中南米旅行記
 



~中南米の終わり~

2012年8月。僕はブラジル北部の街サルバドールのラセルバエレベーターである家族を待っていた。

約束の10時になってもこない。焦りながら待っていたが、ラテンアメリカではこれが当たり前なのだということも知っていた。この10ヶ月間で嫌というほど待ち合わせをしてきて、そして沢山のラテンアメリカの人たちと話をして遊んできた。

今日でそれも最後になる。今日をもって僕の中南米の旅は終わる。



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しばらくするとお父さんと娘のカリーネはやってきた。僕はエルサルバドルのメタパンという街で知り合ったソフィアとマルビンにこのメイレ一家を紹介してもらっていた。

僕は前日にメイレ一家にサルバドールを案内してもらい一緒に過ごしていた。お父さんもお母さんもスペイン語は話せなかったが、カリーネはスペイン語を理解していたので何とか話はできた。ポルトガル語とスペイン語は似ているため、お父さんもお母さんも僕の言っていることは理解しているようだった。

お父さんもカリーネも遅れたことに対してごめんとは言わない。何も気にしない。これがラテンアメリカ。いつもこののんびりさ加減に悩まされ、そして楽しまされてきた。

中南米最後の日に彼らと待ち合わせをしていたのは、彼らの家で一緒に昼食を食べる約束をしていたためだった。僕はお父さんとカリーネと一緒にバスで彼らの家に向かった。

バスで一時間ほどすると先進国とは思えない田舎の町へたどり着いた。そこからしばらく歩いたところに彼らの家はあった。静かなところだった。キューバや南米の田舎の街のように馬が普通に歩いている。緑が豊かで町の人はみんな純粋そうだった。

お母さんはコーヒーをいれてくれ、家族と、カリーネの友達のチリ人の女の子とブラジル人の男の子と一緒に昼食をとった。スパゲティにステーキにポテト。美味しかった。やっぱり現地人と一緒に現地のご飯を食べるのはなによりも楽しかった。

ご飯を食べ終わりアイスクリームを食べながら談笑していた。この家族はよく笑い幸せそうだった。こんな自然の中で純粋に暮らしていればこんな風に幸せになるんだろうなと思った。僕はここに数日滞在したかったがもうチケットを持っていた。もう、この日を堺にラテンアメリカと別れなければならない。

僕は最後の日までこの旅のなかでずっとやってきたホームステイというものをすることができた。

この10ヶ月間。僕は人と話すこと、人の家に泊まることをメインにやってきた。人が関わることで多くのことを振り回されてきた。それはほとんどがラテンアメリカ特有ののんびりさ加減と適当さ加減であり、日本人旅行者であり、日本にいる人だった。僕は様々なことに振り回され、自分の思っていた通りの旅をすることはできなかった。

だが、それで良かった。

僕は旅を始めた時から、流されようと決めていた。途中、日本人よりも現地人と絡むという方針だけは決めたものの、具体的には何も決めていなかった。だから、こうやって人に振り回されて、自分の思っていたものと違う旅になったことは僕にとってむしろ理想の旅の形だった。



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出発の時はやってきた。僕はお母さんとチリ人の女の子にラテンアメリカ最後のべシートをして、メイレ一家の家をでた。お父さんとカリーネは空港まで見送りに来てくれた。途中、彼らは大丈夫大丈夫と言ってはいたが、数十分待ってもバスが来ないときは焦った。出発の時間は迫ってくる。僕は最後の最後の最後まで焦り、なんとか空港までたどり着いた。

空港でチェックインカウンターを見つけたとき、すべての別れの瞬間はおとずれた。

またいつでもサルバドールに来いとお父さんは笑いながら言った。昨日あったばかりの日本人にこんなにも親切にしてくれて、こんなにも幸せそうに笑っている彼らをみて、僕は胸がほっこりとした。

僕らは強い強いハグをした。ラテンアメリカで最後の別れ。悲しくはなかった。むしろ嬉しかった。こんなにも素敵な人達と出会えたことが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

この10ヶ月間、このラテンアメリカにいて、高山病や気候的な問題で体調を崩したことも多かった。敢えてほとんど日本人宿に行かなかったことで、日本人と話すことが他のバックパッカーに比べて極端にへり、寂しくなったこともあった。日本人と話さないために旅の情報が少なく高い買い物をしたこともあった。強盗に遭い、すべてを奪い取られ旅続行不可能寸前まで追い込まれたこともあった。ちゃんと旅をしないでスペイン語の勉強も中途半端で、ネットをやる日も多く、何をしているのかよくわからなくなったこともあった。何を手に入れたかなどわからない。

ただ、僕は前回の旅よりほんのちょっとだけ良い人になり、人に幸せを与えられた気がする。

21世紀のはじめ、パソコンという得体のしれない機械に線か電波を通すことで、世界中の誰とでも無料でコミュニケーションを取れるようになった。それはインターネットと呼ばれた。そして一人の怪しい日本人はこのインターネットという不思議な技術を使って奇跡を起こした。

僕は幸せでした。そして今も幸せです。



中南米旅行記 完

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