ペルー・エクアドル・コロンビア国境
 



~赤道を超えて~

僕は リマを離れて一刻も早くボゴタに行く必要があった。ボゴタでブラジルビザを取り、サルバドール行きのチケットを取らなければならない。ブラジル出国の日程は迫ってきている。もう、あまり時間はなかった。

リマからボゴタに向かうには、必ずエクアドルを通らなければならない。僕はリマからエクアドルの首都、キト行きのチケットが欲しかったが、グアヤキル行きのチケットしか売ってなく、グアヤキル行きのバスに乗るしかなかった。

朝起きて、部屋で新しいバックパックに荷物を詰めた。目一杯詰めても、一杯にはならなかった。まだまだ強盗にあう前の状態に戻るには時間がかかるということを象徴しているようだった。そして、ペルーで買ったバックパックは無駄にベルトが多く、背負うためにベルトとベルトをつなぎ合わさなければならなかった。一瞬不良品かと思ったが、宿のペルー人とかとうさんに手伝ってもらい、ようやく背負うことが出来るようになった。バックパックを背負うという当たり前の行為が嬉しかった。ようやく旅立てる。リスタートになるけれど、スタートできないよりはずっとマシだった。

午後12時にバスは出発した。グアヤキルまで29時間と言われたが、そんなに長いとは思わなかった。これまで20時間級のバスを何回も乗ってきていることで感覚は狂っていた。眠っていれば自然につくだろうと思いながら、目を閉じた。

・・・・気がついたらあたりは暗くなっていた。何時だろうと思い、携帯の時計を見ようとしたがポケットに入っていないことに気がついた。¨「そうだ、強盗に盗られたんだ。」
もう時間はどうでもよくなった。どこかの街のターミナルにバスは止まり、夕食を取って、僕は再び眠った。



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僕はどうしてもエジプトに行きたかった。それはすでにチケットを持っているからという金銭的な理由ではなかった。エジプトであの人と合流する。日本にいた時、三茶にいた時、誰よりも語り合い、誰よりも一緒にいて、誰よりも信頼し合い、誰よりも助けあってきたあの人に、僕はどうしても会いたかった。

長期旅行をしている間、彼女とは多くは連絡を取らなかった。お互い月に1度くらいしかメールを送らず、スカイプはこの10ヶ月で4回くらいしかしなかった。僕は旅中、常に目の前にいる人と話し、目の前にいる人を大切にしてきた。それは僕の旅の中での一つのポリシーでもあった。それを彼女は理解してくれていた。彼女の理解は連絡があまりないという所に表れていることを僕は知っていた。

だが、数少ない連絡の中で僕らの関係は変わった。何が変わったのかよくわからないが、日本で持っていた信頼関係よりも確実に、そして違う種類のものが生まれてきていた。

知り合ってから1年半が経過しようとしている。これまで、多くを語り、そして多くを語らずに笑い、泣き、励まし合ってきた仲だ。旅を続けることで大切な人を失うのか、大切な人を取ることで自分が好きな事を捨てるのか。僕はどっちも嫌だった。その両方を取ることができるのが、このエジプトだった。

強盗に遭い、旅は続行不可能だと思われた。だが、自分の経済的・精神的ファンダメンタルズと家族、リマの日本人、旅仲間、ラテンアメリカの仲間たち、そしてこの人の協力で、たった10日でリスタートをきれた。

ここまできたら何が何でも絶対にエジプトに行こうと決めた。旅は続行する、これからも目の前の人たちを大切にする。だが、この人は誰よりも大切な人。是が非でもに会いたい。そのためにはエジプトに行くしかない。

それは恋心でも寂しさを紛らわせるというような気持ちでもなかった。ただ、ありがとうと言いたかった。日本にいた時に僕を成長させてくれ、感情を分けあってくれて、旅にでた後も多くを語らず、支えてくれて、ありがとうと、無機質な通信機器を通じてではなく、目を見て、肉声で言いたかった。

そして会いたい理由はもう一つあった。

僕はこの人と旅仲間として語り合い、一緒に旅行がしたかった。日本にいた時に誰よりも信頼していた人と、何よりも好きな海外旅行というフィールドで会いたい。それは楽しみの一つですらあった。

会えるかどうかはまだ予断を許さない状態だが、会えないということを考えるのはやめた。全力を尽くし、できなかったときは全力で落ち込み、次にやるべきことを考えようと思った。おそらく彼女も同じ事を思っているだろう。



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朝になり、エクアドル国境の街、トゥンベスについた。写真を取りたかったが、カメラがない。この街トゥンベスで強盗に取られた。はじめから今のようにダイレクトパスで来ていれば、、、、と後悔したが、後悔しても何も物事は進まないということはわかっていた。

イミグレを通りエクアドルに入国した。少しづつだが暖かくなってきている。ロンドンオリンピックがどこの国でもテレビ放送されているこの季節、南半球は真冬。それがスペイン語で”赤道”という意味のこの国を北に超えることで一気に季節は真逆になることに僕は期待感を持っていた。

さらに数時間バスにのり、午後3時ごろにグアヤキルに到着した。グアヤキルがどういう街なのかもわからない。当然地球の歩き方も持っていなかった。カメラに時計にガイドブック、、旅行中にこういうものがないことの不便さを知ったのは人生で初めてだった。

この街に一泊したかったが、早くボゴタに着きたいという思いのほうが強く、バスターミナルでボゴタ行きのバスを探した。だが、どこのバス会社で聞いてもグアヤキルからボゴタ行きのダイレクトパスはなく、キトかコロンビア国境で乗り換えるしかなないという返答ばかりだった。仕方なく、僕はコロンビア国境までのチケットを取り、空いた時間にネットカフェに行き、コロンビアの友達に連絡し、ブラジルビザの予約をした。

夜18時にバスは出発した。29時間バスに乗り、そのまま12時間、13時間バスに乗ることが苦ではなくなっていた。

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