メキシコホームステイ



〜テワカン〜

テワカンの宿に2泊した後、僕はアミーに家に泊まらせてほしいとお願いした。宿に泊まるとお金がかかるし、何よりもメキシコ人の家にホームステイをしたかった。
彼女は初め、「多分あなたは私の家を好きにならない」というようなことを言っていたが、最終的に家に泊まらせてくれることになった。

テワカンのセントロからバスで30分ほどでアミーの家に着いた。スペインのスペイン語ではバスのことを「Autobus」というが中南米のスペイン語では「camion」と言う。「camion」とはスペインではトラックを意味する。なぜ中南米ではトラックをバスと呼ぶのか分からなかったが、ここではトラックをバスとして使っていたことでその意味がようやく分かった。

家に入った瞬間になぜ彼女は「多分あなたは私の家を好きにならない」と言ったかがわかった。アミーの家は普通のメキシコ人の家というよりはむしろキューバの一般家庭のような家だった。しっかりとした屋根がなく、シャワーのお湯も出ない家だった。

先進国では見ることができない家。便利さはないけれど自分たちでシャワーのお湯を沸かし、自分たちで料理を作り食べる。都会にいると忘れてしまう大切なことを思い出させるような家。僕はこういう家にこそ泊まりたかった。

テワカンという街自体、観光客が全くいなさそうな田舎であり、その郊外となると完全に外国人はいない。彼女の家族は外国人をはじめてみるような珍しい眼差しでこちらを見ていた。僕は年下にも関わらず彼らは2人称を「tu(君)」ではなく「usted(あなた)」として使っていた。アミーは「外国人と話したことがないから緊張しているのよ」と言った。



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今のメキシコの地にはもともとインディヘナと呼ばれる先住民が暮らしていたが、15世紀の大航海時代にスペインが入植をはじめ多くのインディヘナが虐殺された。そして生き延びたインディヘナとスペイン人入植者の混血が進み、メスティーソと呼ばれる混血児の子孫たちがメキシコの人口の80%以上を占めている。現在のメキシコにはスペイン系白人、その混血であるメスティーソ、そして少数のインディヘナが暮らしている。そしてインディヘナの祖先は東アジアのモンゴロイドの顔をしている。

この家の家族は僕にとってメキシコという感じはしなかった。彼らは皆スペイン系よりもインディヘナの血が濃いのか、モンゴロイドの顔をしていて、どこか懐かしい感じがした。スペイン語を話すが、全くヨーロッパの要素は見られない。今まで僕はメキシコで数々の教会・カテドラルを見てきており、ヨーロッパと同じような感じがしていたが、ここはスペインによって植民地化され、そしてメスティーソ達が独立を果たしたヨーロッパとは全く別の国なのだと確信した。

家族は僕を温かく迎えてくれた。部屋を一つ貸してくれ、常に僕の食事を用意してくれた。僕はアミーと、そして家族と一緒に何日間も滞在した。家族は常に僕を気にかけてくれ、大丈夫か?お腹へっていないか?疲れていないか?と会うたびに言ってくれた。この純粋さ、素朴さは旅の醍醐味であった。日本で普通に働いているときには忘れてしまう感覚。時間と数字に追われ、日々の生活に余裕をなくしてしまっている時に忘れてしまうこの感覚。僕は一生この感覚を絶対に忘れないようにと誓った。

僕は彼女の家事を手伝った。掃除・食事の準備・洗物をやった。アグア・デ・サボールと呼ばれるフルーツジュースを作るため、レモンを近所の八百屋に買いに行き、汁を絞った。彼女はそれを水に混ぜて砂糖を大量に入れて完成して喜んでいた。そしてワカモレというたまねぎとアボガドを混ぜたもの、そしてフリホーレスとトルティージャで一食が完成する。

彼女はインディヘナの時代から食べられている、トウモロコシ・豆・ノパーレスと呼ばれるサボテンがメキシコの伝統料理として今でもメキシコ人の食事に受け継がれているということを教えてくれた。僕は今までヨーロッパのようなアメリカのようなところを見てきていたのでこういうインディヘナの文化は新鮮だった。

アミーは僕を色々なところへ連れて行ってくれた。ボロボロのバスに揺られながらサボテンの山を登ったり、トラックの荷台に乗りながら川のようなプールへ行ったり、学校の文化祭のスポーツ大会を見に行ったりした。僕らは彼女の友達も含めて常に3人で行動していた。夜は彼女の兄弟と一緒にラピュタを見たりした。メキシコでは宮崎駿は有名人であり、みんながジブリを知っていた。

彼女は忙しいにもかかわらず家の掃除をやり、家族の食事を作っていた。彼女の兄弟は全員結婚していてお父さんも再婚しているため常に自分は一人だというようなことを言った。僕はそれに対して何もいえなかった。そして彼女は純粋に、そして無邪気に日本のことを知りたがっていた。僕は日本の食事のことやジブリのこと、日本語を教えた。教えるたびに好奇心旺盛な顔で僕を見て笑った。彼女は大学生でレポートの提出に追われていて忙しそうだった。僕はレポートをまずやりなさいといったが無邪気な顔で嫌だといった。



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僕は南米に行くチケットを取った。スカイスキャナーとdestiniaとカヤックとモモンドを使い、安いチケットを探しながらルーティングを考えた。
アジアでタイ〜ミャンマーの国境が通れないのと同じように、中南米をの中で一つだけ、パナマ〜コロンビアだけは陸路で国境を渡れない。政治的な背景でコロンビアの反政府ゲリラが国境付近に潜んでいて政府軍と対峙していて、一般人はここに立ち寄ることができない。パナマのコロンという街からコロンビアのカルタヘナに船があるという情報も聞いていたが、高いうえに危険だと言う話を聞いておとなしく飛行機を使おうと考えていた。
結局様々なルーティングを考えた結果、約20日後のコスタリカ〜ボリビアのチケットを取った。若干高かったけどこればかりはどうしようもない。

目的地は決まった。目指すはコスタリカ。ここにゆっくりとしているわけにもいかない。

僕にとって旅が辛いのは暑かったり、寒かったりすることでも、電気がなかったり、悪い人に騙されたり、お金を盗まれたりすることでもない。一番辛いのは、お世話になった人、仲良くなった人と別れることである。

アミーに「明日出る」と告げると彼女は笑っていたが、寂しそうにしていた。
彼女は「私はあなたを好き、でも、あなたはこれからも色々なものを見たほうがいい」と言った。僕は泣きそうになった。ありがとう。こんな訳の分からない旅人を好きになってくれて。僕は一瞬ずっとここにいたいと思った。でも、好奇心の方が強かった。それに、僕はこの世で一番好きな人がいる。恋人でも夫婦でもないただの友達だけど、好きな人がいる。

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