キューバ旅行記/コヒマル



〜ハバナ〜

ハバナはやっぱり首都だった。人の数、街の大きさ、すべてにおいて大きい。サルサの音楽が爆音で流れ、サン・ラファエルの通りでは現地人が普通にCUCで買い物をしている。トリニダーでは現地人はほとんど人民ペソでしか買い物をせず、外国人しかCUCを使えていないような感じだったが、ハバナでは現地人が外国人のように生活をしている。地方と首都では経済状態が違うのか?キューバの人民の現実の生活はどうなのかずっと考えていたが、結局この国の経済体制は結局よくわからない。

トリニダーに行く前に泊まっていたライサの家に向かった。ハイシーズンということもあり、一泊20CUCに値上がりしていた。トリニダーに行く前の倍になっている。態度の悪い息子しかいなかったからかもしれない。ライサと直接話せればもっと安く泊まれたのかもしれない。どうしようもないのでホワキナの家に向かった。カピトーリオの一ブロック右にホワキナの家がある。このお化け屋敷のようなぼろぼろの階段がなつかしい。トリニダーでの40日間の前は毎日この家の共用スペースの椅子に座って窓からカピトーリオを見ながら日本人と話をしていたことを思い出した。

本当は日本人宿に行きたくはなかった。ずっと現地人としか話してなく、日本人とまた何日間も一緒に生活することでスペイン語を忘れるのが怖かった。でも行きたかった。メキシコに帰ればまた現地人しかいない環境に行く。現地人しかいない環境と同じくらい日本人の旅人とも一緒に生活し、話がしたかった。



---

ここの宿は日本人と韓国人に人気で満室状態だが奇跡的にベッドが空いていた。久しぶりのドミトリーで生活する。一瞬とまどった。どうやって日本人と接するのかを一瞬忘れた。いままでこれだけの期間ネットもなく日本人から離れていたことはなかった。サンタクララでは日本人と必要事項以外話していない。言葉として日本語を覚えていても仕草や相槌など、、、雰囲気的なものが分からなくなった。外国語でも母国語でも言葉そのものだけで会話は成立しないのだと言うことが身にしみて分かった。

が、それは一瞬だった。日本人とも韓国人ともすぐにうちとけた。共用スペースで少し話をするだけで日本の旅人の感覚を思い出した。

日本人同士はいつもすぐにうちとける。僕はいつもどおりある程度仲かよくなった日本人に混じり、キューバ音楽のライブを見に行った。以前にも行ったことのある宿から10分くらい歩いたところにあるライブハウス。入ったところにチケットカウンターがあり、ビールやジュースを売っている。キューバ人と外国人が入り混じっていてなぜか日本人が多い。

ライブは始まった。明るい音楽で次から次へと踊りまっていく。ライブを見ているとキューバの音楽に日本人が魅せられる気持ちがよくわかった。ロックともレゲェとも違う、キューバ独特の音楽。明るく楽しそうに歌って踊るラテン文化を僕はカリブの小さい島で嫌と言うほど感じていた。

キューバのライブ


---

キューバに限らず中南米を旅している人は大抵グアテマラのアンティグアかケツァルナンゴでスペイン語を習う。当然ここでもどこの学校がいいとかどこの街がいいとかそういった話になる。でも、僕は人が集まるところに行きたくなかった。なんとなく人と同じことをやりたくなかったし日本人の集まるところで他の言語を勉強しても結局日本語を話してしまう自分の意思の弱さを知っていた。だからこそ日本人がほとんどいない、インターネット使えないトリニダーという環境は言語学習にとって最高だった。

僕はスペイン語を学ぼうとしている人にこの話をした。彼もスペイン語を勉強していてグアテマラで学校に行こうとしていたが僕の話を聞いてトリニダーに行くことになった。僕はカルメンに電話し友達がスペイン語を習いたいということを伝えた。カルメンは僕の電話を喜び、彼を生徒として迎えるというようなことを言った。彼は次の日にトリニダーに向かった



---

彼がトリニダーに向かったその日に、彼の友達がやってきた。めぐという僕と同じくらいの年齢の女性は明らかに旅人というような格好をしていた。

めぐと小一時間ばかり話していた。彼女は面白かった。話し方とか言っていることの意味がわからなくて面白かった。なぜかドイツからキューバのフライトでバラデロインしていた。そしてなぜかこのネットが使えないキューバでカウチサーフィンで知り合ったキューバ人の家に泊まっていた。色々とおかしかった。アメリカとドイツに留学して英語もドイツ語もペラペラ。でも日本語は若干おかしかった。

翌日、めぐはまたやってきた。今度はカウチサーフィンで知り合ったキューバ人を連れてきていた。3人で一緒にまた小一時間ばかり話し、夕食時にビールとカヒータを買い、ビールを飲みながら話した。彼はキューバの大学生でバラデロからさらに20キロほど離れたところに住んでいて、ハバナの親戚の家に住んでいると言うことだった。どうやら大学で はインターネットが使えるようだ。そしてなぜかフェイスブックも使えるみたいだ。キューバという情報が閉鎖されている国でフェイスブックという名前を知っているキューバ人がいたことに驚いた。

翌日、めぐはまたやってきた。キューバ人の彼と一緒にコヒマルを見に行った。コヒマルは小説「老人と海」の舞台にもなったヘミングウェイゆかりの地である。別にヘミングウェイに興味はなかったが特に行きたい場所もなかったのでとりあえず3人で出発した。

カピトーリオからコヒマルまでタクシーでいけば30分ほどで到着するが、25CUCという僕らにとっては破格の値段を払うわけにはいかなかった。タクシーが使えないとなるとバスを使うしかない。カピトーリオの東側にバス停があり、キューバ人の彼に交渉してもらいながら現地人しかのらないバスでコヒマルに向かった。バスの中は混んでいた。身動きが一切とれず、スリが心配だったがとりあえず待った。30分ほどでどこか分からない街に到着した。彼はここで乗り換えるというようなことを言ったが、乗り換えるバスがどれになるのかが全然わからない。彼は街の人に聞きながら、コヒマル行きのバスを探していた。

コヒマル行きのバスが来ると思われるバス停で1時間ほど待った。バスは全然来ない、来る気配もない。別に対してコヒマルに行きたいわけでもないので3人で話をしながらバスを待った。来ないことに大してイライラもせず、驚きもしなかった。バスがくればコヒマルに行く。来なければ帰る。それだけだった。

結局2時間ほど待ってバスは来た。バスに乗り込みコヒマルに向かう。また身動きが取れなくなる。淡々と淡々とコヒマルに着くのを待つ。そして結局6時間かけてバスはコヒマルに到着した。

TOP      NEXT


inserted by FC2 system