キューバ旅行記



〜ホセマルティ国際空港〜

コヒマルにたどり着いたときには夜18時を周っていた。だんだんと辺りは暗くなってくる。コヒマルの街はひっそりとしていた。特に何かがあるわけでもない、ただの漁村だった。小説「老人と海」で、愛挺ピラール号で釣りに出かけた舞台の海があり、そこにヘミングウェイの銅像があったが、規模も小さくそんなにたいした観光地ではなかった。

暗い夜道を3人で歩き、バス停に戻った。運よくハバナ行きの直通バスが見つかり、革命広場へ行った。キューバの最後の思い出に、革命広場にあるライトアップされたチェ・ゲバラのモニュメントを写真に取りたかった。チェゲバラのモニュメントは光り輝いて綺麗だったがサンタクララと違って特に感慨はなかった。

めぐとキューバ人の彼は1週間以上一緒にいて今日が最後になる。ずっとお世話になった彼にめぐはプレゼントをしようとしていた。彼を中華に誘い、最後に豪華な食事をしてキューバ名産のハバナクラブというロンをプレゼントしようとしていた。

だが、彼は中華を食べることを断った。僕たちに負担をさせるのが嫌だと彼は言った。確かにハバナの中華は高い。普通にカヒータを食べる数倍の値段になる。ビールを飲んでおなか一杯食べれば一人、600円〜700円くらいはする。日本人からすればたいした額ではないが旅をしている僕らにとって一食が、それもキューバの一食に対してこの値段は高い。でも彼には世話になった。なんとか彼にこのお礼の気持ちを伝えたい。めぐも同じ気持ちだった。

何度言っても彼は聞かなかった。最後もいつもと同じようにカヒータを買ってビールを買って宿の食堂で食べることにした。僕はめぐと相談しながら彼に内緒でハバナクラブを買い、めぐは彼に気づかれないように瓶にメッセージを書いた。そして帰るときにプレゼントをするということを彼に気づかれないように話した。

ご飯を食べ終わり、なんとなく感動の別れのような空気になっていたので僕はしばらくの間席を外し、二人だけにしておいた。一週間ずっとカウチサーフィンでお世話になっていた人である。僕は数日しか一緒にいない。僕のこの気遣いに意味があるのかはわからなかったが、別の部屋にいると、二人が話している大きな声だけは聞こえてきた。とりあえず僕がいてもいなくてもベターか何も変わらない状態だったので席を外したことは失敗ではなかったと思った。

1時間ほどしても帰る気配はなかったので席に戻り様子を伺うことにした。彼がロンを飲みたいと言い出したので予定を変更してさきにプレゼントを上げて3人でハバナクラブを飲み始めた。彼はとても喜んでいた。だんだんと3人の壁はなくなり、めぐはパソコンを持ってきてボブマーリーの曲をかけ始めた。そのまま3人でしばらくの間談笑していた。

彼は最後にチェ・ゲバラが肖像になっている3人民ペソのお札にメッセージを書いてを僕とめぐにくれた。僕のお札に書いてある「Amistad=友情」の意味をこの2ヶ月間のキューバの生活の中で痛いほど感じていた。

彼はめぐにあげたお札に「Amor」というメッセージを書いていた。僕はこの単語の意味・彼の意図がわかってしまったが、彼は僕に目線を向けて首を横に振り、人差し指を唇の真ん中に持ってきて秘密にして欲しいという合図をした。彼の意図をめぐに話すのはやめた。そしてそのまま二人を放っておいた。ボブマーリーの音楽は流れ続けている。



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その後二人がどうなったのかは分からない。僕は酔っ払いすぎて記憶をなくし、気づいたら朝になっていた。二人と別れの挨拶をしたような記憶がかすかにある。朝7時ごろにめぐはなぜか僕に荷物を預けビニャーレスの谷に向かった。いつのまにか彼もいなくなっていた。

僕は最後の日を普通に過ごし、いつもどおりにご飯を食べ、街を周り、観光地へ行き、日本人と話し、韓国人と話し、日本人と別れの挨拶をし、韓国人とハグをし、日本人とタクシーをシェアして、ごく普通にこの国を出た。ホセ・マルティ国際空港でイミグレを通った後に、カンクン行きの飛行機は4時間遅延し、イライラしながらも最後までキューバらしいと自分を納得させながらメキシコへ戻った。

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