中南米・キューバ旅行記/ハバナ



〜キューバの首都〜

夜中にも関わらず、空港のカンビオ(両替所)には多くの旅行者が並んでいた。もう夜中の3時を過ぎている。眠さで頭がボーっとしながら僕も他の旅行者に混じって並んだ。リーさんはツアーでの旅行なのであまり両替の必要がないようだった。別れの握手をしてどこかへ行ってしまった。

キューバには通貨が二つある。主に外国人が使うと言われている兌換ペソ(CUC)と主にキューバ人が使う人民ペソ(CUP)がある。兌換ペソはUSドルの1,08倍と等価であり、人民ペソはその25分の1になるらしい。計算が面倒くさく、頭がごちゃごちゃしてくる。モニターにUSドル、メキシコペソ、日本円、ユーロなどのレート表示がされていたが、この国のレート表記は意味がわからない。

フンキュー君や空港にいた他のバックパッカーの話だと、空港の両替所はレートがよくないようだった。しかもUSドルはこのレートからさらに10%の手数料がかかる。アメリカの敵国だからか、ここ数年のUSドルの価値の下落の影響なのか、国としてUSドルは欲しくないのだろう。この情報をメキシコで得ていた僕は、カンクンですでに持っていたすべてのUSドルをメキシコペソに両替してきていた。

時間はかかったが両替は終わった。朝の4時である。今の時間に街へ行っても宿はない。キューバ人のツアーガイドのような女性がいつのまにか話しかけてきてフンキュー君と3人で話をしていた。頭が痛い。話をできるほど余裕はなかった。とりあえず寝ようと思ったが、物を盗まれるのも怖くあまり集中して眠れない。どうしようもないのでとりあえず座って待つ。


数時間後、夜は明けた。いよいよキューバという国へ入国するのだと考えるとわくわくしていたがそれ以上に眠気も襲ってくる。高揚感と疲れが同時にやってきて、頭の中は混乱していた。彼と一緒に街へ向かおうとしたが彼はタクシーではなくキューバの現地人が使うバスで行こうと言い出した。彼はさっきのガイドからバス停の場所を聞きだしていたのだ。ここから、2キロほど離れたところにバス停があり、そこのP16というバスに乗ればハバナの旧市街にいけると彼は得意げな表情で話した。

タクシーだと25CUCを二人でシェアして12,5CUC、日本円で約1000円くらいであるが現地人が使うバスに乗れば10〜20人民ペソ、80円もしない。これは名案であった。1000円も無駄を省くことができるメリットは大きい。彼に感謝しながら彼についていった。一睡もせず、重いバックパックを背負って2キロ、、、気が遠くなりそうだったが、朝日を浴びながら体力の限界を超えて歩き続けた。そして二人で道に迷った。何人もの人に道を聞きながら、旧市街行きのP16というバスを探し続けた。

何分歩いたか分からない、この旅を始めてからまだ数週間しか経過していないのに何回意識が朦朧としたことだろう。またも意識が朦朧としながらも、僕らはやっとバス停を見つけバスに乗り込んだ。バスは人ごみがすさまじかった。人がひしめき合うバスの中で、物を盗まれないようにバックパックを前に置き、サブバックにある財布を手で押さえていた。キューバは治安がいいと聞いていたが、入国早々物を盗まれたくはなかった。体力の限界が来ながらも神経を尖らせていると、キューバ人が席を譲ってくれた。グラシアスといいそのまま席に座り、襲ってくる眠気と必死に戦いながら、人が多く蒸し暑いバスのなかで神経を集中させていた。



------

50分ほどで旧市街に到着した。バスを降りるとカピトーリオが見える。キューバの首都、ハバナの国会議事堂であり、地球の歩き方の地図を見る限りハバナの観光の起点となりそうな場所であった。ヨーロッパのような街並みで、スペインのコロニアル風の建物がとても綺麗である。メキシコとは違い、建物が全般的に古く歴史を感じる。そして何十年も前のクラシックカーが走っている。

キューバのクラシックカー

キューバのクラシックカー

映画の舞台のような、100年目のニューヨークのような光景だった。



キューバにはユースホステルや安宿がない。その代わりにカーサと呼ばれる現地人の家に泊まることが出来る。錨のマークがついている所が政府公認であると地球の歩き方に書いてあった。僕はカンクンにいた時にすでに情報ノートでカーサの情報を集めていたが、体力の限界で自分で宿を探す気になれずフンキュー君が持っていた情報に任せることにした。ベッドで眠れれば何でもよかった。

彼が行こうとしていたカーサはカピトーリオの隣にあった。廃墟のようなお化け屋敷のような階段を上がり、家に入った。ホワキナという白髪の初老の女性が笑顔で迎えてくれたが意識が朦朧としていて応える余裕はなかった。

このカーサは旅行者で一杯だったので彼女は他のカーサを紹介してくれた。黒人の男性が迎えに来てくれてカーサに連れて行ってくれた。ライサという気の強そうなおばさんがいるこのカーサは、ツインで20CUCだった。フンキュー君とシェアするので一人10CUCになる。自分で調べた情報は途中からどうでも良くなった。何十時間も眠っていなかった僕は部屋に入るとすぐに爆睡した。フンキュー君はどこかに出かけていった。

眠りから覚めたとき、彼は部屋に戻っていた。そのまま一緒にCADECAという街の両替所に行った。彼は場所も全部調べていてくれていて、僕は何もせずに彼にすべて任せていた。

CADECAには多くの人が並んでいて、セキュリティーもかなり厳しくなっていた。ガードマンのような男が並んでいる人を厳しい眼で見ていてピリピリとした空気を感じた。中に入り、メキシコでレートが悪かった1万円札を両替した。1万円は大体127CUCだった。

彼と一緒にカリブ海に浮かぶモロ要塞を見に行き、そのまま二人で沿岸を歩いていた。彼も体力の限界を感じたのか、途中で帰ると言い出した。

一眠りして元気になった僕はそのまま裏路地ををずっと歩いていた。裏路地に行くとカピトーリオ周辺や海辺とは全く違うものが見えてきた。裏路地は完全にスラムであり、廃墟である。そこに普通に人々が暮らしている。野良犬がそこら中で吼えていて誰もそれを気にしていない。

ハバナの裏路地

街には黒人が多く、音楽が常に鳴っていてメキシコよりも騒々しい。メキシコでも街中で音楽は流れていたが、キューバの音楽はさらにエネルギッシュな感じがした。

メキシコは日本やアメリカのように、街中で現地人がツーリストに話しかけることはほとんどないが、キューバでは現地人が「チーノ、チーノ」と話しかけてきた。好奇心からただ話しかけてくる人もいるが、近づいていくる人は大抵、葉巻やガンジャをボッタクリ値で売ってきたり、酒をおごらせたりする類のものだった。フィリピンやインドにも負けない勢いである。キューバ産の葉巻は世界的に有名だが、葉巻にそんなに興味がない。物乞いも多く、ちょっと怖い。

ほとんどのキューバ人は写真を取ると純粋に嬉しそうにするが中には写真を撮るとお金をよこせとすごんでくる人もいる。それは分かっていたのに逃げられず20人民ペソ払ってしまった。実際の被害は日本円にして60円くらいだが、バックパッカーとしてはたとえ1円であっても絶対払ってはいけない。「日本人旅行者は簡単に大金を出す」という印象を現地人に与えることで今後の旅人がさらにつけ込まれるからであり、そして何よりも現地人が日本人から現地の価値での大金を手にすることで働かなくなるからである。


・・・僕が今、目の当たりにしているキューバは想像していたキューバと全く違っていた。

社会主義の国であり、物はないけれど、人々は温和で、幸せそうに暮らしている。街にはフィデルやゲバラがあふれている・・・・
そんな国を想像していたが、実際にそんなに物がないということはなかった。人々は温和どころか良くも悪くもうるさいくらいにエネルギッシュであり、街には大音量の音楽がどこにでも流れてくるのである。別にフィデルやゲバラがそんなに街中にあふれている感じもない。お土産やにグッズが売っているくらいである。街を歩いていると大きな声で叫ばれ、言い寄られる。そしてキューバ人はすべてにおいてシビアである。誰も守ってくれない。自分の身は自分で守るしかない。

でも、キューバ人は純粋だった。ラテンの気質が見事に表れており、何事も適当、声が大きく、旅行者からお金をぼったくろうとする魂胆が見え見えな、この訳の分からない国を絶対に嫌いにはなれなかった。インドやベトナムやカンボジアやフィリピンのような南アジアの国に似ている。懐かしさを覚えた。

僕はキューバという国になぜかユートピアを持っていたが、その妄想は入国して1日にして崩れ去った。その代わり、昔アジアで手に入れて日本で失いかけていた何かを思い出した。

TOP      NEXT


inserted by FC2 system