ケレタロ旅行記br>



〜ケレタロ〜

僕は考え方を変えてこの街での生活・観光を楽しむことにした。といってもこの街は小さい。セントロの街並みや教会以外に特に見るべき観光名所もなくセントロから外に出るとただの住宅街であった。

僕は毎日セントロを歩いた。サンタロッサ教会からまっすぐ東へ向かい、セネア公園からサンフランシスコ教会を眺める。そしてサンタクルス修道院に向かって屋台でジュースを飲む。特に意味もなく同じルートを歩いていた。中世ヨーロッパのような美しい街並みも見慣れ、それはいつの日か見飽きるという言葉に変わっていた。でも、見飽きるくらい毎日毎日美しい街並みを見れたことが幸せなことであるということにすぐに気がついた。

ケレタロでの生活はほとんど二人の若い女性と会話をすることに終始した。

インディラとアリス。この二人の友達がこの街においての僕の生活の基盤になっていた。日本人の友達と何一つ変わらない。友達のように何気なくご飯を一緒に食べ、何気なく話をして何気なく日々を一緒に過ごしていた。

僕がこの街にいる間にこの二人は変わった。ある日の会話の中でアリスは突然「私はネガティブにはならない」と言い出した。「これからダイエットして美人に生まれ変わる」と。僕はダイエットする=美人になるということに疑問を持ちながらも彼女の変化に驚いた。彼女はこんな風に考えれる人間ではなかったはずだ。

インディラも変わった。「彼氏のことは大好きだけどもっと自分が強くならないといけない」と言い出した。彼氏のことばかり考えて彼氏が忙しくて会えないというだけで泣きそうになっていた、彼氏と結婚しいたいという理由だけで彼氏との間に子供が欲しいとずっと言っていた、この子がこんな発言をするのも僕にとって驚きだった。

僕と話をしたからかはわからないが、この1ヶ月で確実にこの子達は成長した。僕は嬉しくなった。自分自身ももっと成長して行きたいと思った。



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この1ヶ月間、彼女らと会話を続けていくうちにあることに気づいた。

僕は彼女らとスペイン語で話している。初めてここにきたときはほとんど何も話せずボディーランゲージになっていたのに、今は普通に話している。話をすることで感情をシェアしている。ケンカしたこともあった。二人とも異常に時間にルーズであることに苛立った。これはメキシコ・ラテンアメリカの文化なのだろうか?僕はストレートに、それでも日本人特有のカーブをかけながら気持ちをぶつけた。彼女らは理解してくれた。そしてケンカした分、仲良くもなった。どれだけお互いが笑顔になったかわからない。

何回も旅をして、いろんな国に行って、海外でボランティア活動までもやったにもかかわらず、こういう形で外国人と感情をシェアしたのは生まれて初めてだった。これこそ、、、、僕が追い求めていた外国語、高校生の頃になんとなく憧れた外国。僕は昔頑張って勉強したのにも関わらず、英語で感情をシェアすることは今まで一度もできず挫折した。今までの旅で知り合った人たちは仲がいいと言ってもあくまで日本人としての外部からの視点だった。今回は違う、日本の裏側のラテンアメリカの国で、英語を全く話せない人たちと一緒に感情をシェアしていた。完全に中に入り込んでいた。

僕はスペイン語のレッスンとして彼女らと会話すると決めていた。でも、それは間違えていた。スペイン語の勉強をするために彼女らと会話をするのではなく彼女らと会話をするためにスペイン語を勉強するのが目的だった。

この街を出る2日前にそのことに気づき、僕はちょっとだけ反省した。



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最後の日、僕は一人でケレタロを2時間くらい歩き続けた。ローマ様式の橋の下を奥に歩き、小高い丘を登った。丘の上から街を見渡すと山に囲まれている。ケレタロは山に囲まれた街だということを最後の日に知った。夜景が見たくなり、日が沈むのを待った。日が段々と沈み始め、夜になると、絶景になった。ローマ様式の橋は光り輝き、各家庭が電気をつけ始める。日本の電灯は白く輝くがメキシコは電灯が黄金に輝く。中世ヨーロッパの景色だった。

ようやくこの街での生活は終わろうとしていた。キューバと違って良くも悪くもインターネットが使えた。インターネットを有効に使いスペイン語を勉強した。そして彼女らと容易に連絡を取ることができた。その分日本とかわらないような生活にもなった。僕はちょっとだけ自分自身の意志の弱さに苛立ち反省した。

アリスは最後に僕と会ってプレゼントを渡したいといいながらその約束は果たされず、時間にルーズな彼女らしい最後になった。

インディラはバスターミナルに見送りに着てくれることを約束してくれた。結局、最後までこの二人が一緒になることはなかった。

「昔と違って今はメールもフェイスブックもある。僕たちはインターネットというものが存在し続ける限り、友達のままである。いつでもどこでもどの国にいても僕らは会話ができる。今は、変に感傷的にならずに最後を迎えたい。寂しい気持ちはあるがごく普通にこれからも連絡を取り続けたい。」

僕はパッキングを始めた。

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