キューバ旅行記/トリニダー



〜別れ〜

この旅を始めてからベシードという挨拶を覚えた。家族や友達は男であれ女であれ「おはよう」の挨拶も「おやすみ」の挨拶も頬と頬をくっつけ口でチュっという音を鳴らす。「さようなら」も同じだった。

この街に着てから何人の人と握手をし、何人の人とベシードをしたことだろう?この街の人たちは僕を完全に受け入れてくれていた。


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僕はバスターミナルでサンタクララ行きのチケットを取った。

今日がトリニダー最後の日になる。
僕は普通に一人で海に行って泳いだ。キューバの12月は少し肌寒かったが、それでも海で泳げるくらいには暖かかった。

帰ってきてからいつものようにカルメンの家に行き、アンナの家に行き、ジュース屋に行った。

アンナは約束していた通り、サンタクララのカーサの住所を教えてくれた。アンナの娘とその友達に日本から持ってきた折り紙を渡し、色々と日本のことを話した。子供は苦手だがなんとか頑張って話していた。

カルメンにはこのレッスンで何をやったかを次の先生に引き継いでもらうためのメッセージを書いてもらった。そしていつものように彼女の家でテレビを見ながら息子と娘と旦那と孫と過ごした。家の水道管が壊れて大変そうだったが笑いながら修理していた。

僕は最後にこの家族にビールを振舞った。いつも最後にはお世話になった人たちに何かを振舞う。これは日本でも同じだった。大感謝祭と名づけてお世話になった人たちに感謝の気持ちを表現する。いつもは1円単位まで交渉してケチケチしているけど、人への感謝の気持ちを表すときだけはお金を使う。

家族と一緒にビールを飲み、僕は家に帰った。「いつキューバに帰ってくるんだ?」という質問が辛かった。とりあえず「いつか分からないけどいつの日か」とだけ言った。全員と握手とベシードとハグをしてそのまま振り返らずにダマリスの家に向かった。

ダマリスの家に行き、ここでもビールを振舞った。旦那はうれしそうに笑顔を見せた。ここでも同じようにテレビを見ていた。この街でそれくらいしかやることがない。テレビを見て、話をして、ご飯を食べて、寝て、働いて、それを繰り返す。旅をして毎日がめまぐるしく変わっていく自分の生活とは正反対の静かな生活。

いつもと同じように夜が来て部屋に帰り寝た。不思議な感覚だった。


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翌日、ジュース屋とアンナに挨拶をして家でずっとテレビを見ていた。ダマリスは料金を払っていないにもかかわらず当たり前のように朝食を出してくれた。この数十日の間に色んなことで怒り、笑い、話をしあった仲だ。だんだんと寂しくなってきた。

キューバが他の国と違うところの一つ、キューバにはインターネットがない、あってもなかなか現地人が触ることができない。つまり、これからフェイスブックやスカイプで連絡を取ることがほぼ不可能ということになる。メールアドレスは一応あるみたいだが、どれだけメールできるのかも分からない。

トリニダーに来る事がない限り、ここの人たちとはコミュニケーションが取れない。それが何よりも寂しかった。連絡をとるかとらないかは別にしても連絡が取れる状態にあるということがどれだけ幸せなことか、Wifiが飛んでいる、もしくはLANケーブルがパソコンにつながっているというだけで世界中のどこの誰とでも連絡がとれるという自分の境遇がどれだけ恵まれているのかを思い知った。

時間だけはいつも平等にやってくる。旅をすると出会いと別れを繰り返さなければならない。時々、別れる事が辛いこともあるけれど一回一回辛いと思っていたら何もできない。でも別れが辛いと思わないということはそれだけ薄い関係しかできなかったということになる。こんな悲しいことはない。

ダマリスにバスターミナルまで見送ってもらい最後のベシードをして僕はバスに乗りサンタクララに向かった。辛いけれど次の目的地へ行かなければならない。

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