エジプト旅行記





~イスラームの国~

ドイツからエジプトまではそんなに時間はかからなかった。

シャルムイッシェーフというシナイ半島にあるリゾート地に着いた。僕以外の乗客は全員バカンスにきたドイツ人だけだった。

エジプトは入国にビザが必要だが国境で取得できると言うことは以前から知っていた。ビザは15ドルで取得でき、取得と言うよりはむしろ購入と言うような感じだった。

だが、僕は機内に預けたバックパックの中に現金を入れていて15ドル持っていなかった。入国審査はビザがなければできずビザは入国審査後にバックパックをとりに行かなければならないと言うコントのような状況になった。ペルーでも同じような状況になった気がして、学習能力のない自分が笑えてきた。

入国審査官に事情を説明し、バックパックをとるためにスタンプなしでイミグレをわたりバックパックを探したがなかなか出てこなかった。バックパックを取り、ビザを買い、イミグレで入国審査を終えたときには、周りには誰もいなくなっていた。

「どうやってバスターミナルに行けばいいんだろう?」と思いながら空港のまわりをうろうろとした。ガイドブックがないと何もわからない。警備員らしきエジプト人に聞くと、空港かバスターミナル行きのバスはないらしかった。しばらく歩いてみたが、確かに砂漠と道路しかない。「ここはどこだ?そもそもシャルムイッシェーフってどこだ?」僕はなんとなく楽観的に考えていた。

しばらくするとタクシーが現れた。値段交渉をすると思いっきり値段がさがる。ここはやっぱりエジプトなのだと思った。僕はタクシーに乗ってバスターミナルに向かった。

ターミナルに着くと、建物の匂いに懐かしさを感じた。何かが焦げたような匂い。この匂いは僕にとってイスラム教国特有の匂いだった。7年前を思い出した。7年前、大学生のとき、僕は確かにレバノン・シリア・ヨルダン・イスラエル・パレスチナ・エジプトを旅した。そしてイスラムの国に魅了された。ここはイスラームの国。僕を魅了したあのイスラームの国。

ここに一泊しようかと思ったが、ここは完全にリゾート地らしく安い宿はなかった。バックパックを持って夜道を歩くことに限界を感じ、僕はカイロ行きの夜行バスに乗ることにした。カイロだ。ようやくここまで来た。あのカイロで、あの人と再会できる。胸は躍った。



朝方、カイロに到着した。夜行バスはゆれ、眠ることはできなかった。アザーンが流れ、街にはモスクがあふれ、男は白いイスラームの服を着て、女はヒジャブーを被るかブルカを着ている。間違いない。ここはエジプトだ。僕はエジプトに来たのだ。

確かタフリール広場というところのあたりに安宿は集中していたはず、僕はガイドブックがないために7年前の記憶を頼りに、タフリール広場を目指して歩いた。

僕の予想に反して、タフリール広場はひっそりとしていた。それはエジプト革命の影響なのか、単純に朝だからなのかはわからなかった。7年前に止まったイスマイリアハウスという宿に行こうかと迷ったが昔の思い出を壊したくないと思い、適当な宿に泊まったが、次の日に偶然あの汚いエレベーターを見たとき、僕はすべてを思い出し、イスマイリアに駆け込んだ。

僕が7年前にここにきたことがあるというと、宿のスタッフは僕のことを覚えていると言った。別の人と勘違いしているのか、覚えているとだけ言いたかったのか、本当に覚えているのかはわからなかったが、その気持ちは嬉しかった。

僕はあの人に会うまで、イスマイリアに泊まろうと考えた。イスマイリアには何人か日本人バックパッカーはいたものの、昔のような活気はなかった。7年前は日本人や韓国人・欧米人でごった返しており、もっとガヤガヤとうるさかった。

活気がない。それはカイロ全体に言える事だった。金曜日には大規模なデモも起こり銃声もなった。何よりもどこにいっても外国人がいない。それがエジプト革命後のエジプトの現実だった。

だが、今の僕にとってはあの人と会うことだけが目的だった。あの人と会えさえすれば何でもいい。あの人と一緒に旅行をして、またあの三茶のゲストハウスのときのように感情をシェアできればなんでもいいと。ありがとうと言いたいと。それだけを思ってわくわくしていた。むしろ会えること自体が信じられなかった。

時間も場所も約束した。午後2時にタラートハルプ通りのキングトゥトというホテルの前で。

Yよ。色んなことがあったけど、ようやく会えるね。ペルーで強盗に遭った時は絶望的だったけど、なんとかここまで来ました。あなたも心細い中ここまで来てくれているのだと思います。本当にありがとう。来てくれてありがとう。

僕は「ありがとう」という言葉を反芻しながらイスマイリアのドミトリーで眠った。胸は常にときめいていた。

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