ハンガリーブダペスト旅行記





~ブダとペスト~

ウクライナとハンガリー国境の街チョップの駅に着くと、大柄な男が突然「パスポートを見せろ」とすごんできた。英語が一切通じない。ちょっとだけ怖くなったが、これは偽警官だと思いずっと拒否していた。

このまま荷物を盗まれたらどうしようと思いながら何とか逃げる方法を考えていた。だが、少しでも逃げ出そうとすると男は僕の体をがっちりと抑えて、逃げられなくした。下手に刺激をするのもよくない。

男は誰かと携帯電話で話している。仲間だろうか?不安になりながら駅の前で男に体をつかまれながら立っていた。

すると男は突然駅の中に入れといい、警察官なのか税関なのかよくわからないが旧ソヴィエトの軍人のような人々が4,5人いるオフィスに連れて行かれた。そこには英語を話す女性がいて、彼女は僕に「ハンガリー行きの列車はあと2,3時間は来ない。とりあえずパスポートを見せて」と言った。

どうやらあの大柄な男は本物の警官のようだった。僕は彼女に事情を説明し別の髭を生やした軍人のような男にパスポートを見せた。パスポートはすぐに返ってきた。

オフィスから出てハンガリー行きのチケットを買い、ウクライナグリブナからハンガリーフォリントに両替し、駅で列車が来るのを待った。駅の中には誰もいない。何もない。ただ広くて暗い空間が存在しているだけだった。ときどきちらちらと軍人がうろついている。ソヴィエトの戦争を描いたような絵もあり、それがさらに暗さを助長させた。

ウクライナの駅

2時間ほど経過してさっきのオフィスに戻った。どうやらこのオフィスは税関とイミグレのようだ。ここで荷物検査を行い、パスポートに出国のスタンプを押してもらう。これで無事ウクライナは出国できた。

列車に乗りハンガリーに向かった。シェンゲン協定の対策は完璧にしてきた。このために僕は行きたくもないイギリスに行き、治験が終了してから事後検診までの2週間、あえてウクライナを選んだ。日数も調節し、シェンゲン圏滞在ギリギリ90日、そして初めての入国から180日が経過している。僕は日程表すら作った。もしハンガリーのイミグレで怪しまれたらこの日程表を見せようと思った。

列車に乗っていると入国審査官がやってきた。パスポートを見せてから1分もしないうちに審査官はEUのスタンプを押した。今まで入国履歴など一切見ていなかった。

僕は安堵し国境の駅でハンガリーの首都、ブダペスト行きの列車に乗り換えた。

列車の中でチケットを買おうと、車掌に1000円相当のフォリントを渡したが足りないといわれた、どうやらブダペスト行きのチケットは2500円位するようだった。僕はユーロで支払おうとバックパックを開けたが50ユーロしかなく車掌は困った顔をしたが、数分後仕方ないといった様子でフォリントのおつりをくれた。電卓を使い確認すると肯定レートにくらべレートは悪かったが、どうしようもないので50ユーロを両替した。

ブダペストにつくまで僕は日本語教師の勉強をしていた。ウクライナでも少しずつ勉強していたが病院にいたころよりは確実にペースも落ちていた。ペースが落ちるのはある程度計算していたがメリハリが少しずつ少しずつなくなってきているのも事実だった。だが、このウクライナとハンガリーでやると決めた目標はクリアしていたし、そもそも半年から1年かけてやるものを1ヶ月半で終わらす計算を立てていて、その予定通りに終えていると考えればまったく問題はなかった。

パソコンの電源もなくなり列車内にはコンセントがなかった。また、列車内は暖房が効きすぎて暑かった。僕はパソコンを閉じ、何もすることがなくなったのでとりあえずマフラーとジャケットを脱いで窓を開けた。真っ暗な田園風景が広がり、車両の中に誰もいない。ある種のヨーロッパ的な怖さのなか、僕は椅子に座ってブダペストに着くのを待った。

お昼から何も食べていないことに気づいた。時計を見ると夜10時をまわっている。お腹が減ってきた。むしろお腹が減りすぎてあまり食欲が沸かない不思議な状態になっていた。

結局ついたときには11時半を過ぎていた。僕はブダペスト中央駅でパンとコーラを買い、なりふり構わず食べて飲んだ。ブダペストについた瞬間に誰もかれも英語を話し、また英語を話そうとする姿勢が見えた。そして物価も高くなっていた。

一段楽した後、ネットカフェに向かい事前に予約した宿の住所を調べタクシーに乗った。タクシーの値段も高い、列車も、食べ物も、飲み物も、タクシーも、みんなウクライナと比べて1.5倍から2倍くらいの値段になっていた。

宿に着いたときにはすでに夜中の12時半を過ぎていた。宿はメインのとおりからちょっと離れた裏路地にあった。僕はようやく眠れるという気持ちで呼び鈴を押したが、一向に応答がない。ドアも閉まっている。僕は何回も何回も呼び鈴を押した。真夜中の暗い裏路地で人が誰もいない。そして寒い。

こういうことを何回も経験しているせいか、ただ単に自分の頭がおかしくなったのか、特にあせりもしなかった。とりあえず治験のために今まで我慢していたタバコを吸って落ち着いた。根拠もなく何とかなると思っていた。

根拠のない予想のとおり、偶然メインのとおりから宿泊客らしき男二人組みやってきてドアを開けてくれた。「宿のスタッフは今どこかに行っているからとりあえず今日はベッドで眠っても大丈夫」といってくれ、僕は誰もいないドミトリーのベッドで眠った。



ブダペストはブダとペストに分かれている。ドナウ川をはさんで王宮がある場所がブダ、王宮の反対側の庶民の町のようなところがペストである。

僕は7年前にブダペストに来たことがあったが、前に来たときは自分の私情であまりちゃんとこの街を見ることができなかったため、もう一回ちゃんと見ようと思っていた。「旅行自体を自分の私情で楽しめなくなるということは昔はよくあったが最近ではまったくなくなった。その点に関してはある種の「旅の慣れ」をもてるようになったのかもしれない」などと考えながらペスト側を歩き、国会議事堂のあたりまで歩いた。

ブダペストの街並みは素晴らしかった。これぞヨーロッパという街並みと教会郡はドイツやイタリアにも負けない力強さがあった。ウクライナやポーランドと違ってソヴィエト的な雰囲気は一切なく、所謂ヨーロッパを体現していた。ヨーロッパの中で最もヨーロッパらしいものは中欧にある。特にプラハ・クラクフ・リヴィウ・そしてブダペスト、、、、多くの日本人がイタリア、フランス、イギリス、ドイツと西欧にだけ目が行き、あまり知られていないがこういう街を知らないのはもったいないと思えた。

ブダペスト

ブダペスト

ブダペスト

王宮に登り、僕は7年前に感じたドラクエの雰囲気を楽しむためにドラクエ3の城の音楽を聴いた。この王宮とその隣に見える丘の上の教会の雰囲気は完全にドラクエの音楽とマッチする中世ヨーロッパの城そのものだった。また、小高い丘の上にあるブダの王宮からドナウ川の向こう側に見えるペスト側の景色はドラクエの街そのものだった。

ブダペストの王宮

ブダペストの王宮

日が暮れてきて宿に帰ろうとブダ側からペスト側にかかるくさり橋を渡っていたとき、雨が降り始めた。僕は今まで振らなくてよかったと思いながら歩いていた。

ブダペストをもっと満喫したかったが、僕は次の日のフライトでデュッセルドルフに戻らなければならなかった。ドイツで治験の事後検診を受け、僕は治験で一緒だったくろきくんと一緒にオランダで頭を決めようと約束していた。

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