治験中日本語教師養成講座の勉強





~楽しいという感覚~

部屋の中では打楽器奏者のくろきくんの太鼓がいつも流れていた。CD・DVDをデータ化してもらったあたりから、僕はいつのまにか彼と仲良くなっていて、一緒にランドリーに行ったり、音楽のデータをあげたり、もらったりしていた。時折、インドとハーブの話、愛と無の話、とにかく意味の分からない話もしていた。

そんな日々の中、僕は採血を終えて自由時間になるとコモンルームにこもり、圧縮勉強の日々は続いた。朝入って気がついたらお昼になって、ご飯を食べて気がついたら夜になっているという日々は続いた。だが、昼食と夕食はゆっくりと休みながら食べようと思い、大好きな病院のパスタとロースかつとアイスクリームを堪能していた。

DVDを全部見終わり、一通りの日本語文法を習った後、僕は教科書をすべてワードに写す事にした。それは教科書をデータ化するということと同時に、自分で内容を理解するという意味もあった。

また日本語教師指導要綱を元に、教え方の部分もあわせてワードに写した。これは知識ではなく外国人にどうやって教えるかということを主題におかれて書かれていた。僕は常にどう教えるのかを意識していた。いつでも教えることができるようになりたかった。

知識があるだけでは絶対に教えることは出来ない。知識はあって当たり前。常にこれは意識していた。分からない人の感覚になれること、それをどうやって分かってもらえるか、また、どうやったら楽しく勉強できるかは常に考えていた。まだ働けるかどうかも全然分からないが、たとえ出来なかったとしても、こういうことを考えて未来を想像するだけでも楽しかった。

・・・毎日毎日根をつめて勉強していた。こんなに勉強したのは高校生のとき以来だった。僕は一つのものに一心不乱に向かうことの楽しさをしばらく忘れていた。どうやら疲れも溜まっているらしく僕は夜中にうなされていた、とくろきくんは教えてくれた。

でもこの勉強は全く苦にならなかった。言語という好きなことを勉強している感覚は、僕にとって新しい物であり、常に新しい発見があった。

知識がどんどんと頭に入ってきてそれが未来に繋がっていく。これ以上の幸せはなかった。

今までずっとダラダラとしてきて、ふらふらと旅してきて、勉強も身についたか身についていないか分からない僕にとって、この勉強は楽しかった。楽しくて楽しくてしょうがなかった。それはまるで今までスタートできずに貯めていたものを一気に解き放つかのようなエネルギーの使い方だった。



時間はあっというまに過ぎた。通常10週間で終わる基礎・応用コースを10日間で終えた。課題はすべて書き終わって提出するだけの状態にし、バックアップもかねたワードでのノート作成も終えた。足りない部分は写真でとりJPG画像にしてGoogle Driveにいれた。原本は一緒に治験を受けている人に日本に持って帰ってもらい、自分が日本に帰ったときに受け取ることにした。

これで日本語文法の基礎と、どういう風に教えればいいかはある程度理解できた。後はマスターコースを終えれば晴れて日本語教師の資格を手にすることが出来る。その後の方が何十倍も大変だが、まずは420時間の勉強を終えることに集中することにした。

僕はあえてマスターコースは治験中にはやらず、旅をしながらやることに決めた。焦りすぎても意味はない。時間をかけてゆっくり進めることも同じように大切なことだということは年齢を重ねる事で分かってきた。

焦らずに、怠らずに続けるということの大切さを年を重ねることで自分の体に染み付き始めていた。

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