旅小説ロンドン





~灰色の空の下で~

エジプトで別れてすぐ、Yは僕との関係を考えたいといった。

彼女が僕との関係を考えたいと思った理由はいくつかあった。それは一つは長期旅行者と短期旅行者の感覚の違いであり、一つは僕が彼女に対して歩み寄りができずに自分のことばかり考えていたことだった。

だが、一番の理由は極めてプライベートなことだった。それを僕はエジプトで彼女に見せた。その一つの原因により彼女は僕の恋人になることをあきらめた。それは僕にとってこの上なく悔しく、また悲しいことではあったが僕には旅というものがあり、そこにその悲しさもぶつけることができた。だからこそ、僕は彼女に一切の悲しさを見せることなく、「Yの好きにしていいよ。俺の大好きなあなたが決めたことなんだったらそれが正しいんだよ。無理しないで」と言った。その言葉に嘘はなかった。辛かったけど、彼女に未練があるようなそぶりはしたくなかった。潔さを見せたかった。

イスタンブールにいたときに、僕はYから恋人関係をやめたいというメッセージを貰った。その時に僕は、すでに自分の気持ちに整理がついていたため、また自分の旅に集中してほかの事を考えている余裕がなかったため、たいして気にもとめなかった。友達に戻りたいのなら戻ればいいと思っていた、それが彼女の意思ならばしょうがないと。

その後、僕らは一度だけチャットをした。それは「友達に戻りましょう」という彼女のあのときのメッセージどおり、僕は友達として彼女と話しをしようと思った。また仲良くなるのだろうと思っていた。向こうが気まずくて話しかけにくいのかもしれないと思い、彼女を気遣って自分から話しかけた。僕にも悲しい気持ちがあったけれど、その気持ちは隠していた。

だが、その気遣いに反して、そのときの彼女は異常なまでに冷たかった。何を聞いても一言しか返してこない。その時は夜遅かったため、僕は何も言わなかったが、数週間後の今、ここロンドンで、僕はもう一度彼女にメッセージを送った。

「関係を修復したい。昔のように友達として仲良くなりたい」と僕は彼女に言った。これは僕の本気の願い50%、残りの50%は彼女への思いやりだった。彼女がまた傷つくのが嫌だった。僕と関わった事で彼女が嫌な思い出を持つのが嫌だった。

そんな自分の思いと裏腹に、「それは無理です」と彼女は言い切った。その返信は意外なほどに、怒りと失望に満ちていた。彼女は別れたいと言った後の僕の返信が気にいらなかったようだった。

だが、僕はそんなに変な返信をしたつもりはなかった。彼女は僕の文章を一つ一つ引用し、一つ一つに文句を言った。あの仲がよかった頃のYとは思えないほど、文章には怒りと憎しみがこめられていた。

いろんなことを言っているが結局は僕があまり彼女を気にとめなかったことが嫌なのだろうと、恋人関係を考えたいといったときに「好きにしていいよ」と言い、恋人関係をやめますといったときに一切傷ついているそぶりをみせずに「いい友達になっていこうね」というこのあっさりした感じが嫌になったのだろうという推察は容易に出来た。

だが、それは、自分の悲しい気持ちを見せたくないから、あの人を傷つけたくないから、煩わしい思いをさせたくなかったから、あっさりと「好きにしていいよ」と言ったという気持ちもあった。

また、彼女は自分が持っていた想いが理想とかけ離れていた。それが僕の極めてプライベートな問題、僕の体の問題と言ってもいい根本的な部分、それを全否定してきた。そのことで自分は悲しい思いをしているといい僕を攻めた。「あなたをこれだけ想っていたのに、エジプトであなたと会って幻滅した」と彼女は言った。「あなたをずっと想ってずっと我慢してエジプトまで行ったのにこんな結果になった。」「あなたのその性質のせいで私は傷ついた」「それなのにあなたは謝らないでのうのうとしている」というような言葉を表現を変えて何度も言った。

彼女は僕の或る一つの性質を受け入れることが出来なかった。僕はその性質を直そうと思っていたしまた、彼女となら直せると思っていた。だが、彼女はこの性質を「変えようともしないで私を傷つけた」と何度も言った。

・・・彼女は僕の努力を一切無視し、自分だけが傷ついたと何度も何度も言った。この人は僕も傷ついているということが理解できないのだろうか?自分を全否定されて恋人関係をやめますと言うことで一人の人間が傷つくということは理解できないのだろうか?それとも理解しようとしていないのだろうか?

だが、僕は謝った。ここまで自分を否定されても、自分の悲しいという感情や悔しいという思いを捨てて申し訳ないというメッセージを返した。それは彼女を最後まで傷つけたくなかったからであり、友達としていい関係に戻れるということを最後まで信じていたからだった。また、ここで怒っても彼女はそこでまた「傷ついた」と感じるだけであり、無駄だとも思った。まずは我慢して彼女の話を全部聞いて、ひたすらに謝って、そこで話をしていくほうが建設的だというよくわからない目算もあった。 とりあえずスカイプで話し、話をしながら自分の怒りをマイルドにマイルドに伝え、そこで彼女も僕を全否定してきたことを少し反省して、そのまま友達として仲良くやっていける。と信じていた。



「あなたは、前編のブログで何度となく出会った人への感謝を語ってきたはずです。そして自分もそのような優しさを持ったいい人になりたいと言っていたはずです。 でも、実際エジプトであなたはそれを実行できていません。私のことを好いていたにも関わらず、エジプトにいた時も、帰国してからも、あなたは自分のことし か考えていません。少なくとも私からはそう見えます。どれだけ言葉で理解していても、それに行動が伴わなければ何も意味はないと思います。 」

中略

「そうだとしたら、やることは一つ。上記に書いたように、今は旅に熱中してください。あなた自身が、メールやブログに記した言葉に、どこまで真摯でいられるか。それだけに立ち向かってください。そうでなければ、あそこに記した言葉はただのきれいごとです。」

「帰国して話すその時に、それを実行することができたか否かの変化は、あなたから自然とにじみでてくると思う。それを私は見たいのです。」

・・・・その返事は一見まともで、一見善人のように見えるメッセージだった。ちゃんと読み込まなければ僕は彼女に感謝し、自分が悪で彼女が善であると思ってしまうほどこの文章には力があった。

だが、ちゃんと読み込み、考えると、結局は僕のことを否定しているに過ぎないものだった。しかもそれはここまでやってきた長期旅行そのものを全否定するものであり、それは自分自身を否定されるよりも辛いものだった。

また、僕が自分勝手なのはすでに承知の上で好きになってくれているものだと思っていた。僕は自分から恋人になりたいと彼女に言った事はなかったし、思ったこともなかった。なのに勝手に僕を好きになり、自分の中で勝手に妄想を膨らまし、何故かいつの間にか僕の感情を一切無視し、彼女の脳内で僕が悪になり、彼女は被害者になっている彼女の自分勝手さが許せなかった。

・・・僕は本気で切れた。今まであんまり友達や恋人に切れたことはなかったけれど、本気で切れた。自分は全否定されてもかまわないけれど、自分の旅のスタイルや旅行そのものを否定されるのは絶対に許せなかった。

僕は宿を移動すため、ホルボーンからノッティングヒルまでバスに乗り、宿にチェックインしてから言いようのないストレスと怒りでずっとノッティングヒルの辺りを歩いていた。そして宿に戻り、イライラをメールに書いた。これを送ってもう関係を終わりにしようと思った。

「あなたに対して俺は常に寛容だったと思います。常に怒らないように、あなたに対して自分が傷ついているところを見せずしてきました。それはあなたを傷つけたくなかったからです。」

「ですが、もう限界です。」

「あなたのメンヘラにはもう付き合いきれません。俺はベストを尽くしました。あなたのメンヘラにベストを尽くしました。」

あなたのその「自分は常に悪くない」という姿勢。自分は悪くない。自分はいつも被害者。自分はいつも誰かのせいで傷ついている、、、、、」

・・・・こんなことをメールに書き綴り、自分のイライラを抑えた。文章を書けば書くほどに自分の怒りは抑えられた。

僕は冷静になり、怒りのメールを保存し、それとは別に「日本に帰ったら電話くらいはするかもしれない。あなたのことが好きだから色々と思うことはあるが何もいいません」とだけメールを返した。

すると彼女は「そんな程度の認識ならもうさよならだね」と言ってきた。

・・・どうしようか?言ってしまうか?すべての感情を言ってしまうか?僕は考えに考えた。

だが、あの怒りのメールを送る気にはなれなかった。こんなに怒っていても彼女を傷つけたくはなかった。そこで、あの怒りのメールをマイルドに、そして前向きに冷静に書き直した。

自分の性質を全否定されても悲しい顔を見せなかった悲しみが分かりますか?努力してあなたに合わせてきたのに、また自分の性質をあなたとなら変えれると思って喜んでいたときに恋人のとの関係を考えたいといわれ、そして最後に男として全否定された気持ちがわかりますか?それでも辛いと一言も言わずに前向きに返信した気持ちが分かりますか?自分を全否定されてもあなたを傷つけないためにひたすら謝り続けた気持ちがわかりますか?それなのに最後に「自分のことしか考えていない」と言われた悲しみが、、、、

・・こんなことを書いてメールで送った。

このメールを送って向こうが関係を断ちたいというのならそれはそれでいいだろう。僕はある種の諦めもすでに持っていた。

メールを書き終えた僕は本気で切れたときのメールを読み直してみた。読み直せば読み直すほど、それが本音であるとも思った。

・・・・「あれ、送信されてる。」

気がついたらそのメールは送信されていた。完全な誤送信だった。僕は一瞬焦ったが、それはそれでよかったと思った。僕は彼女に自分の本当の気持ちを分かってもらいたかった。

だが、彼女を傷つけることにはなるだろう。今まで傷つけないようにやってきたつもりだったが、初めて僕は本音を漏らし、本気で傷つけることを言った。そう考えると、その罪悪感であまり眠ることは出来なかった。

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朝、最悪の宿で僕はブラウザを開いた。

ロンドンの空は灰色だった。天気は常に悪かった。

Yと僕はもう、傷つけあうことしか出来ないのだろうか?僕は、彼女と友達として、この旅を始める前に戻りたい。それだけだった。だが、あまりにも彼女は自分勝手すぎた。僕はもう限界に来ていた。

いつの間にか、日本のパソコンのプラグを海外のものに変える変換プラグを紛失した。探しても探しても見つからない。仕方なく新しいものを買った。高かった。なのに、それは2回使っただけで壊れた。宿は暗い。何もかもが最悪。。。何もかもがうまくいかない。何をやっているのだ?僕は何をやっているのだ?

彼女からメールは返ってこない。3日経っても帰ってこないのならば、僕は彼女との縁を切ろうと思った。であったときから多くの思い出がある。この旅中も何度も助けてもらった。感謝している。その彼女と、あの文学少女とこんな風になる日が来るとは、、、、僕はショックが大きすぎて欝になった。

もう、何も出来ない。僕はロンドンの灰色の空の下、ただ歩くことしか出来なかった。旅を続けるのか?旅をやめるのか?旅は、、、どうなるのか?人生はどうなるのか?お互い、心の支えだった。それは恋人であっても友達であっても一緒だった。なのに、何故、こんな結果になるのか。全く理解できなかった。

前向きに考えることはできなかった。悲しくて涙が出てきた。

もう、ロンドンは、何なのか、わからない。ロンドンの灰色の空の下で、僕は、一体、何をしているのだろうか?

日本に帰ったときに僕は何をするのだろうか?僕は、どういう人生を歩んでいくんだろうか?目の焦点が合わない。

ロンドンという大都会は、僕に優しくはなかった。ただの冷たく寒い大都会だった。



ノッティングヒルから当てもなく歩いた。ガイドブックも地図もなくとりあえずふらふらと歩いた。気がついたらバッキンガム宮殿のある通りについて、そのままビッグベンまで歩いた。テムズ川は茶色い。空は灰色。何度見ても、決していい彩ではない。僕はそのままロンドン塔に向かった。

・・・・何故なのだろうか?僕はたった3、4時間歩いただけで一気に立ち直った。僕は躁鬱なのだろうか?ただ、立ち直りが早いだけなのだろうか?いや、この二つは同じ意味だ。ただ、表現方法が違うだけだ。

テムズ川からロンドン塔を見たとき、数時間前まで涙まで出てきて悩み、考えていた問題を、あっさりと、きわめてあっさりと吹っ切った。むしろ肩の荷が下りた気さえした。すべてがすっきりした。ロンドンの空は何故かすでに灰色ではなくなっていた。つい4時間ほど前まで灰色で暗かった空は、綺麗な夕日が差し込んでいた。

僕は彼女に最後のメッセージを送ろうと思った。彼女が僕が何故怒ったのかが分からなければ、もういいと。もし分かったのならば連絡くれればいいと。もちろん彼女が自分が怒った理由を少しでも考えてメールをくれるという一縷の望みは持っていた。

宿に行きメールを送ろうと思ったとき、彼女はすでに僕のフェイスブックを削除し、携帯のメールアドレスを受信拒否していた。その時にはもはや「もういいや・・・」としか思わなかった。見てるか見てないかは分からなかったが、ミクシィは削除しているのを忘れていたようだったので一応、ミクシィでメッセージを送った。メッセージを送ったときにはすでに「見ても見なくてもどちらもいい」と思っていた。

僕は彼女との関係修復に全力を尽くした。自分も悪いし彼女も悪かった。それをあえて僕は途中まで、彼女がこの旅を否定するまでは、自分だけが悪いと言い、ひたすらに謝り続けた。その前から僕は彼女のことをひたすらに肯定し続け、そしてひたすらに彼女の思うとおりに動いてきた。だが、それは伝わらなかった。

なぜこうなったのだろう?三茶で出会ったとき、旅立ったとき、旅立った後に想いを伝えられたとき、僕らは幸せの絶頂だったはずだった。その時にはこんな風になるとは想像も出来なかった。不思議だった。たとえ恋人にはならないとしても、僕らはうまくやっていけると信じていた。

だが、まったくと言っていいほど悲しくはなかった。僕は一切の感情がなかった。そして徐々に、言いようのないほどの開放感が生まれた。

こうして、1年半ほどの付き合いは終わった。間違いなく、彼女は友達のときはこの上ないほどに素晴らしい人間だった。それは間違いのない事実だった。そう考えると思い出の品を見ても悲しくはなかった。それはその思い出の品を受け取った時点では僕らの関係はこの上ないほどに素晴らしいものだということは変えられない事実であるからだった。

僕らは恋人のような関係になったときにおかしくなった。それは極めて普通のことだった。僕は自分のやりたいことだけをやり、自分がずっとやりたかったことをやっていた。その中で出来る限り、僕は彼女のことを考えていた。だが、結局は自分のやりたいことは邪魔されたくなかった。また、彼女も僕にやりたいことをさせてあげようとおもっていた。それが、いつの間にか我慢できなくなり、徐々に不満が溜まっていったのだという推測は容易にできた。

これは夢を追っている男女にとって、そしてそれが共通のものではない男女にとって、ごく普通のことだった。僕らはごく普通に恋人としての関係を終え、そして友達にも戻れなくなったという、極めてごく普通の男女の関係であった。

彼女が僕にくれた最後の問いは結局僕は誰がために生きているのか?ということだった。夢を叶えたいと世界一周をはじめ、世界一周という夢の途中にあって、僕は自分のことしか考えていなかった。彼女のことを考えて旅がつまらなくなることは避けたかった。そう考えれば僕は、最後に怒った理由を客観的に見ても、旅という得体の知れないものに全力を掲げ、所謂自分の夢を叶えようとしていた。夢などという曖昧な、そして旅中一度は否定したものを叶えようとしていた。

何かを得るためには何かを捨てなければならない。僕はどちらも取ろうと頑張った。この世で唯一愛した人と、そしてこの世で一番愛した人をないがしろにするほど好きな、この長期旅行というものを両方取ろうと頑張った。だが、結局はどちらかを選ばなければならない瞬間はやってきた。

あの時、エルサレムにいたときにもっと彼女を気遣って連絡を取っていれば、スカイプを使って話し合っていれば、イスタンブールで恋人関係をやめたいとメッセージを貰ったときに引き止めていれば、或いは理由を聞いていれば結果は違っていたかもしれない。

根本的な理由は自分の極めてプライベートな所にあった。彼女は僕の性質を恋人としては受け入れられなかった。だが、それ以上に、僕が彼女を気遣えなかったところに、むしろ気遣って「Yの好きにしていいよ」と常に言ってきたことに、彼女の思うようにしてあげたいから、勝手にしてといわんばかりに何も感知しなかったことが、自分の旅に集中したいがためにそういう男女の面倒なもめごとを避けたから、こうなったのだろう。

結局は結論は何も変わっていなかった。「Yのこと好きだけど、旅の方が好き。」これは三茶にいたときに、出会って3日目くらいで伝えたことだった。これだけは1年半たった今もまったくぶれていなかった。こんな風になってまで、傷つけあって好きな人に旅を全否定されてもたった数時間歩いただけで立ち直ってしまうことを見ても、僕は旅以外見えていなかった。

「そこまでして想った一人旅というものを、もっと続けよう。」

僕の中に、この何が起こるかわからない世の中での自分の未来を、「どうとでもなれ」と思うある種のニヒリズムと、人生における開放感が生まれ始めてきていた。

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