ウユニ塩湖で遭難



〜遭難〜

夜になり、僕は日本人旅行者の人たちと一緒に再びウユニ塩湖へ向かった。

結局日本人は6人集まった。特に僕を誘ってくれたあきおさん。二人で旅をしているさゆりさんとりえさんとは仲良くなった。シェアする人数が増えて料金が安くなったことよりも、一緒に行く人が増えたのが嬉しかった。

あきおさんはもう20回以上のウユニに行っているウユニマスターだった。しかも南米だけで1年以上もいる旅人だった。でも、なぜかものすごい謙虚な人だった。みんなに敬語を使ってみんなを気遣ってくれた。よくわからないけど何かが格好よかった。

夕方ごろに僕らは塩湖に到着した。一緒に行ったある日本人の人はGPSで鏡張りが見える場所を記録して、そこに行くようにボリビア人ドライバーに言った。するとドライバーはそこに行くのは危険だから辞めようと言った。それでも日本人の人は行けという。それもかなり強気に。その間に入ってスペイン語の通訳をするのは嫌だった。

結局、その危険な場所へ行くことになった。その日本人は年配で、かなり気性の荒い感じの人だったため、誰も止めなかった。



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ドライバーの行ったとおり、危険な場所に行くと車は溝に埋まり、動かなくなった。ドライバーは焦りながら怒っている。ある日本人も何故か逆切れしている。ドライバーは途中でどこかに行ってしまった。恐らく応援を求めて塩のホテルに行ったのだろうとみんなで話していた。ただ、これでもしドライバーが戻ってこなかったら、僕らは四方八方塩しかない場所で遭難していることになる。

それでも、何故か僕らは気にせずに、夕日の写真を撮っていた。最悪次の日になれば助けが来ると楽観的に見ていた。

夕日が沈み辺りは暗くなった。太陽が沈むと一気に寒くなってきた。とりあえずどうしようもないので全員で車に入り、おしゃべりをしていた。1時間くらいすると、遠くに車の光のようなものが見えてきた。

何人かの人はその車に助けを求めるため、車の方向へ向かって歩いていった。辺りは暗く何も見えない。僕はここで自分が行ったら確実に帰ってこれなくなることを察知して車の中で待機することにした。

車の中で寒さをしのぎたかったが、助けを求めにいった人たちに自分たちの位置を知らせるために、ライトを照らし続ける必要があった。りえさんとさゆりさんと一緒に車の屋根の上に乗って話をしながら、ライトを照らし続けた。星が綺麗だった。天の川と南十字星が良く見える。が、天の川と南十字星を見るという最高の経験も、尋常じゃない寒さと遭難という経験によってかき消されていた。

約、1時間後、助けを求めに言った人たちは帰ってきた。結局、広すぎて明かりの方までいけず、助けを呼ぶのは無理のようだった。僕らはまた全員で車で待機しながら、そして時々外に出て星空をみながら、どこか楽観的に助けが来るのを待っていた。



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ドライバーは仲間を連れて新しい車に乗って戻ってきた。この時点で夜中の1時くらいだった。そのまま新しい車で帰るのかと思ったが、ドライバー達は溝に埋まった車の救出を始めた。ドライバー達はかなり怒っていた。それに負けずに一人の日本人も怒っていた。僕は何でもいいから怒るのだけはやめてほしいと思った。

僕らはみんなで最初車の救出を手伝っていたが、段々とやることもなくなり、自分がいても意味がないと思って途中で新しい車の中で休んでいた。寒さは限界に来ていた。体が震えて動かない。咳も止まらない。Tシャツにの上にセーターを着て、その上にカーディガンを羽織って、暖かいジャンパーを着てマフラーをしているのに寒い。りえさんは僕にマフラーを貸してくれた。申し訳なかったが、ありがたかった。誰かが持ってきた毛布で体を包んですべてが終わるのを待った。

途中、一人の日本人の人が完璧に切れている声が聞こえた「かかってこいやぁ!こらぁ!」というような声を聞いて、僕は車の中で聞いていないことにした。

途中でさゆりさんとりえさんも新しい車の方にやってきた。とりあえず3人で月と星空を見ながら話をしていた。僕は死にそうだったけど何故か平静を装っていた。

そのままもう一つの車の中で待ち続けた。寒さで死にそうだったけど、日本人旅行者の人たちがいてくれたおかげで、なんとか持ちこたえた。数時間車の中で、話をしながらじっとしていた。結局、新しい車で宿まで帰ることになった。この時点で夜中の3時だった。

みんな果てしない疲労で車の中で何一つ会話はなかった。僕は途中に見えた一面の塩が一切どうでもよくなり、ただただ温かい布団で眠ることだけを考えて宿に着くのを待った。

1時間ほどで宿に着いた。4時をまわっている。僕は宿で毛布を3枚くらいかけてそのまま泥のように眠った。

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