旅小説~日本に帰る理由~





~日本に帰る理由~

いつものように朝起きて、心電図を測り、血圧を測り採血される、朝ごはんを食べてから自由時間。治験の日々は続いていた。

自由時間になり、日本語教師要請講座を勉強しようと思っていたとき、一通のメールが届いた。

そのメールは8ヶ月ぶりだった。そのためか、メールアドレスを見ても一瞬誰だかわからなかった。最近はほとんどフェイスブックやスカイプばかりでメールでのやり取り自体すら少なくなってきていた。そんな中でもこのフェイスブックをかたくなにやりたがらない、どこかアウトローで勝気な若い女を、僕は日本にいたときから大好きだった。

S殿とは三茶のゲストハウスで知り合った。数ヶ月前に不運な別れ方をした元彼女も三軒茶屋で知り合った。僕は日本にいた頃、元彼女と同じように、だが全く別物としてこのS殿が大好きだった。

僕らは何一つ共通の話題が無かったにもかかわらずある日家の屋上で朝まで飲み明かし、どういうわけか異常に気が合った。夜中の4時半ごろにカラオケに行って酔っ払いながら叫ぶように歌を歌っていた。そして家に戻りヘラヘラ笑いながら他の人の迷惑を考えずに屋上で意味不明なことを二人で叫んでいた。思い返してみると、あそこまで笑ったことはあれからなかった。

あれから、僕はある意味では元彼女以上に、ベラベラと笑いながら、時には爆笑しながら、どうでもいいこと、そして大事なことをこのS殿とずっと話をしてきた。僕がチャリを貸すとS殿はプリン券をくれ、一緒にプリンを買いに行くというシュールで意味不明なことをやったり、一緒に三茶から五反田まであるいたりした。

S殿は若かった。だが、完全に物事を見抜いている感じがあった。また、常にピエロを演じていた。僕はそのピエロに気づいていたが、比較、僕には本音を話してくれていたと思っていた。

この生意気な態度は時折僕を不快な気分にさせ、その不快な気分にさせる彼女が、僕は大好きだった。それはある種の憧れでもあった。実際、S殿はかっこよかった。誰も気づかない細かいところで、むしろ他の人から見たらただの馬鹿にしかみえないような格好いいことをしていたし、格好いいことを言っていた。僕はそれに対してある種の羨望の眼差しすら持っていた。だが、それを口に出すことは決してしなかった。

この二人の性格は真反対だった。だが、どこか似ていた。そのためか、少なくとも僕が三茶にいた頃はこの二人が話すのを一度も見たことはなかった。

僕はS殿を大好きだったにもかかわらず、難しい年頃なのか、一時期僕を嫌いになったこともあった。それはうまく隠しているようで隠せていなかった。僕はすぐに見抜き、無駄にケンカすることもなく、しばらくの間同じ家にいながらそんなに感知しないこともあった。「来るものは拒まない。(時には拒む)去るものは追わない」この言葉は当時からずっと僕の心に貫かれていた。その分、常にわかりやすい人間関係であった元彼女との仲がどんどんとよくなっていった。

だが、僕は最後までS殿が好きだった。それは当時友達だった元彼女とは異次元のものだった。僕は何か嫌なことがあっても、この人に話をして、この人が爆笑しながら「おもしろいっすねぇ」とか「まぁ、だいじょうぶじゃないっすか」というだけで安心したことが多々あった。僕はそんなS殿に色んな面で感謝していたが、それを表立って「ありがとう」と言ったことはほとんどなかった。僕はそういうストレートで歯の浮くような表現がこの人の心に響かないということに気がついていた。だからこそ僕は言葉ではない自分の態度で、見た目は分かりづらかったが出しているつもりだった。それが伝わったかはいまだに分からなかった。

旅立ちの日、成田にもS殿は見送りに来た。僕らは仲がいいようで悪く、そして仲が悪いようでよかった。ストレートに感情をシェアしていた元彼女とは違って、あまり表情にださなかったけど、全く別の次元で僕はこの人に見送りにきてもらえるのは本当に嬉しかった。

僕は元彼女が到着するまでの間、くだらないことを話していた。僕が片道航空券しか持っていなくて入国できるか真剣に焦っていたとき、彼女は「もし今日出発できなかったらマジ面白いっすね~」と笑いながら言った。それを聞いて、僕は安心して「こいつなら、何か失敗しても笑ってくれるな」と自信を持って旅ができそうな気すらした。仲が悪いのにそんな状態だった。





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そんな思い出のあるS殿のメールの内容は「ずっと連絡しなくてごめんなさい」というような内容だった。

僕は旅に出てから彼女と2回しか連絡を取っていなかった。彼女がもともとあまり人と連絡を取りたがらない人だったし、僕もメール不精な人間であるためか、また彼女のそういう性格を知っていたせいか、あまりメールを送ったりすることは無かった。

ある日突然、全くメールが返ってこなくなった。5月にスカイプで話をしてからメールを数回送ったが、S殿から一切の返信はなくなった。元彼女と会ったときに、S殿が三茶を出るということを聞いて、僕は少しだけ悲しくなった。もう、三茶にいない僕にとって関係ないことなのに、なぜか悲しくなった。

元彼女との恋人関係が崩れたとき、僕は全く悲しくなかった。それは友達としてやっていけるという絶対の自信があったからだった。むしろそれよりも僕はS殿と連絡が取れなくなったことの方が嫌だった。「去るものは追わない」という信念から僕はS殿がメールを返さないことに対して何も言わなかった。ただ、この人の誕生日である日、自分の旅の誕生日の一日前にメールを送った。もちろんそれも返信は無かった。

僕は諦めを覚えた。S殿は僕の前から消えたのだなと思った。悲しかった。だが、日本にいない自分が、そして外国人との日々を過ごしている自分が日本のことを考えすぎるのもおかしいと思い、日本のことは忘れるようにした。

そしてそんな中、僕はロンドンで元彼女と人間的に断絶するという事態に至った。あのときほどS殿と話をしたいと思ったことは無かった。迷惑だというのはわかっているけれど、こんな辛いときほど、両方の存在を知っているS殿に話をして「大丈夫っすよ~」って言って欲しかった。日本にいたとき、S殿は自分より年下なのによく話を聞いてくれ、そして的確なことをアドバイスしてくれていた。それが欲しかった。だが、こんな自分を自分勝手なわがままを言っている子供だなとも思えた。

元彼女を友達としても失ったとき、僕は日本に帰る理由も失った。むしろ僕が一番悲しかったのは、恋人を失ったからではなく、親友を失ったことだった。日本に帰ったとき、三茶の思い出が壊れてしまっているというのが一番怖かった。外国にいるときがが楽しくて日本にいると楽しくなくなる。旅人として一番よくないパターンだった。そのよくないパターンに陥ってしまった自分が本気で許せなくなった。

そしてそれは現在に至っていた。日本に帰ること自体が義務と化していた。もちろん友達がいないわけでもない。家族もいる。会いたい人もいる。だが、僕にとって最も会いたい人は元彼女であり、S殿だった。だが、二人とも僕の前から消えた。消えるはずが無いと思っていた人たちが消えた。日本に帰る理由がなくなるには十分すぎるほどの理由だった。







僕はS殿のメールを返した。そしてそのままスカイプをした。元気そうなS殿の声を聞いた時、うれしさがこみ上げてきたが、僕はいつのものように平然と話をした。だが、ある程度正直に話した。正直に「メール返ってこなくて寂しかった」と言った。彼女は「ごめんなさい」と言った。

S殿は三茶を出て兵庫県の旅館で住み込みをして働いていた。大変そうだったが、いつものヘラヘラしている調子で頑張っていた。僕らはこれまでどういうことがあったか、これからどうしていくか、三茶であった出来事、などなどをずっと話し込んだ。

S殿も同じように僕が旅立ってから色々なことを考えていた。色々なことを経験していた。そして彼女は、、、、異常ともいえるほど人間として成長していた。昔のような意味不明なアウトローさに加えて人間としていい人になっていた。僕は正直に「成長しててすごいな。驚いたわ」と言った。

元彼女の話も聞いてもらった。S殿はWeb上にあがっている僕の日記を見ていたらしく、大体の事情は分かってくれていた。また、どうやら僕が日本を出たあとにS殿と元彼女は仲がよくなっていたらしく、元彼女の事情も少しだけ聞いた。だが、あんなことがあって、あまり思い出したくないという正直な気持ちもあった。それ以上に、この人にこの話を聞いてもらいたかった。僕は人として弱い。それをまず認めようと思った。

この人は僕のことを「自分勝手な人だとおもっていたけど、自分勝手な人じゃなかった。」と言った。今まで連絡が無かったのも「自分勝手な人だと思っていたから」と言った。僕は「それは間違いだ」と言った。僕は今も自分勝手な人であることは間違いない。だが、少しでもそれは変えようと思った。もう、二度と大切な人を2人も同時に失うことはしたくない。

だが、それ以上に人として、いい人になりたい、それはS殿成長振りをみても思った。元彼女が言った言葉「自分のことしか考えていない」それを少しでもマシにしようという努力をしようと思った。

「あのときの5000円かえしたいっす」とS殿は言った。そういえば僕はこの人がありえないほどお金が無くて、バナナだけ食べていたとき、僕は確かに5000円を貸した。そして「返さなくていいよ」と格好よく言うつもりが照れて「俺が死ぬほど金なくなったら返してもらうから」と言ったのを思い出した。完全に忘れていた。

「日本に帰ったらまたシェアハウスしような。」というような会話もした。実際出来るかどうかわからないし、どれだけの期間日本にいるかもわからなく、できるかどうかも全然未定だが、こんな話が、またあの頃のように楽しい話ができたことは僕にとって最高の価値だった。

一期一会。僕はこの先の人間関係どうなるかを無駄に気にしなくなった。ただ、この人がメールをくれて、そしてスカイプで話をしただけで楽しかった。それだけでよかった。本当に嬉しかった。失うことはしたくないが、去るものは追わない。ただ感謝した。そしてそれは言葉ではなく自分の持っている雰囲気で伝えていこうと決めた。

日本に帰る理由が見つかった。S殿に5000円返してもらおう。そしてその5000円を二人でぱーっと使おう。

・・・気がついたら、7時間が経過していた。あの頃と同じように時間が過ぎるのを忘れるほどに話し込んでいた。

僕は電話を切り、日本語教師養成講座の勉強を始めた。

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