ローマで野宿





~ローマは一日にして成らず~

気がついた時には飛行機はローマの空港に到着していた。僕は飛行機の中で眠っていたようだった。飛行機を降りて荷物を受け取り空港の外に出る。どうやらイミグレはないようだった。イタリアとギリシャの間でシェンゲン協定が結ばれているからなのかは分からなかった。

僕はイタリアで野宿をしようとしていた。僕はヨーロッパの物価には対応できない予算しか持っていなかったのにも関わらず、ヨーロッパにはどうしても来たかった。だが、ローマはメインの空港であるレオナルド・ダヴィンチ国際空港が思いのほか遠く、空港に行く交通費と宿代がそんなに変わらない状態だった。ライアンエアーが発着するチャンピニオン空港はもうちょっと近く、この空港に寝泊りしながら観光できればと考えていたが、この空港は24時間オープンではないと到着したときに知った。カウチサーフィンも20件以上送ったがすべて拒否されるか、返信がなかった。

とりあえず僕はバスでテルミニ駅に向かった。テルミニ駅もどうやら夜しまるらしく、ここの寝泊りするのも厳しそうだった。なおかつ駅に荷物を預けると、そこで6ユーロから7ユーロほどかかり、結局意味がないということを知った。

僕は作戦を練り始め、まずは安宿を見つけて一泊し、そこに次の日から数日荷物を置かせてもらってどこかに寝てまた帰ってきて泊まってまた荷物を置かせてもらうということを考えた。地球の歩き方に書いてある安宿に行き、値段を聞いたがドミトリー30ユーロといわれ断念した。僕にとってドミトリーで30ユーロは絶対に無い値段だった。基本的に日本円にして宿に1000の単位を出さないというのが一つの指標になっていた。だが、これはヨーロッパにおいては不可能であることも知っていた。

僕はヨーロッパに来て自分の場違い感を思いっきり感じた。人は冷たくすべてにおいてお金のかかる日本のような感覚を思い出した。だが、これは予想していたことだったためそんなに悲しくはならなかった。

自分が今いるこの場所にどんどんと適応していかなければならない。ヨーロッパに来たら中南米とも中東とも違う、ヨーロッパの旅行スタイルを確立していかなければならなかった。自分の感覚が研ぎ澄まされているのを感じた。

僕はWIFIの通るレストランで5ユーロのホールピザを食べながらホステルブッカーズやブッキングドットコムを全力で使い安宿を探した。食費に5ユーロは高いというのは分かっていたがネット料金だと思って我慢した。

全力で探していると、一泊12ユーロの宿を見つけた。僕はここをネットで予約し、サイトに書いてある英文通りに75番のバスに乗り、文部省の建物があるトラステヴェレに向かった。途中、数人に助けてもらいながら、なんとかたどり着いた。ヨーロッパは人が冷たいと思っていたが、それでも旅行者を助けてくれるだけの優しさはあった。

宿にたどり着いた。宿は暗く、人もいなく、アラブ系の人間が経営している宿だった。12ユーロという破格の値段なのだから何かしら訳があるのだろうとは思ったが、別に安くて眠れれば何でもよかった。ただ、荷物を盗まれないように最大限の注意は払った。

だが、僕が予約したのは次の次の日だった。この日はドミトリーが空いていなく、仕方なくシングルに泊まることになった。シングルは20ユーロだったがヨーロッパでシングル20ユーロは破格だということも知っていた。なおかつ次の日以降荷物を置かせてもらえることになり、とりあえず一泊目を何とかすることは出来た。

僕は疲れきって電気をつけたまま眠り、そのまま朝になった。窓から見える文部省の建物はさわやかだった。

トラステヴェレ

僕は荷物を置いて次の日に取りに行くからということを管理人らしきアラブ人の若者に継げて、外に出た。ようやく余裕が出てきて、ローマにやってきたという感覚が芽生えた。テヴェレ川から端を渡り、ローマ時代の遺跡や、イタリアの教会を見ながら、ローマの休日で有名な真実の口、ローマ帝国の遺跡フォロロマーノ、イタリア統一の象徴であるヴィットリア2世記念堂からヴェネチア広場のあたりを歩いた。僕はローマに一度来たことがあるにもかかわらず、一人感動し、一人テンションが上がり、歩いて、ちょっと立ち止まって歩いて、を繰り返していた。

フォロロマーノ

ローマの銅像

ヴェネチア広場

ローマ

ヴィットリア2世記念堂

ヴェネチア広場

ローマの遺跡

真実の口

ずっとローマに来たかった。ローマは僕にとって世界一訪れたい場所だった。一度訪れているにもかかわらず、もう一度来てローマを見たいと。日本にいたときには中南米よりもむしろヨーロッパ、その中でもイタリア、その中でもローマだった。日本にいたときに世界一周したいと思ったのはローマをもう一度訪れたいという思いからだった。初めてローマに来てから6年、もう一度ローマに対する想いを持ってから3年、旅を続けて1年が経過して、ようやく僕はもう一度ローマに訪れることができた。

その想いはパンテオンを通ってナヴォーナ広場に着いたとき爆発し、僕は感極まった。僕はナヴォーナ広場にもう一度来たかった。ナヴォーナ広場で、この芸術の広場で絵を見ながら、教会見ながら、噴水を見ながら、ただ座ることは僕にとって、一番の夢だった。僕はこの夢を叶えるためにお金を貯めた。もちろん世界中行きたいところは山ほどあった。マチュピチュもウユニ塩湖もイグアスの滝も見たかった。しかもこのナヴォーナ広場は一度来ている。でも、理由は分からないけれど、僕はこの変哲も無いこの広場に世界中のどこよりも一番来たかった。

僕はごく普通に泣いた。他の旅行者が見たら変な人だと思われるのが嫌だったので、端っこのほうに行きながら一人で泣いていた。何で泣いているのかよくわからなかったけど、一人で泣いていた。

ナヴォーナ広場

ナヴォーナ広場

ナヴォーナ広場で偶然日本人とであった。彼とは前日に30ユーロの宿で知り合っていて、そのまま一緒に観光し、イタリアのワインでも飲もうかという話になった。テルミニ駅のスーパーではワインが一瓶3ユーロで売っていてそれを彼とシェアした。僕は彼の泊まっている一泊30ユーロの宿のキッチンに忍び込み彼と一緒にワインを飲んだ。

そのまま彼ともう一人の世界一周系バックパッカーの女性と、3人で夜中まで話していた。この宿の踊り場で寝てしまおうかと思ったが、結局スタッフに見つかりそうになり宿を逃げ出した。

僕は夜中の1時に宿が無い状態で野宿の場所を探した。そしてその3分後に都市部で野宿は不可能ということを知った。どこを探しても眠れるような場所が無い。駅はしまっていて外にはホームレスが溜まっている。ここで寝たら荷物を盗まれる可能性が高い。テルミニ駅周辺は黒人が溜まっていて襲われたら終わる。駅の近くの24時間オープンのマックで寝たが起こされた。仕方が無く僕はホテルの入っているビルの中に入り込みそこの踊り場で眠った。だが、結局寒さと、人に見つかる怖さで物音に神経質になり、ほとんど寝付けず、寝ても変な夢を見て、朝5時半には起きた。

僕はそのままバスに乗り宿に戻った。朝日と共に写るコロッセオは綺麗だったが、それを綺麗と思う余裕すらなかった。

コロッセオ

たかだか12ユーロを浮かすためにここまで怖い思いをしている自分を本気で馬鹿だと思った。

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