中南米・スペインのスペイン語



〜スペイン語を話す最後の日〜

ボゴタを出る日、僕は小雨の中、スペイン語との別れを一人惜しんだ。コロンビアを出国するということは、10ヶ月以上いたスペイン語圏から出国するということになる。

10年前にウエストサイドストーリーという映画を見た。ニューヨークを舞台にジェット団とシャーク団というヤンキーチームが縄張り争いを続けるが、ジェット団のトップのトニーとシャーク団のトップの妹マリアが恋に落ちる・・・というようなストーリーだった。

シャーク団の出身はプエルトリコ。この映画の中でジェット団がシャーク団をからかって発した言葉「ブエナスノーチェスセニョリータ」が僕が人生で最初に聞いたスペイン語だった。僕はこの言葉をこの10ヶ月間多用した。この言葉の響きが好きでスペイン語を始めたのかもしれない。

日本でライブモカを使い、多少文法を勉強して僕は中南米に旅立った。はじめは何も考えてなかった。日本でスペイン語を勉強していたのも、「中南米で使うだろうな」とか、「グァテマラに留学したい」とかなんとなくのものだった。メキシコについた時点で本気で勉強するかどうかもわからなかった。

だが、僕はキューバでスペイン語を本気で習い、日本にいたころよりは会話ができるようになった。その後もちゃんと勉強すればもっとできるようになったのかもしれないが、結局本気では勉強しなかった。だが、それでよかったと思っている。僕はスペイン語を勉強しに中南米に来たわけではなかった。ただ、中南米を旅行しただけだった。その中で現地に入りたくて現地人の友達との会話を重要視していった。スペイン語を話したのは自分のスキルでも、語学ができて格好いいという思いでもなく、ただ、話をするための手段でしかなかった。

だが、そのスペイン語は僕にとってなくてはならないものになった。スペイン語がなければ僕は友達の半分以上を失うという事実に気づいた。中南米の仲間たちの大半は僕がスペイン語を話すことで仲良くなり、スペイン語を通じてコミュニケーションをとった。それはこれからもフェイスブック・スカイプ・ライブモカという僕の守り神のような3大サイトを使って続いていく。



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スペイン語を話す最後の日、僕は最後のヒスパノアブランテス(スペイン語話者)との再会を果たした。アレハンドラとはこれまでのラテンアメリカの友達と同じように、ライブモカで知り合い、数日前にボゴタで出会ったが、このときは体調不良であまり話ができる余裕はなかった。

彼女はまだ学生であるため、親もうるさく、次にあえるかどうかもわからなかったが、幸運なことに、スペイン語を話す最後の日に、サンフランシスコ教会で会う約束をしていた。

僕は教会の前で彼女を待っていた。彼女は時間になっても来ず、ちょっと不安になったが、しばらくすると何事もなかったようにやってきた。そして携帯の電源がなくなって時間がわからなくなったというようなことをいった。

ちょうどこの日は彼女の誕生日だった。大人として何かプレゼントをあげようと思い、一緒にチョコレートを買いにいった。なぜチョコレートなのかはわからなかったが、若い女性だったらチョコレートがいいのかなとなんとなく思った。

僕は彼女と一緒に広場でチョコレートを食べながら話をしていた。自分の好きな音楽や趣味のこと、ラテンアメリカのこと、日本のアニメのこと、日本人のこと、、、僕らはずっと広場で喋っていた。

数日前に初めて出会ったとき、彼女は無口で何を考えているのかはじめはわからなかった。もしかしたら怪しい日本人がいきなり自分の住んでいる街にやってきて戸惑ったのかもしれない。だが、会うのも2回目となったことで、お互いすぐに心を開いて話ができた。僕は今まで10ヶ月間ずっとこうやってWeb上の友達をリアルの友達に変えて、そして信頼関係を築いてきた。それが最後になる。なんとなく感慨深かった。

それを彼女に話すと、彼女は喜んでくれた。そしてこれからも友達でいようねというようなことをいった。

僕は空港までいかなければならなかった。それもバスの時間がわからかったので早めに彼女と別れてセントロをでなければならなかった。だが、僕は彼女との話が楽しく、続けたかった。僕は彼女に空港まで来てほしいとお願いし、彼女はナチュラルにオーケーしてくれた。

宿に戻り荷物を取り、宿のスタッフに空港行きのバスが出発する場所を聞き、バス停まで歩いた。途中サングラスを買った。これから日差しのきついところへ行く。

以外にも近くにバス停があり、そして以外にもスムーズに空港行きのバスはやってきた。僕らはバスに乗り空港へ向かった。

空港に行き、チェックインを済ませた。黄熱病の予防証明書なしでブラジルに入国できるかが心配だったがドイツ行きの航空券を見せただけでスムーズにいけた。これで後は飛行機に乗るだけになる。

搭乗まで時間があった。僕とアレハンドラは外に出て地べたにあぐらをかきながら彼女の帰りのバスが来るまで話をしていた。これがスペイン語を話す最後の瞬間だと思うとなぜか寂しくなった。だが、寂しい顔は一切見せなかった。彼女は僕のことを色々と聞いてきた。好きな音楽、家族のこと、今までどういう国に行ったのか・・・

僕は話した。これが最後だと思って自分のもてる力のすべてを出し切ってスペイン語を話した。楽しかった。楽しすぎて寂しかった。僕らは笑っている間に時間はどんどんと経過していた。バスがやってきた。

僕は最後に、彼女に握手をしようとした。すると彼女は嫌だといった。彼女は僕にハグをして、ベシートをした。ハグとベシート、男女が、そして女性と女性も、抱きつき、頬と頬をくっつける。ラテンアメリカにおいて僕が学んだことはスペイン語よりもむしろこういうボディランゲッジだった。技術的な言葉も大切だがそれ以上に体で自分の感情を示すことが如何に大事で、如何に楽しいものかということをこの旅で知った。

この行為は僕にとって習慣であり、なおかついつまでも慣れないものだった。日本にはない習慣、だが、日本でも本当に仲のいい人にはこれをやりたいな、と考えていた。



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最後の日にこんな文章をフェイスブックのつぶやきに書いた。

今までありがとうと、そしてこれからも話していこうと、一生スペイン語は忘れないと。そんな感じの文章だった。これを書きながら絶対に一生スペイン語は忘れないと、何もかもが普通どおりにウェブ上ではスペイン語を使っていこうと、決めた。

Manana es el ultimo dia que yo hablo espanol. en este 10 meses. he hablado espanol con muchas personas. y He podido tener muy muy muy muy buena memoria. en este viaje de Latinoamerica que se habla espanol yo nunca puedo olvidar. Gracias a mis amigos de amor. especialmente, mis amigas! jajajaja. Gracias a ustedes, he crecido mis nivel de espanol. ademas, la mas improtante cosas. yo pude disflutar c omunicar con ustedes. Estaba Feliz. Aunque voy a Brasil y otro pais, aun volver a Japon, no voy a olvidar espanol. porque en Facebook o skype, voy a charlar por siempre en mi vida con ustedes. Muchisimas Gracias!! Senores y Senoritas y Vamos a hablar en Internet.. no... porfavor hable conmigo. me alegro que hablar con ustedes. jajajaja.Voy a decir otra vez, Les agladezco mucho,Muchisimas gracias especialmente senoritas para companar y comunicar conmigo. un hombre loco. Nos vemos!!! Ciao!!

ラテンアメリカではブラジルとベリーズとギアナ三国以外はスペイン語を話す。いままでスペイン語圏だけをまわってきたが、この日を境にスペイン語を話すチャンスは極端に少なくなる。寂しいが旅を続ける上ではしょうがない。

だが、中南米以外にも、これから行くであろうユーラシア大陸において、スペイン語を話す国がひとつだけあった。あまりにも当たり前すぎて忘れていた。エジプト・中東が終わったらスペイン語を話すヨーロッパの国へ行こうと決めた。

だが、その前にブラジルのポルトガル語を楽しもうと決めた。遠い未来よりも近い未来。近い未来よりも現在を大切にしようと、、、僕は一人空港に向かった。

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