ベオグラード旅行記





~隠れた大国~

早朝ベオグラードに着いた。バスは夜中中ガタガタ道を通ってきたせいか、ずっとゆれていてあまり眠ることはできなかった。

僕は宿を確保するため、WIFIカフェを探した。もう何回も同じことをしている。中南米ではほとんど使うことがなかったホステルブッカーズとカウチサーフィンはヨーロッパにおいて必需品となった。新しい街につくとまずはWIFIカフェ、そして宿を予約するか、カウチサーフィンのホストと連絡を取る。これはいつの間にか日常になった。僕はある意味ではヨーロッパの格安旅行に慣れていた。

ベオグラードのバスターミナルの近くのカフェにはWIFIがなかった。しかもコソボやモンテネグロに比べてセルビアという大国の首都であるベオグラードは、どこか冷たい感じがした。

もう、ルーマニアに行ってしまおうと考えた。一つの目的地であるルーマニアのティミショアラという街はベオグラードが近い。かなりハードな移動になっているが、なんとなくベオグラードにいたくはなかった。それは7年前に一度きているという事情もあった。

このヨーロッパの旅ではできる限り以前に行った都市にはいかないように意識をしていた。実際二度目となる都市は、ミュンヘン、ローマ、ブダペスト、ベオグラードだけだった。一度行った事がある都市にいくよりは新しい場所に行きたかった。

だが、バスターミナルで聞いても、列車の駅で聞いてもベオグラードからティミショアラ行きのバスはなかった。僕は疲れもあり、ベオグラードに一泊だけすることにした。駅でWIFIカフェを見つけネットで宿を予約して地図と住所の写真を撮る。ずっと前に携帯とアイポッドを盗まれ、端末がない状態で唯一のメモをとる方法だった。結局、ヨーロッパで端末を買うことはしなかった。

地図を頼りに宿にむかって歩いた。いつの間にかヨーロッパは夏になっていた。ついこの間まで雪が降っていたのに、気がついたら日差しのきつい夏に変わっている。この急激な変化は日本にはあまりみられないものだった。僕は汗だくになりながらバックパックを背負ってひたすら歩いていた。

宿にたどり着きチェックインをすると、疲れがどっとでてきてベッドで眠った。ベオグラードは一度来ていて、特に観光をしたいとも思えなかった。旅において、休みとは何なのか全然わからないが、むしろすべてが休みなのかもしれないが、僕は旅行が長くなるに連れ、完全に観光という概念すらなくなり、ただ休んで歩いて人と話してネットをして、休んで歩いて人と話してネットをしてというのを繰り返すだけになっていた。

気がついたら夕方になっていた。僕は散歩がてらベオグラードの街を歩き出した。7年前に来たときの記憶は一切なかった。ベオグラードは怖いという印象だけが先行してその他はまったく覚えていなかった。

ドナウ川を渡りぼろぼろの街並みを歩いても何の感慨も沸かなかった。だが、次の日にメインのとおりと恐らく観光地であると思われる公園にいったとき、ようやく7年前に来た記憶が少しだけ蘇った。確かに2006年の2月に僕は公園の近くのセルビア正教の教会に生き、極寒の中、この公園を歩いた。そしてドナウ川を見つめた。このとき、僕は旧ユーゴスラビアの戦争というイメージを持っていたせいか怖くて怖くて仕方がなかった。

だが、2回目のベオグラードはまったく違って見えた。ユーゴスラビアというアメリカに代表される西側諸国でもソビエト連邦に代表される東側諸国でもない独自路線を行ったヨーロッパの大国は歴史的街並みにその風格をあらわにしていた。メインのとおりでは若者は幸せそうにバーでおしゃべりをして、家族は楽しそうにカフェやレストランで食事をしていた。セルビアは、少なくとも首都は、もはや大国でありまた先進国であった。ユーゴスラビア紛争の危険な雰囲気は微塵も感じなかった。

また、その隠れた大国の風格は夜一人で歩いていても何の危険も感じない治安のよさにみてとれた、ベオグラードはむしろローマやパリよりも治安がよく感じられた。僕はある目的のために夜一人でずっと街を徘徊していたがなんの危険も感じず、実際に何の危険もなかった。到着したときは冷たいと感じた人たちも宿をはじめとしてみな優しく、純粋であった。

僕はベオグラードという旧ユーゴスラビアの首都に対して、7年前に来たときと間逆の印象を受けた。

寒い季節と暑い季節の違いなのか、7年間という月日の経過なのか、そのどちらでもなかった。僕は若かったときに比べて、ヨーロッパという地域に、むしろ自分が知らない場所に行くということに、つまりは「旅」をすることに慣れたのだ。

数年前のように、情報がないまま地球の歩き方だけを頼りに旅行する時代は、インターネットでどこでも情報をもって日本で生活するのと変わらずに旅ができる時代へと変わった。そして僕は何度も何度も、危ない経験も含めて、よい経験も悪い経験も積んできた。

僕はこの「時代の変化」と「経験の積み重ね」により、若さとフレッシュさはなくしたが威風堂々と落ち着いてまるで日本で普通に生活するかのように旅ができるようになった。自分自身が精神的に落ち着き、ある種の生き方における自信がついたことに他ならなかった。

これは2つの意味で良くも悪くもあった。一つは好奇心というものが磨り減っているという欠点に反して落ち着いて物事を進めることができるという点。もう一つは情報がどこでも得られるという利点に反して外国にいるにもかかわらず日本にいるのとあまり変わらなくなってしまう点であった。

僕はベオグラードの公園でドナウ川に沈む夕日を見ながらいろいろと考えた。ヨーロッパという幼いころから持っていた憧れの地をもう一度旅行して、多くのことを学ぶことができた。また、ありがたいことに多くの人と関わることで、日本にいたころの自分とはまた違う自分の考え方を知ることができた。

ベオグラード

「旅とは考えることである」と昔知り合った旅人はフェイスブックでメッセージをくれた。その通りだった。旅と言うものは何も生まない。何も生産的に生むものがない。何も形に残らない。でも、むしろだからこそ旅を通じて、いろんなものを見て聞いて感じて、そして考えることで、目に見えない自分の精神を鍛えることなのだとわかった。

それは、生きていてよかったと思わせるには十分だった。

「旅はどんな形であれ、どんなに失敗しても、どんなに無駄な日々を過ごしていると思っても、どんなに好奇心を失っても絶対にしたほうがいい。」

・・・僕は宿のスタッフからティミショアラ行きの情報を得て、電車とバスを乗りついでルーマニアにむかった。

ルーマニア、、このヨーロッパ旅行最後の国。グランドフィナーレは近づいてきていた。

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