する」と書かれていた。

「ほとんどって・・俺のフライトはどんだけレアなんだよ!」

僕は心の中でツッコみながらオールドシティに行くバスを探した。どうやらここからタクシムという場所まで1時間以上かかるようだった。

ジャスミンに電話をした。彼女と朝8時に会う約束をしていたが間に合いそうにないということを告げ、夜にタクシム広場で会うことにした。

ジャスミンとはライブモカで知り合った。僕は旅中ライブモカでほとんど中南米の友達しか作っていなかったが、何故か彼女とは今年の初めに仲良くなった。どういう経緯で仲良くなったかは全く覚えていなかった。

彼女は多少日本語が話せたたため僕は彼女とはスカイプで何度か話をする機会があった。僕と彼女はどことなく性格が似ていたせいか話は常に盛り上がった。僕はいつの間にか彼女を信頼するようになった。

イスタンブールにいくことが近くなったとき彼女に連絡をした。彼女はもし自分が一人暮らしだったらとめることは出来るけれど家庭の事情で僕を家に泊めることは出来ないといった。僕はとりあえずイスタンブールで宿を取ることはしたくないという自分の事情を話し、空港に泊まるか野宿をするかもしれないと言った。すると彼女は僕を心配した。それは本気だった。彼女は安いホテルを見つけて一緒に泊まるから野宿はしないでほしいと言った。

僕はどうするか迷っていた。彼女を心配させてまで自分の計画を実行するのかを真剣に考えた。結果、自分がどうなってもかまわないが、人を心配させるのだけはやめようと思った。

そんな矢先、彼女から彼女の友達の家にとめてもらうことが出来るという連絡をテルアビブの空港でもらった。ただ、友達の事情で一泊目だけはホテルに泊まらなければならなかった。

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眠っているとバスはタクシム広場に着いた。タクシム広場が何なのかは全くわからなかったが、地下鉄の路線図を見るとなんとなく大きいターミナル駅なのだろうというのは想像がついた。ここから地下鉄にのりカバタシュ駅に行き、トラムに乗った。7年半前に乗った記憶のあるトラムだった。

トラムに乗りスルタンアフメット駅の隣のギュルハネという駅で降りた。ここの近くに安い宿があるという情報をエルサレムで得ていた。ハーモニーホステルという安宿は降りてすぐの所の絨毯屋のそばにあった。だがここはドミトリーで25リラと、エルサレムで聞いていたより高かった。僕は朝4時のフライトで疲れていたせいか、シングルに泊まりたくなっていた。しばらく安宿を捜し歩いているとシングルで40リラの宿を見つけ、値切って30リラにしてもらった。

しばらく休み、僕はクロックスを探した。エジプトで自分の使い古したクロックスを捨てビーチサンダルを買ったが、これから始まる今年2度目の秋と冬という季節を目前にしてもう一度クロックスを買う必要があった。

だが、ずっと探してもクロックスは見つからなかった。エジプトでもイスラエルでも路上に山ほど売っていたクロックスは何故かトルコにはなかった。僕は2時間、3時間ほど歩き回った。いつの間にかグランドバザールに入り込み、あちこちでドネルケバブを焼き、狭い露天がせめぎあう場所をくまなく歩いた。それは日本で僕が読んでいた「コンスタンティノープルの陥落」や「海の都の物語」の世界だった。

グランドバザール

イスタンブールはアジア・ヨーロッパにまたがるその立地から、古代から西洋と東洋の貿易の中継地点として知られる場所であり、多くの時の権力者はこの地域の支配権を握ろうとした。

1453年、メフメト2世によってそれまでキリスト教の聖地であった東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルは陥落し、オスマン帝国というイスラム教国家に覇権を握られ、首都の名前はイスラム風のイスタンブールに変えられる。そのためシルクロードでの貿易圏を奪われたキリスト教国家であるジェノヴァやヴェネチアはその経済的地位を奪われ、多くの航海士は大西洋に位置するスペイン・ポルトガルにその活躍の場を求めた。

エンリケ航海王子・ヴァルトロメウディアス・マゼランらによってポルトガルはアフリカ周りでのインド航路を発見し、インドのゴアに拠点を置きながらマラッカ海峡を渡り中国と貿易を開始、ポルトガル船は日本の種子島に漂着、日本に鉄砲とキリスト教が伝わる。

当時信じられていなかった地球球体説を信じたマルコポーロは、レコンキスタにより全国土をキリスト教国にしたスペインを口説き落とし、西回りでアジアに渡ろうとし、そのまま当時存在しないと考えられていた新大陸・アメリカ大陸を発見、これが中南米の植民地化につながっていく。

所謂、大航海時代の幕開けである・・・

なんとなく日本にいたときに塩野七海の本やネットで調べたことを思い出した。

僕はここに来たかった。ローマ帝国が好きな自分にとって東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルはエルサレムと同じように絶対に来たかった3つの都市のひとつであった。ようやくこれた。日本にいたころに、世界一周したいという結論を出したのは死ぬまでにもう一度ローマ帝国の軌跡を見ておきたからだった。



結局クロックスはなかった。僕は宿でチャイを飲みながらゆっくりとしていた。トルコのチャイカップは他の国にはない独特の形をしている。どこか懐かしかった。

トルコのチャイ

やがて夜になり僕はジャスミンに会うためにもう一度タクシム駅に向かった。タクシム駅をでてすぐの所に、タクシム広場はあった。僕はここの大きなモニュメントの前で待っていた。

すると見覚えのある人がやってきた。僕は彼女と何度かスカイプで話していたため、顔も覚えていた。所謂トルコ人という感じの恰幅のよい彼女とハグをしてベシートをした。なぜかトルコでも男女はダブルのベシートをするらしかった。

また一つ、今度はユーラシア大陸でウェブからの友達とリアルで出会うことが出来た。

僕はジャスミンとそのままビールを飲みにいきグダグダと話をした。彼女はムスリムだったがビールを普通に飲んでいた。僕はイスタンブールは地理的な理由からヨーロッパの影響が強く、特に若い人はムスリムでも普通にアルコールを飲むということを知っていた。

僕らはすぐに意気投合し次の日には彼女の友達の家に移動した。友達の家に彼女も泊まり、僕らは2日間常に一緒に行動した。ガラタ塔に登って夜景を見て、ドルマバフチェ宮殿に行き、ブルーモスクを見学し、イスタンブール名物サバサンドを食べ、トルコアイスを食べ、ケバブを食べ、アジアとヨーロッパを横断する船に乗り、ロカンタで食事をし、トルコを満喫した。彼女は僕のためにガイドをしてくれ、色々とお世話をしてくれた。僕はこれまでいつもしてきたように彼女のホスピタリティーに感謝したが、同時に何も返せない自分を悔しく思った。そういう話をすると「ただ友達でいてほしい」と彼女は言った。そしていつものように泣きそうになった。

昼のイスタンブールは青かった。海の青・空の青・モスクの青。そしてそれに映える赤い家々。この風景は僕を爽快な気分にさせた。

イスタンブール

2日目の夜、僕は彼女の友達のブルジュと一緒にバーに行った。不思議な感覚だった。トルコというイスラム教国家で、イスラム教で禁止されているお酒を飲みながら、トルコの音楽でみんなが踊っている。矛盾極まりないこの感じは見ていて楽しかった。

僕はいつの間にか酔っ払い、ライブハウスでブルジュとジャスミンと一緒に踊っていた。普段絶対に踊ることなどしないのに、酒が入ると楽しく踊れる自分の性格はわかっていた。

そして次の日、二日酔いで全く動けず、一日を無駄にした。僕らは同じ部屋に泊まっていたせいか無駄に仲良くなり、宿代を払っていないにもかかわらず何故かものすごい勢いでお金を消費しているという焦りから喧嘩するようになっていった。自分が悪いということは分かっていた。

ブルジュの家に葉2日間しか泊まれず、僕はジャスミンのもう一人の友達であるセダットの家に移動することになった。

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