イズミル・エフェス遺跡



中東旅行記

~成熟した国と未来のある国~

ペガサスエアーでイズミルの空港に着いたのは夜中の1時だった。イスタンブールがヨーロッパだとするならば、長い長いこの旅の中でようやくアジアに入ったことになる。

イズミルでは最近知り合ったトルコ人の大学生オメールと会う予定だったが、当然夜中に市内に行くバスはなく、ヨーロッパでの経験を生かし、人気のないところに行って毛布を敷いてバックパックを枕にして眠った。バックパックを枕にして首が痛くなり、あまりよく眠れなかったためバックパックの中から枕をだした。昔飛行機の中から拝借したものだが、もしかしたら使うのは初めてかもしれない。

とりあえず朝になりWIFIカフェから彼に連絡を取った。2時間ほど空港のカフェでチャイを飲みながらゆっくりしていると、オメールはやってきた。

彼は医学部の大学生で大学の寮に住んでいた。ライブモカでつい2週間ほど前に知り合ったばかりだったが、僕がトルコに行くというとイズミルにぜひ来てほしいといわれたのでルートにないにもかかわらず僕は行くことにした。

以前に連絡を取ったときに、僕は彼の大学の寮に泊めてもらえることになっていたため、彼と一緒に大学の寮に向かった。当たり前だが寮には大学生しかいない。みんな若くみえる。

トルコは近代化されていて周りの諸外国に比べて伝統的で厳格なイスラム教徒は少ないが、彼はトルコの中では珍しくかなり厳格なイスラム教徒で、豚を食べないのはもちろん、モスクに礼拝に行き、酒は一切飲まない人だった。

イスタンブールの友人たちと同じように、僕は彼との話を楽しんだ。彼は日本に興味があり、日本の宗教のことを色々と聞いてきた。僕は仏教・神道の概念と、日本の宗教は色々なものが混ざっていると説明すると彼は興味深そうに事細かに聞いてきた。僕は自分の知識の範囲内で様々なことを説明した。

彼の好奇心あふれる目は素敵だった。僕は彼と一緒に数日間過ごし、彼は街を案内してくれた。モスクに行ったり、カフェでペルシャじゅうたんに座りながらトルココーヒーを飲んだり、のんびりと街を散策したり、ギリシャヘレニズム時代の丘に登ったり、イズミルの街を堪能した。イスタンブールに比べてイズミルは静かで落ち着いた街だった。

イズミルはエーゲ海に面した街であり、対岸にはギリシャがある。街はイタリアや南フランスのような地中海沿いにあるヨーロッパの優雅な街並みにそっくりであり、街の見た目だけはヨーロッパのように見える。だが、実際にこの街にいるとここがヨーロッパではないというのがよくわかる。街には教会ではなくモスクとミナレットがそびえていて、アザーンが聞こえる。街中にはヒジャブーをした女性も見かける。

ここはどんなにヨーロッパのように見えてもやはりイスラム教徒の国、トルコだ。

そして街にはトルコ国旗がいたるところにあり、ムスタファケマルの写真もあちこちに飾られている。オスマン帝国崩壊後、近代トルコを作ったトルコの父と呼ばれるムスタファケマルはいまだにトルコ人の尊敬の対象のようだった。オメールは「日本にはムスタファケマルのような建国の父はいないのか?」と聞いてきた。僕は「日本にはエンペラーがいるから、政治家を特別尊敬したりということはないよ」と答えた。

こういうどちらかといえば愛国主義的なところは国境の概念が徐々になくなりつつあるヨーロッパとは対照的だった。

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イズミルはエフェス遺跡というギリシャ・ローマ時代の遺跡の拠点にもなっている。ギリシャ・ローマの遺跡はヨーロッパよりも中東地域に多く点在している。

ヨーロッパ史の最初で日本人が勉強するギリシャヘレニズム期においては、アテネにしてもアレクサンダーのマケドニアにしてもどちらかといえば現在のヨーロッパ地域ではなく、中東地域を領域としていて、ペルシアとの戦争がさかんに行われていた。現在のイランにペルシアという大帝国があり、その東にはインドがある。

また、ローマ帝国の首都は現在のイタリア・ローマであるが、東西分裂後、首都をローマとする西ローマ帝国はすぐに滅びた。そしてコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国はその後も1000年ほど続き、その領域は現在のトルコ・シリア・ヨルダン・イラクなど、イランより西の中東地域である。

日本人がよくイスラム教をイメージしている中東地域こそ、むしろヨーロッパ史およびキリスト教としての歴史は深い。

彼は大学の授業があるためこれなかったが、トルコのミュージアムカードを貸してくれた。これがあれば遺跡は無料になる、はずだったが結局本人しか使えないといわれ入場料25リラを払った。

イズミルからセルチュクまでバスで数時間、セルチュクからバスで20分ほどでエフェス遺跡についた。遺跡内はそんなに広くはなく、2時間もあれば見てまわれたが、僕はなんとなく座ったり歩き回ったりぼーっとしていた。

これまでパルミラ遺跡やバールッベック遺跡・そして本家のローマの遺跡も見てきているせいか、そんなにすごいとは思わなかった。単純に観光というものに好奇心を失っているからかもしれない。そう考えると旅の順番は大事だと思える。もしこの遺跡に初期に来ていたら、おそらく相当興奮するだろう。

やはり遺跡めぐりと言うような観光よりも僕はその地の人と話し、その地の生活を観察するほうが旅として好きになれる。そういう意味で彼と一緒にいるのは本当に楽しかった。また彼はイスタンブールの友人と同じように考えられないくらいにいい人だった。

彼の寮では食事がつくため僕はトルコの大学生に混じりながら一緒に食事を取った。トルコ料理は美味しい。近年の経済成長の中、物価が上がり続けるトルコにおいて僕は毎日ロカンタ(トルコ風食堂)で食事をできるだけのお金がなかった。イスタンブールでは多くの人にご馳走になったためある程度おなかいっぱい食べることはできたが、一人で食事をするときは基本的にケバブだけだった。そのため、ロカンタと同じような食事をおなかいっぱい食べれるというのは本当にありがたかった。

彼と一緒に食事をして屋上でLANケーブルをつなげてネットをする。彼は日本の映画やドラマをいろいろと知っていて、何か日本の映画が見たいといったので僕らはALWAYS3丁目の夕日.64を見ることにした。今までネットで探しても見つからなかったのになぜかあっさりと見つかった。彼はツールを使い映画をローカルにダウンロードした。

僕はやり方を教えてもらい自分のPCでも映画がダウンロードできるようになった。今後海外の人とかかわっていく仕事をするのなら日本のドラマが海外でどうみられているのかというのを知るのは大切なことだと思えた。

2時間半ほどの映画を見て彼は「今のトルコみたいだ」と言った。その言葉は印象的だった。

トルコと日本。アジア最東端の日本が50年前に経験した高度経済成長と言うものをアジア最西端の国トルコが経験しようとしている。

日本からの原発はトルコに売られ、2020年には東京とイスタンブールがオリンピックの候補地としてあがっている。トルコの経済成長はイスタンブールを見ていればよくわかる。1964年、この映画のころの日本と同じように、活気があり、エネルギーにあふれている。

トルコと日本はどこか文化が似ている。ヨーロッパからきたからよくわかる。ヨーロッパと日本は文化がまったく違う。だが、トルコは遠く離れていてもアジアであり日本と似ている。それを肌で感じた。

成熟した国日本と未来のある国トルコは今後どうなっていくのだろうかと、未来のある国の未来のある若者と一緒に過ごしたエーゲ海に面した静かな街でふと思いにふけった。

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