バレンシアのパエリア





~パエリア祭り~

「バレンシアってパエリア発祥の地なんですよ!」という一言から始まった。

僕はアルハンブラ宮殿が見える丘の上で知り合ったバックパッカーのあゆみさんと偶然にも次の目的地が同じで、バレンシアでも会おうという約束をしていた。

彼女はその土地の食べ物が大好きで、バレンシアのパエリアを楽しみにしていた。僕は一人だとなかなか高いご飯を食べようとしないため、お金が全然ないにもかかわらず、逆に本場の高級パエリアを食べることを他の死に身にしていた。

「バレンシアでパエリア祭りしましょうよ!」という約束を楽しみにしながら朝早くバレンシアのバスターミナルに着いた。

僕は夜行バスで眠れず、疲れ果てながら彼女が事前に教えてくれた宿に向かった。チェックインの時間は午後だったのでとりあえず荷物を倉庫のようなところに置き、ロビーにあるソファーで眠った。

1時間ほど眠っていると、どこかで聞いた笑い声が聞こえてきた。この人は会うなり爆笑していた。半分眠っているような状態で微妙に会話をして、バレンシアからバスで1時間ほどの、パエリア発祥の村であるエルパルマールにいくことになった。天気は相変わらずよく、ヨーロッパに入ってから久しぶりに半そでで行動した。数ヶ月前までセーターを二枚きていたことを考えると本当にうれしかったが、半そでだと以外に寒いということに気づき、また彼女は大爆笑をしていた。

バスの中でなぜか美味しんぼの話やパエリアの話をずっとしていた。「バレンシアのパエリアは魚介類が入っていないんですよ!」と彼女は教えてくれた。パエリアは魚介類だと思っていたが、バレンシアのパエリアはウサギ肉やチキンやエスカルゴが入っているらしい。

村にたどり着いた。何もない村だった。ただ、道にはパエリアレストランが何件も並んでいる。僕は彼女に任せ、とりあえずスペイン語で彼女が聞きたいことを通訳だけしていた。何も知らない自分が前に出るよりも知っている人に任せるほうが美味しいものが食べれると思っていた。

レストランに入り、なぜかパエリアの作り方まで見学させてもらい、パエリアを楽しんだ。彼女はびっくりするくらいテンションが上がって幸せそうな顔をしながら美味しそうに食べていた。本当にパエリアは美味しかった。

バレンシアのパエリア

デザートまで堪能し、外に出て夕食もここでパエリアをはしごしようとしたが、帰確認したところ帰りのバスがなさそうだったので夕食はバレンシアのパエリアを食べることにした。少しだけ馬鹿話をしながら田舎道を散歩していたが、パエリアがないこの村には特に用事はなかった。

僕らはバレンシアに帰ろうとした。だが、バスがくるのかどうかも微妙だった。いつの間にか、そしてなぜか歩いて次のバス停に行くことになり1時間ほど歩いた。この村の光景はスペインとは思えないほど牧歌的で、田舎そのものだった。

バレンシア

本当にバスが来るのかと疑問になりながらも「まぁいいや」という感覚で次のバス停でバスを待った。バスは意外も15分ほどでやってきた。完全に遠足感覚になりながら僕らはバスに乗った。

バスの中で眠っていたらすぐにバレンシアについた。僕らは一度宿に戻り、彼女は美味しいパエリアレストランをネットで探していた。どうやら開くのは夜9時ごろらしかったので僕らはとりあえず他にもよさそうなパエリアレストランがあるかどうかを探しながらバレンシアの中心部を散歩していた。

カテドラルから少し歩いたあたりにバーがあった。タパスが並んでいる。グラナダと違ってビールを頼むとタパスが無料というわけではないが、爪楊枝が刺さっているタパスを好きなだけお皿にとって、食後に爪楊枝の数で会計をする、いかにもスペインらしい場所だった。

彼女はテンションがあがり写真をとっていた。僕はとりあえず美味しそうなものを2つか3つくらい皿に取り、白ワインを飲みながらタパスを食べた。スペインの雰囲気が思いっきり出ているバーで美味しいスペイン料理を食べながら白ワインを飲むと、夜行バスであまり眠れていない疲れは感じなかった。美味しい以外の言葉もあまり出なかった。

タパス

夜9時が近くなり、パエリアレストランに移動した。パエリアレストランはそんなに高級感はあるけれど、そんなに近寄りがたい感じでもなく、地元の人が食事を楽しんでいるような場所だった。36ユーロする魚介のパエリアを彼女は頼みたがっていたが、僕はさすがに半分の18ユーロを払うのはためらった。すると彼女は「私が8ユーロ分払うので頼んでいいですか?」と言った。

申し訳なくなったが、いまさら恥じも外聞もないので僕は「お願いします」と笑いながら言った。グラスワインと大きなパエリアが出てくる。

ここのパエリアはお昼に食べたパエリアよりも数段美味しかった。特に海老や貝の魚介がおいしく、本気でワインが進んだ。絶対に一人だったら本場のパエリアをこんな値段で食べようとは思わなかったから、ある程度お金を出したとはいえ、いい経験になった。物価の高いヨーロッパで、一人で美味しいものを食べることはほとんどなかった。その分、誰かと一緒だと惜しみなくお金をだした。でも、それでも8ユーロ分奢ってもらっているということを考えると惜しみなくとはいえないのかと思いなおした。

パエリア

「それにしてもこの人は本気で好きなものをとりにいっているな」と感じた。美味しいものが好きで、ヨーロッパで高いお金をだしてでも、ヨーロッパの本場のものが食べたいという姿勢はどこかかっこよかった。こういう単純明快に好きなものをわがままに本気で取りに行く姿勢は、いつも物事を複雑に複雑に考えて、なにがなんだかわからなくなるくらい考え込んでしまう自分にとって見習いたいものだった。

僕は疲れもあってか一気に酔っ払い、訳のわからないことを言いながら、宿に帰って眠った。



翌日、バルセロナに向かうあゆみさんを見送りに行き、僕は特に何もせずにバレンシアの街をふらふらとしていた。スペインに1ヶ月以上もいて、もうスペインは飽きていたのも事実だった。さらに宿でもめごとがあり、僕はスペインを少し嫌いになった。

さらに、バレンシアの空港に向かう途中、駅の自販機で50ユーロ札が使えなくて両替をしようと窓口に行ったとき、謝るそぶりも笑顔も一切なく「No.No.」と断ってくるスペイン人を見て、僕はスペイン人が嫌いになった。中南米でも同じことは起こりうるのだけれど、このちゃんとしていないにもかかわらず、横柄な態度はヨーロッパの人そのものだった。僕はスペイン最後の日にスペイン語で「イホデプータ(サノバビッチ)」と言った。

だが、実際僕はフランス人やイギリス人がそんなに嫌いではなかった。むしろスペイン人のほうがどうかなと思うことが多かった。スペイン人にあれだけお世話になりながら、僕はスペイン人をそこまで好きになれなかった。

僕はスペイン語を話すユーラシア大陸唯一の国に、中南米と同じ期待をかけすぎていたのかもしれない。中南米のようなインパクトや、ラテンアメリカの人の人懐っこさやラテンのノリをもとめすぎていたのかもしれない。

スペインと中南米は公用語が同じなだけであって、実際は、雰囲気も人の性格も全てが違っていた。スペインはヨーロッパの中の一つの国で、スペイン人はヨーロッパ人だった。それは期待していた分、イギリスやフランスよりもがっかりさせるものだった。あれだけお世話になって申し訳ないけれど自分に嘘をつくことはできなかった。

・・だが、観光と言う面では逆にスペインは圧倒的にヨーロッパのどこの国よりも素晴らしかった。トレドの全景・セゴビアのアルカサル・セビーリャのスペイン広場・グラナダのアルハンブラ宮殿、今まで見てきた建築物や風景の中でもスペインの観光名所は圧倒的にすばらしかった。

スペインでは、期待していたスペイン人が実際はそうでもなく、期待していなかった観光が素晴らしいという、旅によくありがちな最後になった。

僕はスペイン最後の日にライアンエアーの二重請求にてんぱり、ライアンエアーの対応の悪さに相当いらだちながら空港の窓口で返金交渉をしたが、自分のミスでメールアドレスを「jjp」と打ってしまっていたことがわかり二重に払わざるを得なくなった。治験が終わってから、お金がどんどんとなくなり、僕の家計簿はかなりやばいことになってきていた。

だが、こうやっててんぱりながら返金交渉をしたり、空港に寝泊りしたり、と徐々にバックパッカーの感覚を取り戻しつつあった。

スペインが終わったことで、旅の目的はすべて果たした。あとは自由に旅行を楽しんで、人との関係に縛られずにバックパッカーの最後を満喫するだけだった。

現地人の家にお世話になり、ある程度縛りがあるスタイルから、普通に宿に泊まり、旅人としてカウチサーフィンを使い、自分が見たいものをみて関わりたい人と関わる、縛りのない自分勝手な旅のスタイルに、徐々に変化していった。体はどんどんと軽くなっていった。

所謂普通のバックパッカーになる流れができ始めていた。

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