パラグアイ旅行記



〜田舎の村〜

イタグアのセントロにあるモレールというスーパーマーケットで待っていると僕と同じくらいの年齢の女性とその子供がやってきた。名前はパトリシア、子供の名前はセサル。僕を迎えに来てくれた。

僕はこうすけさんから紹介してもらったトティル一家にアスンシオンから電話し、このスーパーで待ち合わせをしていた。こうすけさんが昔JICAで日本語教師として働いていた時にお世話になった家。彼は事前にメキシコから連絡してくれて、旅行者がパラグアイに行くからという話をしてくれていた。

彼らの車で家に行く。彼らの家は田舎町だった。村と言った方がいいかもしれない。家について一休みする。ここでホームステイするわけだが特にやることがない。とりあえず、家の手伝をすることした。パトリシアが働いている学校で掃除を手伝い、洗物を手伝い、子供たちと遊んだ。この村の風景は田舎そのもの、JICAで来ている人たちはこういうところで活動しているのだろうか?



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数日間、ここで過ごした。
何をするわけでもない、ただ、家の手伝いをして話をする日々は続いた。そして僕はこの間に、シウダーデルエステという国境の街に向かった。ブラジルビザがない状態でこの街に行っても意味がない。なのにわざわざ2000円もかけて、5時間ほどのバスに乗った。5時間という時間があっという間に過ぎるほど、僕は中南米のバスに慣れた。常に10時間以上は当たり前、2日連続で12時間以上の夜行バスに乗ることもある。むしろ10時間くらいだと物足りないという感覚になっていた。こんな感覚になっている自分が意味不明になってきた。

シウダーデルエステに向かったのは、めぐに最後の挨拶をするためだった。彼女はもうすぐアフリカに行く。その前に最後に会っておきたかった。キューバ・メキシコ・ボリビアと再開に再開を重ね、3度目の再開をするためにフェイスブックで連絡を取り合っていた。

変なバス停で降ろされ、とりあえずセントロに向かった。ローカルバスの運転手にセントロに行きたいと告げたが、バスは変な村に向かった。僕はちょっとイライラし、運転手にセントロに行けと言った。また変な所でバスを降ろされ、どうしようもなく、ネットカフェに立ち寄った。

彼女からメッセージが届いていた。セントロから4キロ離れたターミナルの近くの宿にいると書いてあった。日本語が使えないパソコンだからか、すべてローマ字で書いてあって読むのが大変だった。返信すると、偶然にも彼女はネット中で、そのままチャットをすることが出来た。こちらも日本語が使えないのでお互いローマ字という見づらい文字でやりとりをした。「ta-minaru no mannaka no isu no tokoroni irune」と彼女はチャットで言ってきたが真ん中の椅子ってどこだよ?と思った。が、行けば何とかなると思ってそのままターミナルに行くことにした。

よくわからない場所から今度はセントロではなくターミナルに向かう。僕がターミナルの場所を道端の人に尋ねると、道端で出会ったパラグアイ人はターミナル行きのバス停まで連れて行ってくれ、ターミナルまで送ってくれた。はじめは怪しいと思っていたが最後の最後までただただ親切に僕をターミナルまで送ってくれただけだった。

パラグアイ人は親切な人が多い。アスンシオンでも、イタグアでも、そしてシウダーデルエステでも、何の見返りもなく、ただ純粋に道端で偶然出会った外国人に親切にしてくれる。この純粋さは中米に似ている。ボリビアは途上国だがパラグアイよりも都会でその辺の人もシャイだ。パラグアイはもっとフレンドリーで、純粋で、田舎くさい。僕はパラグアイのこの純粋さを絶対に忘れないようにしようと思った。

確かにバスターミナルの真ん中の椅子にめぐはいた。こうして3度目の再開を果たした。

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