エジプト旅行記





~誰がために~

僕らは出会った瞬間にハグをした。
そのハグは強かった。10ヶ月間、二人が会えなかったことを一気に解き放ったような感じだった。

僕は彼女にペットボトルの水を渡し、ここまで来てくれたことを感謝し、労をねぎらった。

僕と彼女はテンションが一気に上がり、空港から市内に向かった。僕は事前に宿の場所を調べていて、キングトゥトホテルはタフリール広場からタラートハルプ通りをまっすぐ行ったところにあり、小さい看板が立っていたのを前日に確認していた。

空港から市内に行くバスは中々こない。普段なら面倒だと思う海外では当たり前の光景も、彼女と一緒だと楽しくてしょうがなかった。やがてバスは来た。バスを待っているときも、バスに乗っているときも、宿まで歩いているときも、僕は彼女と一緒にいて、三軒茶屋にいたころと同じように、ただ、話をしているだけで幸せだった。僕はこの時、ずっと捨ててきた、ずっと忘れていた恋というものをしていた。

宿に着くと、彼女は僕のクレジットカード、パソコン、喘息の薬、音楽が入っているUSBを僕に渡した。これは僕がペルーで強盗に遭ったあと、日本で再発行し、家族に頼んで彼女の元に送ってもらい、彼女に持ってきてもらうようにお願いしたものだった。これですべての装備が整った。ようやく、僕は旅人として、バックパッカーとして、旅を完璧に続行できる状態にまで戻れた。

僕はあえて彼女に頼んだ。それは彼女に全幅の信頼を寄せていたからだった。自分の持っているすべてのクレジットカードを一時的にであれ他人に預けるということは誰であっても怖い。家族から大使館経由のほうが安心はできる。だが、僕はまだ知り合ってから1年半にも満たないこの文学少女を信じた。たった1年半しか付き合いがないにもかかわらず、僕は彼女を家族同然に思っていた。また、これ絶対に彼女に会うためにエジプトに行くという意思表示でもあった。彼女と会わなければ僕は旅を続行できない。

あまり素直に面と向かって「ありがとう」言えず、ちょっと照れ隠しのように「ありがとう」と言うと、彼女はどっと疲れが出たようでベッドに横たわった。僕は自分が思っていた以上に彼女は精神的な重みを感じていたのだなと思い、「ごめんなさい」とそしてさらに「ありがとう」と心の中で思った。

「私はあなたが好きです。」と彼女は突然僕に面と向かって言った。もう言わなくても、言葉がなくても、雰囲気で伝わってくる。僕は幸せだった。うまく表情に出せなかったかもしれないが、僕の心は感謝と愛情で満たされた。

僕らはコシャリを食べ、エジプト人のおじさんたちと同じようにチャイハネに行き、水タバコを吸いながらチャイを飲み、ただひたすらに語り続け、笑い続けた。彼女はタバコが尋常ではないほど嫌いな人間だが、水タバコは楽しんでいた。

好きな人とただ一緒にいる。幸せとはこういうものだと、数年ぶりに恋というものをを思い出した。

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いつの間にか、賭けの途中にもかかわらず、僕らは恋人になった。

恋人として、僕たちは二人で、ピラミッドに行った。バスで行こうとしたが彼女は短期旅行であり時間がなく、結局タクシーで行くことにした。道は込んでいた。

ピラミッドの前のピザハットの屋上にいくと、彼女は号泣した。スフィンクスとピラミッドが目の前に厳然とそびえ立つ状態は彼女を号泣させるのに十分であることはなんとなくわかっていた。日本にいたときから、彼女はピラミッドに対しての思いを僕に語っていてくれていた。

僕はしばらく彼女を一人にさせようと思い、水を買いに行った。彼女のピラミッドに対する強い思いを知っているからこそ、僕は何もできなかったし、何もする必要はなかった。僕は彼女が泣いて、そして喜んでいる隣にいるだけで幸せだった。

その後、ピラミッドの中に入り、しばらく、二人で誰もいないピラミッドを歩いていた。

僕たちはルクソールに行こうとしたが列車もバスもなぜかチケットが取れなかった。仕方なく僕らはカイロ一つに集中することに決めた。彼女は残念そうだったが、それはそれで楽しそうだと笑った。

僕らはイスラーム地区に行き、シタデルを見て、イスラームの礼拝を見て、オールドカイロに行き、とにかくカイロを歩いた。去年、旅に出る前に忙しくて25歳の誕生日プレゼントを渡したかったのに渡せなかったため、僕はドイツで若きウェルテルの悩みを買った。だが、それはあくまでも去年のプレゼントだった。それと同時に僕は彼女に26歳の誕生日プレゼントを買った。それはオールドカイロでエジプト人の客引きに連れて行かれた、ガラス細工の店だった。僕はここで買った水色のガラス細工を彼女にプレゼントをしたが、プレゼントを喜ぶ彼女よりも、彼女がオールドカイロでエジプト人と話し、笑っているのを見ているのが嬉しかった。

僕らは幸せだった。一緒にいて、一緒にご飯を食べて、一緒に歩いて、一緒にチャイを飲んで、一緒に話をして、一緒に感情を共有した。幸せだった。

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「違和感・・」僕が彼女と一緒にいて幸せながらにも、感じたことだった。僕は長期旅行者で彼女は短期旅行者。お金の感覚も時間の感覚も違っていた。僕は長期旅行者であり、時間に余裕がある。彼女は短期旅行者であり限られた時間の中で旅行をしている。彼女は旅行中、それなりにお金もあるが僕は常に節約をしながら生きていかなければならない。

そして何よりも僕と彼女は旅行に対する見方が全然違っていた。僕は良くも悪くも、海外に慣れてしまっていた。彼女の感動している姿を見て僕は幸せだった。だが、僕自身は2回目のエジプトということもあって、感動しなかったわけではないが彼女と感動を共有できるほどではなかった。

僕は自分の頭がいつの間にかバックパッカーになっていたことに気がついた。感覚がおかしくなっていた。旅に慣れていてどこか冷めている感覚、冷静ではなく冷めている感覚。悪い意味で怖いものがなくなってしまっている感覚。そしてそれを心のどこかでいいものとしてみていた。

日本で普通に働いて普通に暮らしている感覚。それを僕はいつのまにやら忘れていた。普通の日本人から見ればクレイジーな部類に入る彼女が僕をさらにクレイジーだと、悪い意味で言ったとき、僕はずっと忘れていた感覚に気がついた。

それはタクシーの値段交渉から、水の値段、現地人との絡み、日本人として、、、すべてにおいて、徐々に、そして確実に表れた。

なぜ、僕は彼女に対して歩み寄れなかったのか、もっと彼女のことを理解してあげられなかったのか、自分のことばかり考えていたことに気がついた。考えると申し訳なさと同時に悔しさがこみ上げてきた。

僕らは常に仲がよかった分、お互いに理想を抱いていたのかもしれない。彼女の理想に自分がついていけていない事実を僕は受け入れるしかなかった。それは僕も同じだった。僕らは一緒にいない時間が長く、そして一緒にいなかった期間で多くの経験をしてきていた。そこに齟齬が生じるのは考えてみれば当たり前だった。

誰がために生きているのか?今僕らは誰のために生きていて、誰のために死んでいくのか?それがお互い自分のためになっているとき、それは世間で「子供」と呼ぶ。自分以外の者のために生きられる姿を「大人」と呼ぶ。彼女は三茶にいたころ僕にこんな話をしたことがあったことを思い出した。

僕らはエジプトで6日間常に一緒にいた。その期間は恋人であった。段々とお互いの嫌な部分も見えてきた。そして議論をした。これはあくまで喧嘩ではなかった。お互いが冷静に話をした。それは僕の性質についてでもあった。僕は彼女の理想に対して現実が追いついていない自分を申し訳なく思った。相手に歩み寄れない思慮のなさを申し訳なく思った。だが、これは謝ってどうにかなる問題ではなく、今後、自分自身がどう変われるかという行動で示すべきものだとも思った。それは彼女も同じだった。僕らは相手を真剣に思っているからこそ話し合い、そして相手の嫌な部分も口に出して言った。

僕らはもう子供ではなかった。お互いが歩み寄って意見の違いを乗り越えて、共に人として成長していかなければならない年齢にまで達していた。だが、現実はそれについてきていなかった。恋愛の難しさを知った。愛するということは口で言うほど簡単なものではないのかなと思うようになった。

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出発の日の朝、僕らは前日から一睡もせずに朝4時に空港に向かった。搭乗は7時ごろだった。タクシーで空港に向かったときに見えた月は満月で朝日で赤く染まり、とても綺麗だった。僕らは最後の最後まで恋人っぽく、いちゃいちゃとしていた。

だが、あと数時間後にはまたお互いの生活に戻るという現実からは二人は逃げられなかった。彼女と一緒に日本に帰ることは可能だが、僕は一緒に帰るつもりは一切なかった。お互いの生活に戻るという現実を僕らは受け入れられないほど子供ではなかった。

搭乗時間に彼女はターミナルが違うことに気がついた。僕らは一緒にターミナルを探し、なんとか搭乗時間に間に合うことができた。それと同時に僕らはこの慌ただしい中で別れることになった。それはあくまでも僕ららしかった。僕らは常にロマンチックなようで全くロマンチックさがない自分たちを笑った。

最後の別れの瞬間、彼女は僕にハグをしてこなかった。

空港からの帰り、僕は眠くてあまり働いていない頭で二つのことを決めた。一つは僕は旅を続けるということ。もう一つは僕はタバコをやめるということであった。

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