ペルー、マチュピチュ村とクスコ
 



〜マチュピチュ村とクスコ〜

マチュピチュを見終わった次の日から、村で静かにすごした。マチュピチュ村は数年前はただのペルーの村だっただが、マチュピチュ遺跡のために観光客がどっと訪れるようになり、今では現地人よりもむしろ欧米人や日本人ツーリストの数が多い、観光客のための村となっていた。

マチュピチュ村で特にやることはなかったが、この村は観光地化されているとはいえ、ひなびた村で、どこか癒しがあった。ほとんどの店はツーリストのためのマッサージ店やレストラン、バーになっていて、値段も日本と変わらないくらいに高いものだったが、村にひとつだけあるメルカドでは現地人のためのレストランがあり、そこで150円ほどでお腹いっぱいに定食を食べれた。僕はここで毎日食事をし、特に何もせずに散歩をしてすごした。

この村には温泉があった。プールのような温泉、温かいのか冷たいのかも微妙な生ぬるい温泉に浸かり、疲れを癒した。観光地とはいえ自然に囲まれたこの村では、喧騒を忘れさせてくれ、リラックスできた。

マチュピチュ村

数日後、インカトレインにのり、クスコへ戻った。やはりくる時はビスタドーム号に乗ったらしく帰りの値段は若干安かった。そしてどうやら現在バックパッカー号はなくなったらしく、エクスペディションというものに変わっているようだった。ペルーレイルもインカレイルも大して値段は変わらず、3000円弱だった。

インカレイルから見るアンデスの景色はペルーのアンデスそのものだった。

インカレイルから見るアンデス

クスコに戻ったといっても、以前はクスコから直接マチュピチュ村に戻ったため、ほぼ初めての状態だった。そしてペルーにてウユニ塩湖以来、数ヶ月ぶりに僕は日本人宿に泊まることにした。だが、ペンション八幡という有名な日本人宿は僕を含めて数人しか宿泊客がいなかった。

特に日本人と絡みたかったわけでもなかったが、それでも絡みたかった。ずーっと日本語を話していないことが寂しさにつながってきた。日本人バックパッカーでも好きな人も嫌いな人もいると、ウユニで思った。ずっと日本人宿に泊まる旅は嫌だが、絶対に日本人宿に行かないという意地は捨てていた。

他の世界中にある日本人宿と同じように、このペンション八幡にも日本語の本があり、NHKがはいり、オーナーも日本人で、完全に日本にいる気分にさせてくれた。唯一日本と違うのはネットが異常に遅いというだけだった。この宿で僕は数日過ごした。

このペンション八幡で知り合った日本人、ようたくんとゆかりさんと一緒になった。彼らは短期旅行者だったが、話は面白かった。特に何か実りのある会話をしたわけでもない、だが、やっぱり日本人旅行者と日本語で会話するというのは自分にとって大切なことだと思い始めていた。何事も極端に考える癖を捨てた。

彼らと一緒にペルー名産のクイというねずみを食べ、ビールを飲んだり、マッサージ店にいったり、中南米一と思えるくらいによってくる旅行代理店の客引きや靴磨き、タバコ売りなどと遊び程度に絡んだり、、、と時間はあっというまに過ぎていった。

途中、ゆかりさんがマチュピチュ行きの列車の時間を間違えたり、僕が偽札詐欺にあったりといろんなトラブルはあったが、やはり日本人旅行者との共同生活は楽しかった。現地人と触れ合う方が楽しいとか、日本人同士で触れ合うほうが楽しいとか、そういう二元論的な考えはすでにどうでもよくなった。僕にとってはどちらも楽しいものだった。それでよかった。はじめから難しく考える必要はなかった。

クスコの街は綺麗だった。他のラテンアメリカと同じようにメイン広場があり、カテドラルがあり教会があり、という街自体の構造は変わらないけれど、インカ帝国の首都だった場所なだけあって、教会もカテドラルも他の街とはどこか違っていた。インカ帝国の神殿の上にスペイン風の教会が立っていると地球の歩き方に書いてあったが、そんな知識はどうでもよくなり、僕は一人で丘に登り、座りながら絶景を見ていた。

クスコ

クスコ

ペンション八幡のテラス景色も綺麗だった。だが、クスコは標高が高くこのときは7月の真冬だった。尋常ではないくらいに寒く、当たり前のように暖房器具はなかった。僕らはキッチンでお湯を沸かし、その水蒸気を暖房器具にしながらキッチンにある椅子に座りながらグダグダと話をしていた。どこか懐かしかった、今回の旅では数えるほどしか日本人旅行者と仲良くなっていないが、昔の旅では日本人旅行者との交流が主だった。そのころを思い出した。海外という日本とは違う環境で、不便さに困りながらもみんなで協力して楽しく過ごす。現地人と一緒にいすぎてこの楽しさをしばらく忘れていた。

緑色のお酒も飲んだ。ビールやウイスキーとはまた違う酔い方をするこのお酒を飲むと夜景がいっそう綺麗に見えた。僕とようた君は二人で酔っ払い、そして各々部屋に戻った。僕は好きな音楽を聴き、立体的に聞こえてくる音楽をしばらく楽しんだ。

楽しかった日々はやがて終わりを告げ、僕はずっと約束していた日本人の旅人と約8ヵ月半ぶりの再会を果たすため、夜行バスでアンデスを越えてナスカに向かった。

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