アルゼンチンホームステイ



〜ヨーロッパ〜

ヒモ生活は続いた。

僕は不規則な生活になりながらも、それなりに毎日を楽しんでいた。ラウラさんとの距離は少しだけ遠くなり、近すぎた距離はちょうどよくなっていった。

僕は初日に彼女に1か月分の生活費1000ペソ(約20000円)を支払った。僕はこれを食費だけだと思っていたが、彼女はごく普通にその他ジュース、ランドリー代など必要なものを全部払ってくれた。いつもそうだが、このホスピタリティーに対して感謝してもしきれない切ない感情を持った。

とりあえず家事と彼女との話以外にも何かおもだった事がしたかった。彼女に何かしたいと言っても「何もすることはないわ、ゆっくり休んでここでの生活を楽しんでね」といわれるばかりで何も求めてはこなかった。これは今まで行った国での生活と同じだった。

だが、今回は生活のスタイルをちょっとだけ変えたかった。現地に溶け込んで現地人と同じ生活をすることを一歩超えて何かがしたかった。

僕は日本語を教えることにした。彼女は日本語を2年間独学で勉強していて、今も日本語学校に通っている。ほとんど話すことは出来ないけれど簡単な単語やフレーズなどは理解していた。

僕は持ってきたスペイン語単語帳を使って、逆に日本語の単語集を作った。まさか自分が覚えるために使っていた単語帳を逆に日本語を教えるのに使うとは夢にも思わなかった。

この単語帳には単語と例文が載せてある。
単語、意味、例文、意味、、と順番に並べてワードで作り、プリントアウトした。この資料を彼女に渡すだけで、彼女は大きくリアクションをして喜んでくれた。

この資料をもとに、僕は日本語のレッスンをすることにした。この資料を使って単語を覚えてもらう。例文の文法を解説する。自分が日本語を発音するだけでも勉強になっているようだった。自分がはじめて何かをやれているような気がして、嬉しくなった。



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僕はラウラさんと一緒に海岸沿いをのんびりと散策をした。マルデルプラタは冬の間は閑散としているが、それでも日曜日の海岸沿いには多くの人が訪れて、思い思いに楽しんでいるようだった。

アルゼンチンに対して今までサッカー以外のイメージを持ったことがなかったが、この街はサンフランシスコのような海岸沿いに、カンクンのような豪華なリゾートホテルとカジノが並び、ポルトガルのような要塞があり、アメリカとヨーロッパの港町を混ぜたような不思議な感じだった。

海岸では家族やカップルがのんびりとマテ茶を飲んだり食事をしながらたたずんでいた。歩いているとどこからかマリファナの匂いもしてきた。僕が「マリファナの匂いがする」というと彼女は笑って「そうね」と言った。やっぱりここは南米だ。大西洋の海はカリブ海とは違って力強い青色をしていた。そして道行く人はほぼ全員白人だった。

マルデルプラタ

マルデルプラタ

マルデルプラタ

アルゼンチンはメキシコやボリビアやパラグアイなどの先住民との混血児であるメスティーソの国とは根本的に違う。本国スペインの征服者たちに加えて、20世紀にやってきたイタリア・フランス・ドイツなどのヨーロッパ移民の国。先住民との混血はほとんどなく、人口の95%以上が白人である。キューバやアメリカとも違い、黒人もほとんどいない。完全にここは第二のヨーロッパだった。

それは、新たに彼女の友人の家のフィエスタに招かれたときにも感じた。アルゼンチンは今まで行ってきた南米の国と根本的に雰囲気が違っていた。近代的なマンションで音楽を聞きながら、パンと牛肉でワインを楽しむ。この雰囲気は完全に僕のイメージしているイタリアだった。

アルゼンチンは世界有数の畜産国であり、スーパーでも驚くほど大量の牛肉がありえないくらい安い値段で買えた。ワインは日本の半額以下だった。物価が高いと思っていたアルゼンチンだが、これは移動費と宿代とレストランの料金だけだった。友達の家に住んで、スーパーで買い物して自炊すれば日本よりも断然安く生活できる、これは普通に旅行していたら分からない事実だった。

マルデルプラタ

マルデルプラタ

彼女の友達はみんな僕よりも年上で、そして頭のいい議論好きな人たちだった。ワインを飲みながら学門について語り合っている姿は完全に僕がイメージしているヨーロッパの学生そのものだった。

アルゼンチンの雰囲気は完全にヨーロッパだった。
ありえないほど牛肉とワインが安くて、そしてちょっとだけテンションの高いヨーロッパだった。

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