~温かい家~
キャビンアテンダントに声をかけられて起きた。タラップを降りるとそこは雪景色だった。
寒い。イギリスやアイルランドも寒かったが、ポーランドの寒さはそれ以上だった。僕はダッシュでイミグレに向かいシェンゲン協定圏内の国へ再入国を果たした。
荷物を取り、ポーランドの通貨、ズォティをATMで降ろし、空港からワルシャワセントラルステーションに向かった。空港にはタクシーの客引きがたくさんいて、声をかけてきた。客引きに声をかけられるという経験自体が久しぶりだったため、逆に新鮮だった。
英語も通じない。僕は英語圏から出たということを実感した。たどたどしい英語をゆっくり聞き取りながら僕は一番安いバスと電車を乗り継ぐ方法でセントラルステーションに向かった。
どこまでも雪景色が続く。
セントラルステーションにつき、僕は昼食もかねてWIFIの繋がるカフェを探した。ショッピングモールのような所で一つのアジアンカフェを見つけ、ポーランドとしては相当高かったが昼食用の春巻きと紅茶を頼んだ。パソコンを開き昼食をとりながらアンナと連絡を取った。
アンナはカウチサーフィンでいきなり声をかけてきた。日本語を6年間学んでいる彼女は日本人と話すチャンスが中々ないので家に泊まりに来て欲しいというメッセージを送ってきてくれた。僕は即オッケーの返事を出し、フェイスブックとメールアドレスを教え、彼女から電話番号を教えてもらい、3時にワルシャワのセントラルステーションで待ち合わせの約束をしていた。
カフェでネットを開き彼女のフェイスブックにカフェの名前とここに来て欲しいというメッセージを送った。返事がなく、電話をしようとスカイプを開いたその瞬間に彼女はあらわれた。
彼女は6年間勉強していながら日本人と話すのはほとんど初めてだった。そこまで日本語がうまいわけではなかったが、僕はゆっくりとわかりやすい日本語で話した。英語で話せばお互い意思疎通はもっと簡単になるだろうが僕はあえてすべて日本語で話すことにした。日本語を学んでいる彼女には、たとえ最初は理解できなくても、理解できるまで簡単な日本語を使って話すことが一番語学を覚えやすいということは自分がスペイン語や英語を学習する中で気がついたことだった。
激しく降る雪の中、僕と彼女はトラムに乗って家に向かった。まだ午後4時にもなっていないにもかかわらずあたりは暗くなってきた。寒さも尋常ではなかった。この極寒は、人生初だった。6年前にポーランドのクラクフに来た時も、寒かった記憶はあるがここまでだとは思えなかった。
このアイルランド以上の極寒と、日照時間の短さと、降りしきる雪と、街行く人の東欧独特のソヴィエト的な顔の暗さによって、僕はアイルランド以上に気分は暗くなってきていた。カウチサーフィンがなかったらワルシャワの気候は自分には耐えられないだろうな。。。と6年前にも同じようにクラクフで気分が滅入ったことを思い出した。だが、現地人の友達がいるという事実とインターネットの発展と大人になった自分は、確実にあの頃とは違っていた。
彼女の家に着き、僕はお父さんとお母さんと妹に挨拶をした。彼らははじめてみる日本人を静かに歓待してくれた。クリスマスも近く家の中はクリスマスモード一色だった。僕はクリスマスパーティーに持っていくクッキーを作り、この極寒の中の温かい家に感動した。エアコンの温度が高いというだけではない、別の温かさが家の中にあった。
僕はこの温かい家で数日間過ごした。家族と一緒にポーランドの食事を取り、ポーランド式のキリスト教のお祈りをして、一緒に映画をみた。彼女の家は熱心なカトリックで、僕はさらにエキゾチックさを覚えた。
アンナはワルシャワ大学の学生だったため休みのときは友達のアニータと一緒に旧市街や文化科学宮殿などを見て周った。スペイン語ではアンナとアニータは同じ名前だと思っていたが、ポーランドではまったく別の名前だと彼女たちは教えてくれた。
ワルシャワは異常に寒い、もはや極寒としか表現できないほどだった。僕は長時間外に出ることは出来なかった。外を歩くだけで顔が痛い。足も凍るように冷たくあまりしっかりと歩けない。彼女らは今マイナス10度くらいだとごく普通に言い、そしてワルシャワには夏に来た方がいいよと笑顔で言った。
だが、僕はこの寒いポーランドが好きだった。歴史上3度にわたりロシア帝国、神聖ローマ帝国、オーストリアハプスブルク家から分割され地図上から姿を消した国、近代ではソヴィエト連邦とドイツにより徹底的に破壊された国。それでも不死鳥のように蘇ったこのポーランドという国が、僕は好きで、その歴史的な雰囲気は冬に一番伝わってくるものだと思うと、どれだけ寒くても冬に来てよかったと思った。
また、このクリスマスを目前にした伝統的な中世ヨーロッパの雰囲気も冬ならではのものだった。日本とは違い伝統的なキリスト教のクリスマスはこのヨーロッパの中で生活に根ざしているもので、常に彼らのアイデンティティーの中に組み込まれているものだということはこの家族と一緒にいるとよくわかった。彼らは熱心なカトリックだった。僕はミサに一緒に行き西欧では見ることが出来なかった伝統的なキリスト教を見ることが出来た。それは僕にとって貴重な価値だった。
一足早い、クリスマスパーティーもただただ友達が集まって歌を歌っているだけ、みんな純粋に歌を歌っている。この経済的合理性のない純粋で伝統的なクリスマスは僕の心を打った。
僕は極寒の中の温かい家でポーランドの、東欧の雰囲気を満喫した。そして、極寒に慣れることが出来ず、ユーラシア大陸に渡ってから初めて体調を壊し寝込んだ。
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