イタリア・ナポリでカウチサーフィン



イタリアの小さな街で

~イタリアの小さな街で~

僕はローマにいたときにナポリのホストファミリーを見つけるために毎日カウチサーフィンとにらめっこをしていた。毎日毎日ホストファミリーにアプライしては断られるということを繰り返し行っていた。それはローマのホストファミリーも同様だった。ホストはほとんどが男性であり、基本的に女性のカウチサーファーを求めているようだった。女性はホストは出来ずお茶のみという人がほとんどで男がホストファミリーを見つけるのはかなり難しかった。

だが、そんな中で男をホストしてくれる人はそれだけいい人であるということも出来る。

僕はこのローマと違い、ナポリでは2組のホストファミリーを見つけた。それぞれ日程も合っている。僕は5日間のナポリ滞在を予定しており、最初の2日間はカゼルタというナポリから1時間ほど言ったところにある街のダリオという男のところへ。残りの3日間はジュリーという男のところへいくことになっていた。

どちらもネット上で気さくに僕をホストしてくれるという返事をくれた。ただ、トルコもそうだったように、男だけの家に泊まるのはちょっと怖かった。彼が家族と暮らしているのか一人暮らしなのか、友達と暮らしているのかも分からなかった。もし脅されておあ金を取られたらどうしようということも考えた。自分からアプライしておいて申し訳なかったがどうしてもこの怖さは避けることが出来なかった。

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列車はナポリ中央駅に到着した。ナポリ中央駅周辺はここがヨーロッパかどうかを疑うほどに黒人があふれていた。僕はダリオに連絡したが電話が繋がらず、黒人だらけのインターネットポイントに行き、カウチサーフィンからメッセージを送った。偶然彼はオンラインになっていて「電話番号を間違えた。ごめん」といって新しい電話番号を送ってくれた。そして僕らはカゼルタの駅で待ち合わせをすることになり、カゼルタ行きのバスに乗ろうとした。バス停がどこにあるか分からず道行く人に聞いても英語を話す人がほとんどいなかったためバスに乗るのには苦労した。だが、ナポリの人はどこか明るくお調子者で段々と楽しくなってきた。

1時間ほどでバスはカゼルタに着いた。僕は公衆電話からダリオに連絡し数分後に彼は友達と一緒に車で迎えに来てくれた。大学生の彼は英語を話すことが出来たので何とかコミュニケーションをとることができた。

ダリオは僕を家に連れて行った。ダリオの家に着いた瞬間に彼は僕を脅して金を取るようなことはしないということが分かった。それは彼の家は完全に金持ちの家であり、日本にいるときの僕よりも明らかにいい暮らしをしているからだった。

彼は家族と住んでいた。お父さんとお母さんと姉。姉のサラはイギリス留学していたため英語が出来た。僕はサラとダリオとは英語で、お父さんとお母さんはイタリア語しか話さないため、彼らに通訳をしてもらってなんとか話をした。彼らは完全に上流階級の家庭だった。

お母さんはご飯を作ってくれ、僕は生まれて初めてイタリアの家庭料理を食べた。肉料理・野菜料理、パンがついてワインもつく。ワインを飲みながらソーセージを食べてパンをほおばった。数日前までローマでホームレスに近かった男はカウチサーフィンのおかげで一気に上流階級の食事ができるようになった。

ナポリを中心とするカンパーニャ州はトマトとモッツァレラチーズの産地であり日本人がイメージするここの料理はイタリア料理そのものだった。ピザも日本でも有名なマルゲリータはここが産地であり、彼らはそれに誇りを持っているようだった。

あまり料理について知らない僕でもモッツァレラチーズは知っていた。イタリアはパルマの生ハム、ナポリのモッツァレラ、などの食品やワイン、エスプレッソ、カフェラッテなどの嗜好品が伝統的に今でも作られている。僕はこういうヨーロッパの伝統的な食品作りへの情熱が好きだった。そしてイタリアにきたらピザやパスタは当たり前として、モッツァレラチーズ、生ハム、ワイン、エスプレッソ、カフェラッテだけは試したかった。

ローマのチェーン店の安い食事とは違って家庭料理はどれも美味しかった。中でもモッツァレラは格別だった。水牛の乳から作る卵のようなチーズ。これだけはイタリアに行ったときに絶対に一度食べてみたいものだった。ローマにいたときは予算の関係で食べるかどうか迷っていたけれどここに来て偶然食べることが出来た。

モッツァレラチーズと赤ワイン。そして食事を終えてエスプレッソを飲んでソファで落ち着く。これ以上の幸せはなかった。僕はイタリアを堪能した。

ダリオの家族と昼・夜と食事をして、他の時間は彼の部屋で彼の好きなロックを聞き、グダグダとどうでもいい話をして盛り上がり、そして夜は街に出かけた。ちょうどこの日は金曜日・土曜日であり、若者は街に繰り出していた。ダリオと彼の友達はビールを買い、道端で飲んでいた。「イタリアでは道端で飲むのが普通だよ」と彼は言い、僕は数人のイタリア人の若者と一緒に道端でビールを飲んで、話を聞いていた。ダリオ以外はあまり英語を話さないため、直接話すのは難しかった。ビールが進むとあの緑色のお酒を飲み始める。これはイタリアでも普通のことだった。「俺たち悪い人だから!」と彼はいい笑顔で言った。

彼らは楽しくくだらない話をして、ダリオは若者らしく彼女を見つけるために頑張って、世界のことを勉強していて、旅に出たいと言い、ネットで友達と連絡を取り、アイフォンを使う。国ごとに文化が違うといっても結局は皆同じなのかなと思った。ネットが発達すればするほど、世界が狭くなって、国ごとの境目がなくなっていく感覚はこの旅の中で生まれた。結局は人はみんな同じで同じ様なことを考えていて、同じことを悩んで同じように成長していくのかなと。

このイタリアの小さな街では何故か男は全員完璧にイケメンであり、女は異常に綺麗だった。僕はここまでイケメンと綺麗な女性に囲まれたことは無かった。それは彼の家族も一緒だった。サラは日本のモデルより綺麗で、お母さんは貴婦人のようなヨーロッパのお母さんで、お父さんはダンディーだった。イタリアの小さな街で俳優のようなイタリア人男性とモデルのようなイタリア人女性に囲まれ、思いっきりしょうゆ顔をしているアジア人は一人酔っ払いながら、また若干頭が決まりながら楽しんでいた。

・・2日間はあっという間に過ぎた。2日間では足りなかった。だが、彼らには生活があり旅行者が普通に暮らしている人の生活の邪魔をすることは出来なかった。短期間だけでも僕はイタリアの一般家庭の中に入って、イタリア料理を食べて、イタリア人に囲まれて、広場でビールを飲んで、緑色のお酒を飲んで、彼らが喋っているのを聞いているだけで十分だった。こういう経験は単に旅行をしているだけではなかなか出来ない。そしてこの旅行中に何回もこういう経験をしながらも、こういう経験だけは好奇心を失うことは無かった。

僕は家族と一緒に記念写真を撮り、お父さん・お母さんとベシートをして、サラとハグをして、家を出た。こんな温かいホストファミリーは人生で初めてだった。お父さんもお母さんもイタリア語しかはなさなくてコミュニケーションをとるのは難しかったけど、それでも彼らのホスピタリティーや温かさはその笑顔や雰囲気から十分に伝わってきた。お母さんは最後に満天の笑顔でサンドイッチを作ってくれ、ペットボトルのミネラルウォーターとビスケットを袋に入れて僕にくれた。いつものように僕は泣きそうになった。

僕は「チャオ」と言って家族と別れダリオと一緒にカゼルタの駅に向かった。

ダリオとおしゃべりをしていたら列車はすぐにやってきた。僕は彼に「グラッツィエ」を連発し、彼と握手をしてから列車に乗り込んだ。ダリオは結局ただ、外国人と絡みたいだけだった。ただそれだけだった。純粋に外国人に興味を持って、純粋に外国人とコミュニケーションを取りたいだけだった。僕はそれに応えた。僕は外国人として彼と一緒に話をし、一緒に笑いあった。

別れ間際、このロック好きの好青年はニコリと笑い満足したように帰っていった。彼が去った後、僕は心の中で「本当にありがとう」と言った。

僕はカゼルタで有名なヴェルサイユ宮殿を模倣して造られたという王宮の中へ入らなかった。天気が悪いのもあったが別に行かなくてもよかった。それはいつものように、僕にとって旅行は観光だけではなく、人とのコミュニケーションであるという軸をぶらしていなかったからだった。

列車はすぐにナポリへ到着した。僕はナポリ中央駅の中のベンチで次のホストを待っていた。

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