エジプト革命後のカイロ





~エジプト革命後のカイロ~

Yを見送った後、僕はイスマイリアに戻った。イスマイリアには日本人はほとんどいなく、短期留学できている学生一人と、大学生バックパッカー一人しかいなかった。

僕はイスマイリアでゆっくりしながら自分がやらなければならないことを整理していた。

あまり外に出たくないのには理由があった。

エジプト革命後、エジプトは完全に活力を失っている。街のチャイハネには負のオーラを出している人たちが水タバコを吸っているように見えた。確かに日本人はよく話しかけられる。それは変わっていない。だが、どこかみんな元気がない。7年前を美化しているからなのかもしれないが、僕はこの雰囲気の変わりようを肌で感じた。

何よりも観光客が激減している。減っているという表現は適切ではない。いない。街をあるいていても、観光客がいない。以前は欧米人や日本人や韓国人が腐るほどいて、バンコクやバナーラスやカトマンズのようになっていたはずのカイロがひっそりとしたただのイスラムの街になっている。ヨルダンやシリアと変わらない。もはやここは観光立国とは呼べない。

ショックだった。こんなにもエジプト革命の影響は大きいのかと愕然とした。エジプトのこんな姿は7年前は想像もできなかったし、見たくもなかった。

イスラムの休みである金曜日になると毎回デモが始まる。僕は気をつけながらもデモを見に行った。 本当は近づいてはいけないことはわかっていたが、僕はエジプトの現実を目にしなければならないと思った。危なくなれば逃げること前提で、動画も撮った。物見遊山ではない。このエジプトの現実を目の当たりにして情報を出すことは、このネット社会の中、1個人としてやらなければならないのだと思った。

だが、イスラーム地区を散歩するとエジプト人がせっせと働いている。中世のイスラーム王朝の街並みはこんな感じだったのだろう。イスラームの格好をした親父たちがせっせせっせと物を運び、汚い街の中汗をかいている。この光景は何百年も変わっていないのだろう。ここは中南米と比べ、歴史がある。それはイスラーム地区の建物を見ていればよくわかる。家もビルもモスクも汚い、そして古い。この地区全体が遺跡のような感じがする。数々の歴史に名を残した王朝に支配され、独立し、また支配されを繰り返してきたこの国。ファラオやピラミッドだけではない、イスラームという一つの、日本人から見れば独特の文化がここには存在している。

僕は昔からイスラム国を歩いていると必ず最後にはモスクにたどり着く。僕はモスクが大好きで、アザーンに魅了されている人間だった。それは南米に行けば教会に変わり、ヨーロッパに行けばお城とカテドラルに変わり、インドに行けばヒンズー寺院に変わり、日本に帰ればお寺に変わるだけのことだった。

モスクで特にやることはない。ただ、座っているだけ。時々昼寝もしてしまう。この絨毯やシャンデリアのオシャレ感がたまらない。いるだけでいい。ここにいて、アザーンを聞いて、礼拝を見るだけでいい。それが僕が、これだけ何回も旅をしていて、それでもなおかつやりたかったことだった。ヨーロッパの歴史ある教会と中東の歴史あるモスクをみることは僕の旅の原点だった。だからこそここの地域では僕にとって人との出会いはあまり関係なくなっていた。

座って礼拝を見ているとき、僕はヨーロッパの歴史と、中東諸国の歴史が本当に好きで、旅行という観点からみれば、この二つの地域が僕にとって最高の、というよりももはや胸がときめくというレベルの、場所だった。

あるいて水タバコをやりながらチャイを飲んでいる人を見るだけで、僕は幸せを手に入れた。





あるとき、Yとチャットをした。見送ってから、僕らはごく自然にチャットをするようになった。彼女も普通にメッセージを送ってくる。会話の流れは恋人同士とはとても呼べないほど、普通の友達のように変わっていた。でも時々大切な人同士が話すようなことも話した。僕はこれがどういう意味なのかはなんとなくわかっていた。

僕は彼女と会ったときの思慮のなさを詫びた。そしてもっとYに対して興味を持っていきたいということを告げた。これは彼女に対してだけではなかった。もっと人に興味を持つことが自分をどれだけ大きな人間にしてくれるかを、僕は自分の経験から知っていた。

彼女は時差ぼけで眠れず、徹夜をしようとしていた。偶然ログイン中の彼女を見つけてメッセージを送った。そしてそのままいつもと同じように、まじめな話、笑い話、共感できる話を何時間も語り合いながら時間をすごした。彼女は昔から、物事にがんばりすぎて体を壊すことがあるため、心配になった。

From Japan。彼女の旅行記のタイトルだった。彼女は旅行記を書かないというようなことを言っていたが書くことを決めていた。その意味がどういうことなのかもなんとなくわかっていた。
From Japan。素晴らしいタイトルだと僕は言った。そう、僕らはどこへ行っても、どれだけ日本を離れても常に日本人である。私たちは何をどうしたところで日本人である。こんなことが彼女のブログに書いてあった。僕はたいして長くもない他愛もない文章に感動した。

僕らはいつもどおりの会話をした。彼女は僕のことを本気で心配してくれていた。申し訳なさと同時に、嬉しかった。僕はかならず死なずに日本に帰るということを約束した。彼女と約束するまでもなく、僕は一度日本に帰る。もちろん生きて。

彼女は最後に「この関係性を考えたい」というようなことを言った。そして旅行記を見てほしいとも言った。僕はなんとなく、言われる前から彼女がそう思っていることに気づいていた。僕は「とりあえず体を大切に。それだけが心配です」「旅行記楽しみにしているね。」とだけ答えた。

僕は彼女との関係性がどうでもいいとは全くもって思っていなかった。だが、こう言った。ここで何を言ったところで聞く人ではない、そして僕もこういう保身は大嫌いだった。今まで保身をして物事がよくなったことは、少なくとも僕の人生では、人との関係においてなかった。彼女も僕のこういう強がりと呼ぶのか優しさと呼ぶのかわからない言葉に気づいている。僕はそれだけは確信していた。

彼女は僕にとって大切な人であることに変わりはない。だが、むしろ、だからこそ、彼女によく考えてもらいたい。偽善者ぶっているつもりもなかった。本気でそう思えた。

だが、いくら頭でそう思ってもそれに体がついてこなかった。心臓の鼓動が早い、胃が痛い、頭がクラクラする。どうしていいかわからなくなった。

その日の夜はよく眠れなかった。朝起きて、眠い目をこすりながら、そして胸がいたいまま、僕はイスマイリアの優しかったスタッフの親父と写真を取り、ヨルダンに行くため、長距離バスに乗った。ヌエバアというシナイ半島にある街からヨルダンへは船が出ている。

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