スペイン、ライブモカの友達





~ブエナスノーチェスセニョリータ~

2011年冬、僕はライブモカというサイトを使ってスペイン語を勉強していた。

スペイン語の文法もわからなければ単語もわからない。ただ絵を見てスペイン語が流れるだけ、それをノートに写すという作業をしていた。

このサイトでは、ネイティブとチャットができる。スペイン語のネイティブが一覧で表示され、ネイティブに話しかけて挨拶をして話をして、フェイスブックみたいに友達に追加できる。もちろん日本語を勉強している人も同じように僕に話しかけることができる。

スペイン語を勉強し始めて数日が経過したとき、1人のスペイン人女性は僕に話しかけてきた。僕は唯一知っているフレーズ、「ブエナスノーチェスセニョリータ!」と言った。彼女は「ブエナスノーチェスカバジェーロ」と返した。カバジェーロの意味は辞書を引かなくてもなんとなくわかった。モニカと言う女性は僕と同じような年齢で、マドリッドに住んでいるといった。僕はまったくスペイン語ができないにもかかわらず、グーグル翻訳と辞書を使いながら彼女とチャットを続けた。

スペイン語でチャットしたのは初めてだった。驚いた。それまでポーランド人ソーニャとやりとりしたことがあったが、それは英語だった。だが、スペイン語と言う今まで見たことも聞いたこともない言語で、連絡が取れるという事実は英語以上に衝撃的だった。不思議だった。不思議すぎて僕はまるで未来世界にいるかのような衝撃を受けた。

すぐに彼女とは仲良くなった。彼女はゆっくりとスペイン語を教えてくれた。いつの間にかフェイスブックとスカイプのアカウントを交換し、いつの間にかライブモカからフェイスブックやスカイプを使ってチャットするようになった。いつもいつも僕は「ブエナスノーチェスセニョリータ!」と言い、彼女は「ブエナスノーチェスカバジェーロと言った後に、jajajaja,jejejeje」と笑った。スペイン語でJの音が「ジャジジュジェジョ」ではなく「ハヒフヘホ」であることがわかり、彼女は笑っているのだと認識した。

フェイスブックの彼女の写真を見て、僕はスペインと言う遠い場所でも自分と同じように普通の生活をしているのだと知った。考えてみれば当たり前のことだが、それでもスペインと言う場所は僕には遠い存在だった。それまで僕は色々な国を旅行したことはあったし、インドにボランティア活動に行ったりしたことはあったが、現地人と深い交流を持ったことはほとんどなかった。遠く離れた国の遠く離れた場所の写真は僕にとって遠い存在だった。

東日本大震災が発生したあと、日本を助けようというようなイベントの写真がモニカのアルバムに上がっていた。僕は日本と言う国が世界中から助けられているという感覚を、知識ではなく感覚を、頭ではなく体で感じた。知ったのではなく、感じた。

日本にいたとき、旅に対して悩み考え、時にはストレスがたまっていたときもあった。そんなときにも僕はモニカと話した。全然わからないスペイン語で、辞書を引きながら、話しを続けた。「スペイン語なんて本当にできるようになるのだろうか?」と疑問になったこともあった。

ある日、モニカが、「いつかスペインにおいで!」と言ったとき、僕はこれから始まる旅の期待と、できるできないではなくスペイン語を勉強すること自体への楽しみを感じるようになった。そしてそんな、始めてであったスペイン語の友達、プリメーラアミーガと、チャットで語り合うたびに感謝の念が生まれた。

なんでこんなに一生懸命に教えてくれるんだろうと思い感謝で涙が出そうになった。ありがとうって言っても「ありがとうなんていう必要ないよ。だって友達じゃん」と平気で言ってくる。

いつかこの人とスペインで直に話しをしてみたい。そのときには辞書を使わずに、通信機器を使わずに、自分の声で、目と目を合わせながら、話しをしてみたい。それは僕の中で、旅の一つの目標となった。

その後、日本にいたとき、ライブモカの友達は次々とできた。イタリアのファニー、メキシコのアリス、アルゼンチンのラウラ、そしてモニカ、この4人は僕にとって特別なスペイン語ネイティブであり、常に誰かとチャットをしてスペイン語を勉強し、夢を描いていた。この4人と出会うことだけは絶対になすべき旅の目的であると思うようになった。まだ旅をどこから始めるかも決まっていなく、旅がどこまで続くかもわからない状態にもかかわらず、妄想だけは膨らんでいた。

僕はある種の夢を見た。これから長い旅に出る中で、世界中の色々な人と、特にスペイン語圏の人と、現地語で会話をして、現地で一緒に遊んだらどれだけ楽しいだろう?と妄想を描いた。その妄想は考えられないくらいに僕をわくわくさせた。

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・・・あれから約2年と2ヶ月。僕は夢を叶えた。夢をかなえたことに気づかないほどに夢を叶えた。メキシコのケレタロでアリスと、アルゼンチンのマルデルプラタでラウラと、イタリアのサンレモでファニーと実際に会い、実際にスペイン語で話しをした。それはそれぞれ形は違えど、最高の出会いだった。

いつのまにかこの2年でスペイン語ネイティブの友達は200人を超えた。スペイン語ネイティブとライブモカやカウチサーフィンで、またリアルの旅の中で、スペイン語を話すのは当たり前のことになった。カウチサーフィンというサイトのおかげで、インターネットで友達と知り合う、時には家に泊めてもらう、遠い世界の人とも簡単に交流をもてる、というのも当たり前のことになった。あの時の新鮮な感覚は忘れかけていた。

旅を始めて、結局スペインにたどり着いたのはモニカと知り合ってから2年以上が経過してしまってからだった。その間、時差の関係でしばらく連絡を取らないこともあった。彼女は昔のようにフェイスブックを使っておらず、どちらかといえばチャットと言うよりはメールのやりとりをたまに行う程度の関係になっていた。ほかの人と頻繁に連絡を取ることもあり、あまり連絡を取り合わない彼女とは、もう会わないのかと思ったこともあった。

だが、僕は今でも、人生で一番初めに使ったスペイン語、「ブエナスノーチェスセニョリータ」を使い続けていた。

ようやく、僕はマドリッドにたどり着いた。これが最後、モニカが旅の前にライブモカで知り合った友達になる。最後にして一番初めに出会ったスペイン語話者の友達。どんなに友達が増え続けても、どんなに時間が経過しても僕の中で一番最初で、スペイン語が何もわからなかった時代に、外国人と交流することはおろか、長期旅行というものさえも右も左もわからなかった時代に、すべてが新鮮に見えた時代に、チャットをした人を忘れることはできなかった。

僕らは数日前に「プエルタデルソルの熊のモニュメントの前で」と約束した。僕は地下鉄に乗り、プエルタデルソルに向かった。僕はちょっとだけ早めについたため、タバコを吸った。だが、ムートンブーツを履き、写真で見たことのあるジャケットを着た一人のスペイン人女性が目の前にいる、それはフェイスブックであのときに見たモニカであることはすぐにわかった。僕はタバコを地面に投げ捨て彼女とベシートをしてハグをした。

ついに、ついに出会えた。一番最初に出会ったスペイン語ネイティブの友達。あれから2年2ヶ月。僕はすべての目的を達成したうれしさと、あのころの新鮮な気持ちを思い出したせいか、涙が出そうになった。だが、ここで涙を見せてはただの頭のおかしい人に見えると思い、泣くのを抑えた。

彼女はあの時と何も変わらず、いつも笑っていて陽気で日本が好きなスペイン人だった。僕は日中であるにもかかわらず、終始笑顔で彼女とレストランで一緒にタバコを吸い、ビールを飲み、日本食レストランに行き寿司を食べてまたビールを飲んだ。

彼女のスペイン語はわかりにくかった。僕はラテンアメリカにずっといたせいかスペイン人のスペイン語は全般的にわからなかった。あれだけ勉強して色々な人と話してもいまだにスペイン語がわからない。それは地域ごとの方言があまりにも違いすぎるからなのか、単に自分に才能がないからなのかはわからなかった。

だが、あの時と同じように、スペイン語がわからなくても彼女は何回もゆっくりと話してくれた。僕は自分のスペイン語が相変わらずそんなにうまくない事に若干凹む気持ちがないわけでもなかったが、確実にあのころよりは幾分かマシになっているということだけは感じた。それはラテンアメリカに10ヶ月もいれば当たり前のことだった。むしろ、自分のスペイン語の技術などどうでもいい。たとえゆっくりだとしても、わからないことを聞き返したとしても、何回も聞き返して謝ったとしても、ただ、彼女とスペイン語で、通信機器を使わずに、自分の声で話しをするということが、僕にとって一番大切なことであり、僕の人柄を伝え、彼女の人柄を感じることのほうが重要だった。言葉は何よりも重要であるが、あくまでも手段でしかない、目的はお互いが笑い合うことであると思った。

僕は彼女と他愛もない話をずっとしていた。日本の習慣、スペインの習慣、お互いの家族のこと、モニカの彼氏のこと、仕事のこと、僕はビール2杯で完全に酔っ払い、笑った。彼女はいつも陽気でいつも笑っていた。そんな彼女は僕にとって2年2ヶ月たった今でも衰えることのないスペイン語の先生であり、最高の友達だった。

僕は自分の恋愛事情も話した。エジプトであったことを話した。思えば僕が三茶にいたころにも、彼女とはこの種の恋愛話をしていた。僕は酔っ払っていたせいか若干誤解を与えるようなことをいったりした。すると彼女は「あなたはエゴイスタ(自分勝手な人)ね!」と笑いながら言った。僕は「違うんだ!聞いてくれ!」と冗談めかして言った。このガールズトークはあのころとまったく変わっていなかった。

2年2ヶ月ぶりの、そして初めての出会いは楽しかった。だが、楽しい瞬間は永遠には続かないということは30年近い人生の中で、嫌と言うほどわかっていた。

彼女を駅まで送りに行き、また会おうね!と言いベシートをして別れた。「終わった」と思った。僕はあの時に描いていた妄想を叶えた。あの時に出会った4人のインターネット上の、仮想上の友達は、すべて現実の友達となった。

地下鉄に乗って家に帰るとき、僕は酔っ払いながら放心状態になった。

それは、夢を叶えた後のむなしさ、すべての目的を達成した瞬間に、訪れるむなしさに似ていた。突然旅を終えたいと思うようになった。すべての目的は達成された。

一度否定した夢と言う得体の知れない物体は、あの時不思議で何もわからずただただ膨らんでいた夢と言う名前の妄想は、2年2ヶ月を経てスペインで現実になった。妄想はその人の努力と、周りの人の助けと、神様が与えてくれた幸運により現実にすることができる。それは証明された。

僕は酔っ払いながら、「これからもスペイン語ネイティブの女性と話すときは、”ブエナスノーチェスセニョリータ”と言い続けよう」と心の中で反芻していた。

「ありがとう。僕は次の夢に向かって走り出します。」

・・・数日後僕はモニカと一緒に取った写真をフェイスブックにアップしタグ付けした。あの時遠い世界だと思った場所に、自分の顔が写っている。

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