モンテレイ旅行記



〜ホスピタリティー〜

モンテレイは寒かった。高地にあるわけでもないのに日本の2月と同じくらい寒かった。日本でずっと生活している僕にとって冬の寒さがそんなに苦手という訳ではなかったが、どういうわけかメキシコには暖房という物がなかった。日本の2月と同じ寒さで暖房がないという経験は今までしたことがなかった。僕は冬服を持っていなかったので、Tシャツに長袖のTシャツ2枚を着て、その上にセーターを着て、最後にジャケットを着た。それでも寒かったので、トルティージャにメキシコ特有の辛い唐辛子のサルサを沢山つけて食べることで体温を上げていた。

その寒さとは逆に、彼らのホスピタリティーは驚くほど温かかった。

マリソルの家族はただの旅人に丁寧に街を案内してくれ、食事、寝る所、インターネット、その他すべてのことを用意してくれた。

僕がおばさんの家でのんびりしていると、彼女とお父さんは毎日毎日車で30分くらいのところにある彼らの家からおばさんの家まで来てくれた。そしてモンテレイのセントロのどこかに行き、観光をした。モンテレイの街並みはケレタロやシティのように派手さはないが、落ち着いた雰囲気だった。特に綺麗な教会があるわけでもなく、コロニアルな建物が並んでいるわけでもない、アメリカのように機能的な街並みで、誰一人として観光客がいない。彼らと一緒にいなかったらただのアメリカのような街という表現で終わっていた。

僕はマリソルとお父さんと一緒に博物館に行ったり、司教の館と言う街を一望できる丘に連れて行ってくれた。司教の館の丘から見える景色は素晴らしかった。モンテレイという街もメキシコのほかの街と同じように山に囲まれている。ケレタロよりも街全体が大きく景色も雄大だった。僕は地球の歩き方やロンリープラネットに載っている所だけがいいところではないと言うことを確信した。

お父さんは丁寧に丁寧にこの街やメキシコの歴史を説明してくれた。そんなに歴史に興味があるわけではなかったが、お父さんの丁寧さに感動し、観光しながら話を聞いて、僕の方からも質問していた。

お父さんは僕が寒そうにしていればマフラーをくれ、外で食事をするときはすべてお金を払ってくれた。僕に何の見返りも求めることなく、ただ日本人が訪れてきてくれたということだけで、お世話をしてくれた。僕はこのホスピタリティーに感動して、何かお返しをしたいと思ったが、何もできなかった。恐らく彼らも僕に対して何の期待もしていなかった。素直にこの好意を受け入れたいと思った。

最後の日に、僕は彼らの家を訪れた。彼らの家はセントロから地下鉄で30分くらいのところにあった。地下鉄で最寄り駅に向かい、最寄り駅まで彼らはまた車で迎えに来てくれた。

彼らの家は近代的で綺麗だった。デザイナーズマンションのような住宅に、ネコを飼っていた。そのネコに日本風の名前をつけていた。
モニカはお昼ご飯を作ってくれていて4人でパスタとポテトを食べた。彼らはアジアの文化が大好きで、その中でも日本には特別な感情があるようだった。モニカもマリソルも、部屋の中はアジアの雑貨や布がおかれていた。

僕はマリソルと一緒に、となりのトトロを見た。彼女は日本のビジュアル系の音楽は好きだったが、アニメ自体は好きではなかった。でも、僕は彼女に宮崎駿のアニメを薦めたかった。僕は彼女に色々と解説しながらトトロを見続けた。

夜になり、おばさんの家に移動して家族全員とメキシコ料理を食べながらテキーラを飲んだ。お父さんはテキーラをベースにサングリアを作ってくれた。こうすけさんもやってきた。

夕食時に、バンバンという銃声がした。僕は花火かと思ったが、モンテレイはメキシコの中でもかなり治安の悪いエリアだと言うことを思い出し、これは花火ではないとすぐに悟った。彼らは「このエリアは時々、反政府組織同士の銃撃戦があるから夜はあまり出歩かない方がいい」と教えてくれた。次の日にメキシコシティに帰る僕にとって夜で歩くことはもう二度とないだろうが、怖かった。僕が怖がっていると彼らは笑っていた。彼らにとってはどこかで銃撃戦が行われているということは当たり前のことのようだった。

銃撃戦のことなど気にもせず、僕らはテキーラとサングリアを飲みながら、UNOをやった。思えばUNOとはスペイン語で1のこと。これはスペイン系の国が本場なのか。と言うようなことを考えていたが、彼らとのゲームが楽しくてそんな疑問はいつのまにかどこかへ行ってしまった。

彼らは実に良く笑い、実に良く微笑む。普段、そんなにベラベラと話す人たちではなかったが、常に何があっても微笑んでいた。そして見せ掛けの言葉の優しさだけではなく実質的に、多くを語らず僕の旅をサポートしてくれた。僕はこういう人たちになりたかった。ベラベラと多くを語らず、それでも人に対して優しく、芯が強い。明るく、強い家族だった。

僕は彼らに感謝した。ありがとうと何回もお礼を言った。彼らは旅人に対してサポートするのは当たり前のことというような雰囲気を醸し出し、僕の感謝の気持ちに対して常に笑っていた。僕は泣きそうになったが、我慢した。

旅に出てから4ヶ月しか経過していないにも関わらず、もう1年以上も前のことのような気がする。色々な人と話をし、感情をシェアできていた2011年は僕にとって幸せの絶頂であり、旅に出ることでこの幸せが壊れると思ったことがあった。2012年も相変わらず幸せは続いている。相変わらず僕は人と話をし、感情をシェアしている。それは少しずつ、それでも着実に日本というエリアから世界というエリアに広がっている。僕は完全に現地での生活・そして異文化交流を果たしている。



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翌日、お父さんとマリソルは空港まで送ってくれた。マリソルは最後にプレゼントをくれ、「モンテレイに来てくれて本当にありがとう」と笑いながら言った。僕はありがとうと言う立場であり、ありがとうと言われるようなことは何もしていない。僕は彼らに何もできていない。でも、僕は必ずいつかどこかで誰かにありがとうと言われるようなことをできる人間になろうと考えた。

飛行機は2時間ほどでメキシコシティに到着した。

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