南米旅行のルート

南米旅行のルート

〜遠回り〜

赤ワインと肉の日々は続いた。僕は毎日のようにワインを飲み、アルゼンチンの日々を過ごした。一夜で1瓶あけるのも当たり前なくらいにワインを飲んだ。人生でここまでワインを飲んだ事はなかった。本当に楽しかった。だが、どんな楽しい日々も常に終わりがある。

「ここにずっといれば楽だろう、頑張ればあと数ヶ月はここにいられるだろう。でも、僕は旅の途中なのだ。現地人にあまりにもよくしてもらいすぎて色々と忘れているが、あくまで長期旅行をしている人なのだ」と気合を入れなおした。

とある事情から、僕はどうしても8月にエジプトに行きたかった。全力でヨーロッパからエジプトに行く航空券を探した。ヨーロッパ最大のLCC、イージージェットがエジプトに就航しているのだが、何故か8月には就航していなかった。僕は他の格安航空券を綿密に調べ上げた。例のようにスカイスキャナーとカヤックとモモンドと、そしてコンドルというドイツのLCCのサイトと、、ありとあらゆる手を使って調べ上げた。

結果、僕は99ユーロでミュンヘンからエジプトに行くチケットと、80ドルでその1ヵ月後にイスラエルからイスタンブールに行くチケットを取った。時期をずらせばもっと安く手に入るのかもしれないが、どうしても8月に行きたかった。

そして、ついに中南米からヨーロッパに行くチケットも買った。ブラジルのサルバドールからドイツのミュンヘン行き、同じドイツならフランクフルトの方が6千円〜7千円くらい安かったが、フランクフルトからミュンヘンまでの列車が数千円位するため、結局結果としては同じになる。そのことを計算に入れて、あえてミュンヘン行きのチケットを取った。

目指すはブラジル北部の街サルバドール。だが、あえて遠回りのルートをとることになった。ここからサルバドールなら、ウルグアイからサンパウロやリオデジャネイロを通っていけば近いが、あえてチリ、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラのルートを通る。僕は一応ブラジルから出国するチケットをペイントで偽造していたが、もうその必要なくなり、自分の正規の航空券とシティバンクの英文残高証明書をプリントアウトした。もう、甘えは許されない。全力でブラジルビザを取りに行かなければならない。

ベネズエラ、、、しかもブラジルに抜けるときは必ず首都カラカスに行かなければならない。カラカスは、グァテマラのグァテマラシティ、ニカラグアのマナグアと並ぶ、中南米屈指の危険地帯である。コロンビアとの国境で警官に賄賂を要求されたり、バス強盗がでたり、カラカスには詐欺がいたり強盗がいたり、、と、いい噂は一つも聞かない。はっきり言って行きたくない。

なんというルーティングの下手さだろう。僕はあまりにも自分のルーティングが下手すぎて時々嫌になっていた。恐らく航空券も普通のバックパッカーよりも高く買っているだろう。そして南半球に行くことを計算して季節が暖かくなるようにしているのに、どちらも寒い季節に行っている。常春と呼ばれる中米に春に行き、常夏と呼ばれる南米北部・中東に夏に行く。もはや冗談でしかない。

出来る限り安く旅をする事は、もはやバックパッカーの義務である。というよりもバックパッカーの文化である。なぜか僕はこの原則だけは常に持っていた。

でも、僕は自分が本当にやりたいことを無視してまで、安く旅をしたくはなかった。通常のバックパッカーのように、ミーハー的に安いルーティングを組めばもっと安く出来るだろう。楽な方法はあるだろう。近道はあるだろう。でも、それは僕の今の旅のやり方にふさわしくなかった。値段が高くなっても、きつい方法をとっても、遠回りになっても、自分が見たいものを見て、会いたい人と会って、好きな人たちのために損をしたかった。

僕は何をするにも器用になれなかった。愚鈍な性格だった。でも、器用になれなかったことで、高い航空券を取って意味不明なルーティングを取ったからこそ、偶然にもウユニの鏡を見れた。そしてこんな性格だからこそ、色んな人が僕によくしてくれた。このラテンアメリカの人たちは僕のこういう真っ直ぐで器用ではない所を気に入ってくれていた。それは日本にいる人も同じだった。

そう思えたときに、一見損をしやすいこの性格に、僕は感謝した。



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別れのときはもうすぐやってくる。ここでの甘えきったふざけた生活から抜け出して、僕は1ヶ月ぶりにまた一人の旅行者に戻る。

果たしてエジプトに無事たどり着けるのだろうか?それ以前に、ブラジル・サルバドールに無事たどり着けるのだろうか?あのベネズエラを無事に抜ける事はできるのだろうか?

不安は募っていた。

あるとき、ふと日本でスペイン語を勉強していたときのノートを見た。そこにはライブモカで連絡を取り合って仲良くなった人たちのチャットでのセリフを書き留めたものがあった。日本にいたとき、僕はこれを音読してスペイン語の勉強をしていた。

そのセリフはすべて、僕がすでに出会った人たちのものだった。あのときのことを思い出した。僕はあの時、ライブモカで知り合った人たちと実際に出会って、ウェブからリアルの友達へと変えていくことを夢見ていた。

当たり前になりすぎて忘れていた。僕はあのとき夢見ていたことを実現して来たのだ。

僕はすでに奇跡を起こしたのだ。

もう、失うものは何もない。後は、最後までこの中南米旅行を楽しんで駆け抜けよう。
僕にはまだ、中南米で見たいものがある。そしてまだ、中南米で会いたい人たちがいる。

エジプトにいけるかはわからない。でも、出来るか出来ないかを不安に思う前に一日一日を精一杯過ごしていこう。もし、出来なかったら、、、それはその時に考えよう。

だが、その前に、まだここでの別れを終えていない。僕は次の展開を考えながらも今、この瞬間を大切にしたかった。



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「いつもいつもよくしてもらった人と別れるのは辛い。何よりも辛い。でも、行かなければならない。でも、最後まで今、この瞬間を楽しもう。最後までワインを飲み続け、肉を食べ続け、自分によくしてもらった人に感謝し続けながら、最後までいつものように過ごし、笑って別れを告げよう。」

僕は酔っ払いながらもこんなことを考えていた。

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