南米旅行記/リマ
 



〜曇天の中の絶望と希望〜

当山ペンションのテレビ放送されているNHKのニュースはオリンピックと熱中症の話題ばかりだった。僕は日本は今、真夏なのだということを知った。日本が真夏と言うことはペルーは真冬になる。リマはクスコやラパスに比べれば暖かいものの、寒く、街は常に曇っていた。

雨は降らないが常に青空が見えないこの街で、強盗にすべてを盗られた僕は買い物をしなければならなかった。パソコンやカメラ・音楽プレイヤーなどの贅沢品は後回し、最初に買わなければならないのはかばん、Tシャツ、パンツ、靴下・シャンプー・石鹸だった。

当山ペンションに泊まっている人たちは普通のバックパッカーのような汚い感じではなく、むしろ短期旅行者・ペルー在住者がほとんどだった。ここにいると自分が場違いのような感覚に陥ったが、宿泊者は全員いい人たちだった。僕が自分の今の境遇を話すと、ご飯を食べさせてくれたり、服を何枚かもらったりした。宿泊客の人たちは僕に対して「頑張ってな!」と言ってくれた。こういう優しさには常に感謝する。

「辛い時ほど人の優しさは身にしみる。自分が情けなく思うときもあるが、それでもその優しさは受け入れていきたい。」僕はこの思いを心の中で反芻した。だが、僕にはそれを心から感じる余裕すらなかった。毎日が絶望状態。すべてを失った状態。自分の境遇・運の悪さを悔いても、それを晴らすことも出来ない。絶望という言葉がこれほど似合う状況は生まれて初めてだった。宿では笑いながら普通に人と接するので精一杯だった。何もかも余裕がない。余裕がないことで負の感情が出てくる自分の未熟さに腹が立った。心の中で楽観的に、そして前向きに物事を捉えても、負の感情が出てくる。常にどこかストレスがたまり、何をしてもリラックスできない。笑い飛ばそうと思っても笑い飛ばせない。楽観的になりながらも悲観的になる。そしてまた楽観的になる。絶望と希望は交互に襲ってきた。

セントロに買い物に行く、セントロは僕がイメージしている南米そのものだった。客引きがうるさく街は汚い、そしてアジアと違うのは中南米はなぜか値段交渉してもほとんど値段が下がらない。僕は四苦八苦しながらも、Tシャツ・靴下・かばん・パンツを旅に必要な分だけ揃えた。

バックパックだけはある程度高いものを買わなければならなかった。バックパックのファスナーが壊れてしまえば中に入っているものを盗まれる恐れがある。セントロにある、ちょっとしたアウトドアショップで国産品の中で一番いいものを買った。6000円くらいだった。

そして鍵類や小銭を入れるポーチ、ボールペン・ノート、、近くのメトロという名前のスーパーで買い物をする。安いものを買うべきなのか、高くても質のいいものを買うべきなのかもわからなくなった。

リマは広い。無駄に広く歩いてどこかに行くことが出来ずにバスを使わなければならない。この広さすら嫌になった。そして道に迷う。もはや夜道をあるくことが怖くてしょうがなかった。タクシーもトラウマになっている。ペルー人の中はいい人もいる、道を聞けば丁寧に教えてくれ、人懐っこく単純に話しかけてくる人も多い。だが、あの強盗にあったことで僕はペルー人が全体的に信用できなくなっていた。人を信用できなくなる自分にも腹が立った。

ようやく服を着替えることができ、シャンプーと石鹸を使ってシャワーを浴びることが出来た。普段当たり前のようにやっている当たり前の行為。これが出来ることがこんなにも気持ちいいもので、こんなにも幸せなことなのだと知った。普段あるべきものがなくなったとき、人は始めてその物に感謝するのかな、とも思った。

この絶望感は誰にも言うことが出来なかった。あのことのトラウマや恐怖で泣き出したかったが誰の前でも泣き出すことなど出来ない。誰も人の不幸話や愚痴などを聞きたくない。大切な人にすら、大切な人だからこそ、僕はごく普通に接した。「辛いときに環境の文句を言った所で何も変わらない。辛いなら環境を変えろ、環境を変えれないなら文句を言うな」と言われる気がした。もし自分が自分に辛いと言われたら、同じことを言うだろう。

「辛いと自分の環境に文句を言えるのは自分に余裕が出てきた証拠だ」と自分で自分を慰めた。だが、これは事実だった。強盗に襲われた直後、僕は辛くなかった。どうすればいいかを考えるのに必死で辛いという感情を持つ暇すらなかった。だが、パスポート・現金を持ち始め、宿にあるパソコンで自分の日記を書くことが出来るようになり、ちょっとづつ余裕が出始めたとき、この絶望さに愕然とし始めた。

だが、「こういうときほど、人としての真価が問われる」と考えると少しだけ楽になった。人は楽なとき、物事が上手くいっているときはそんなに真価は問われない。下り坂は誰でも同じスピードで走れる。むしろスピードを抑えることすらする。上り坂になったとき、どれだけふんばれるか、どれだけ粘れるかがその人の強さになる。僕は今自分を試されている。この絶望的な状況という上り坂で粘ることが人としての強さを身に着けることになる。泣きたい、文句を言いたい、もうやめたい、と思いながらもやめる気は一切なかった。

「やめてしまえば楽になるだろう。でも僕はそれを死ぬまで許せないだろう。帰る帰らないという物理的な問題ではなくて、まだやれるのにやらないということを、それも自分が何よりも好きな海外旅行ということを、妥協することだけはしたくない。」

僕は未来の自分に語られるようにしたかった。何年か後に、この状況を思い出したとき、すべてを奪われて、相当の出費を覚悟で旅を続けたということを、絶望的な状況の中でもたじろぐことなく、むしろそれに耐えたと。未来の自分は今の自分をよくやったと認められるような行為をしたい。それだけは常に頭に描いていた。

だが、言ってしまえば強盗にあったくらいでこんなに弱ってしまう自分も嫌だった。中南米を周るバックパッカーの中には強盗にあっている人などたくさんいる。ナスカで会ったチャリダー達は強盗に会った話をヘラヘラと話していた。もっと強くなりたかった。今、この状態を回復できればもっと強くなれる気がした。もっといい人になれる気がした。

この状況を変えるのは時間しかなかった。トラウマというものは物理的に何かをすれば治るものではないことを知っていた。だが、何をしてもリラックスできなかったが、日記を書いていると不思議と気持ちが楽になっていった。自分への問いかけをすることで、言葉を吐き出すことで、少しだけ、でも確実に、前向きになれた。

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