南米旅行記/ブエノスアイレス



〜ブエノスアイレス〜

アルゼンチンのバスはどこの国よりも高いだけあって、どこの国のバスよりも快適だった。広くてほぼ水平に倒れるシートに座ることができ、食事がついていて、水飲み放題、デザートにチョコレートまで出てきた。飛行機のファーストクラスのようなもてなしだった。

こんな最高のサービスを受けながらも体調不良で咳き込みながら一夜をバスの中で過ごした。

朝方、ブエノスアイレスに到着した。ブエノスアイレスで一番最初にやることは、医者に行くことだった。パラグアイでダニにさされてから体のかゆみがとまらず、咳き込む毎日、体がフラフラする。僕は人生で海外旅行保険を使ったことはいままで一度もなかったが、初めて使うことにした。本当はパラグアイで使いたかったが、大都市以外で保険を使うと自分で実費を支払い、その後に保険会社に請求しなければならない。それが面倒くさかった。その点、大都市では保険会社の提携病院があり、キャッシュレスで治療を受けることが出来る。

ブエノスアイレスの電話局で日本の保険会社に電話して、キャッシュレスの病院を紹介してもらった。オペレーターから住所を聞き、宿で最寄り駅を聞いて地下鉄に乗り病院に向かった。

ブエノスアイレスは都会だった。高層ビルが並んで、街は近代的。白人がオシャレをして街を歩いている。黒人もメスティーソもほとんどいない。ニューヨークやパリやロンドンと大差ない。素敵な街だ。ここをブラブラと歩き回って写真を取って、、、という観光がしたかったが、もはや体力が持たなかった。僕は一枚も写真を取らなかった。



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病院には日本語の通訳がいたが、通訳の人もあまり日本語をよく理解していなく、ドクターも適当だった。何の問題もないとドクターは言ったが、明らかに僕の体は問題だらけだった。

とりあえず病院で処方箋をもらい、近くの薬局で体のかゆみをとめる石鹸とパウダー、そして鼻水を止める液体と風邪薬の抗生物質をもらった。ただ、明らかにドクターの指示した薬に加えて一つだけ違う薬が紛れ込んでいた。アルゼンチンの医者は適当すぎだった。

何も出来ない。旅中何回体調を壊したことだろう。2回の高山病に2回の風邪。南米に入ってから高度の幅、そして気温の幅が大きすぎてそれに自分の体がついていかない。
こんな自分の体が嫌になった。もっとちゃんとした旅がしたい。自分の体の弱さを思い知ると悔しくなる。

そして宿もついに1000円を超えた。安い宿を探して色々な所に電話したが、シングルで1000円以下の所はなかった。ホステルブッカーズを使うと、ドミで800円から1000円くらいの宿はあったけれど、この体調でドミに泊まる事はできなかった。だんだんと弱くなっていく自分の体を感じた。昔はドミの方がよかった。安いのに加え、旅人とも交流が出来る。その交流は僕はどちらかというと旅人から現地人へと変わり、ドミにとまる理由は安いからという理由だけになっていった。そして安いが、体調不良でうるさかったり他の人が気になったりと、ドミが嫌になっている神経質な自分を感じてきた。僕は長期旅行に向かない人なのだと知った。ネガティブな考え方だけれどもこれは真実だった。

日本で快適な毎日を過ごしたいと思うようになった。体調が崩れれば崩れるほど弱気になる。

でも、今、日本に帰ったら後悔することは確信していた。自分の中で納得したい。何の意地なのかわからないけれど、もうちょっとだけこの生活を続けたい。それに、世界中にまだまだ会いたい人が沢山いる。それがいい出会いであっても悪い出会いであってもどっちでもいい。ただ、海外で色々な外国人と会って話をして生活をするだけでいい。

何にも目に見えるメリットがないことだけれど、これが今僕がなすべき事だということだけは分かっていた。論理的に考えても説明がつかない。でも、論理的に考えれば何のメリットもないこの旅を続けることが一番のメリットになるということ、普通の旅行ともバックパッカーの旅ともスペイン語留学とも違うこの糞みたいに駄目な旅の仕方が、僕にとって一番似合っていて、僕にとって一番心地いい旅だということだけは何故か心の中で確信を持っていた。



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ブエノスアイレスで日本にいる大切な人とスカイプで会話をした。彼女はタイから帰ってきたばかりだった。僕は彼女のスタンスが世界で一番好きで、彼女は世界で一番気の合う人だった。だれよりも彼女と話をしたかった。

日本にいたときと同じように話は永遠に続く。全く変わらない。むしろ話をする時間は長くなった。何について話しているのかもよくわからない。気がついたら5時間、6時間、7時間と時間は経過していた。こんな地球の裏側にいるのに僕らはむしろ日本で同じシェアハウスにいた頃よりも仲良くなっていた。それは恋人でもなく友達でもなく、よくわからない関係だった。

彼女と話すことで元気をもらった。心身共にボロボロだったが元気になれた。感謝している。ありがとう。本当にありがとう。いつかお返しいたします。世界のどこかで再会しよう。



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病院でもらった薬は全然効かなかった。どうにもならずパンとピーナッツクリームだけを食べて、何もしない日々は4日も続いた。不安定な体調のまま、僕はマルデルプラタに向かった。

ラウラさん。ずっと会いに行くと言い続けて1年。時間はかかったが明日、ついに日本語を教えにあなたに会いに行きます。

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