キューバでスペイン語留学。



〜会話〜

僕はこの街で毎日毎日勉強していた。スペイン語の授業はただ話すだけになってきていて勉強とはいえなくなっているが、僕は会話の途中に単語をノートに写し辞書で調べることだけは忘れなかった。その単語を覚えること、そして日本で勉強していたときに使っていた単語帳でディクテーションをしながらまた別の単語を覚える。それを図書館で毎日繰り返していた。

ただ、メキシコでは大して感じなかったけれど、キューバのスペイン語は訛りがひどい。スペイン語と呼べるのかも微妙なくらい発音からイントネーションから全部、僕が日本で習ったスペイン語とは違っていた。

だが、単語が分かればなんとなく話はできる。単語を読めて単語が話せて単語が聞き取れれば会話は成立する。あとは自分のキャラクター。どれだけその人を好きになってどれだけ好きになってもらえるか。これはスペイン語であろうが英語であろうが日本語であろうがキューバ人であろうがアメリカ人であろうが日本人であろうが関係ない。

語学を学ぶときに必要なのは単語、文法、リスニング、、と色々とあるけれど、何よりも会話が大切であると言うことを僕は日に日に感じていた。そしてここでの会話は辛かったけれど楽しかった。夜は必ず、ダマリスの家族、カルメンの家族、近所に住んでいるアンナの家族、近所のジュース屋、のどこかでテレビを見ながら話をしていた。キューバ人は旅行者に対してすぐに話しかけてくるのですぐに友達になる。店にジュースを買いにいくだけでそのまま友達になれてしまうこの環境は最高に面白い。何日もここにいることで何人も何人も友達ができていた。

彼らは僕に話すときはみんなゆっくりと話してくれるから何とか分かるけれど現地人同士が話をしているのは全く分からない。キューバ人はほぼ全員が早口であり、自分に対してだけ外国人としてゆっくり話されるのは本当は嫌だった。もっと現地人と同じように話がしたかった。そしてそれがストレスになっていた。でも、それは無理だった。僕はあくまで外国人でありすぐに外国語ができるようになるわけがない。

語学は毎日毎日会話を積み重ねることで少しずつ分かってくるものだということを思い出した。そして「何が出来るようになったか?」ではなく「何が楽しかったか?」を感じること。僕はいつも物事を楽しむことを忘れてしまう。そして忘れては思い出す。

僕はこの街で音楽を聞いたり、観光名所に行くのに飽きてきていた。何もやることがなく、毎日毎日テレビを見ながら話をしているだけだった。カルメンは毎日授業の前に「今日は何していたの?」と聞いてくるが僕はいつも「図書館で勉強していた」「アンナ・ダマリスの家族と喋ってた」と返す。そして彼女は「もっと観光しろと言い僕は「もう全部見た」と返す、これが日課になっていた。

キューバのテレビは面白かった。日本のテレビと違って下品な表現がない。教養番組とヨーロッパの映画、ブラジルのドラマがほとんどだった。カルメンに聞くとキューバは国営放送しかテレビ局がないということだった。すべての局がNHKと同じ種類のものだった。 言葉は分からなくてもただ見ているだけで面白かった。停電したり放送局の問題でいきなりテレビが映らなくなったりするが、それ自体も面白かった。



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もう何日この街にいるんだろう?ここに来た日から今日までの日数を数えてみると40日以上経過していた。ここに来たときは2日で出る予定だったのにいつのまにか2週間滞在することになり、1ヶ月滞在することになりさらにもう1週間滞在している。そろそろ出よう。

カルメンとダマリスとアンナに出ることを伝えた。ダマリスはいつものように笑いながら「次にキューバに戻ってくるときはもっとお金を持ってきてね」と冗談を言い、アンナは「他の街のカーサの友達を紹介してあげる」と言い、カルメンは「あなたはこの街に新しい家族ができたわね」と言ってくれた。

この最悪な環境から脱出できる嬉しさと、彼らと別れる寂しさと、次の街への新たな出会いの期待感と、、、よくわからない感情を持ちながら、この旅で初めての現地人との別れを経験しようとしていた。

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