フランスとイタリア国境(サンレモ・ニース・ヴェンティミリア)





~クレイジーでロックで日本好きな女の子~

ジェノバは早朝についた。列車の中にいた隣の乗客が起こしてくれ、僕は寝ぼけた頭でホームに出た。

外が暗い。時計を見ると朝6時だった。ヨーロッパでは朝6時でもまだ真夜中のように暗かった。駅にWIFIがなかったので僕は近くのホテルでWIFIを使わせてもらって彼女に連絡した。

「今日、サンレモに着くけど会える?」
「マジで!うれしい!分かった!楽しみにしてるね!」

彼女はなぜか朝早く起きていて僕のメッセージをすぐに返してきた。僕はこの日にフランスのニースに行く予定だったが、サンレモというイタリアとフランスの国境の街に一泊することにした。

・・サンレモには安宿がなかった。僕はローマにいたとき彼女とチャットで話しながら、何度もサンレモや近くのヴェンティミリアの安宿を探したが全く見つからなかった。そこで安宿のあるニースまで行って、そこを拠点にして彼女と会うためにサンレモかヴェンティミリアに通おうと思っていたが、 ネットで偶然サンレモに30ユーロのホテルを見つけた。一泊30ユーロは僕にとって相当高い値段ではあったが、一泊だけ普通のシングルに泊まって次の日にニースに移動することにして、僕はこの宿を予約した。

僕と彼女は夕方にサンレモの駅で待ち合わせをする約束をした。ネットのメッセージからも彼女のテンションの高さは伝わってきた。

・・ファニー。僕はこの娘とは長い付き合いだった。彼女とはライブモカで知り合った。僕が日本でスペイン語を勉強していたとき、ほぼはじめてのスペイン語を話す友達だった。ライブモカを使い始めたころ、僕は南米に行くことが確定していなかったからかヨーロッパの友達を作っていた。

そして偶然彼女とチャットをすることになり、僕らは気がついたら仲がよくなっていた。彼女は南米ベネズエラ出身だが、家庭の事情でイタリアに来ていた。なので当然母国語はスペイン語になり、イタリア人だがスペイン語を話すという不思議な感じになっていた。

僕は日本にいたころ彼女にスペイン語の文章を添削してもらったり、スカイプで話したりしていた。僕は彼女の家庭の事情での悩みを聞いたり、旅の資金をためるのに苦労していた時に悩みを聞いてもらったりしていた。

彼女はロック好き、ギター好き、よく笑って、よく悩む、青春を絵に描いたような人間だった。そして彼女はモデル並みにスタイルがよく顔立ちが異常に綺麗だった。僕は彼女の写真をフェイスブックで見て、驚いていた。僕と彼女との会話は日本にいたころずっと続いていた。

だが、段々と僕の頭は南米にシフトしていった。南米を長期で旅行するとなったとき、僕はいつ行くとも分からないヨーロッパの友達よりも、南米の友達とのコミュニケーションを優先させていった。また、南米とヨーロッパの時差の関係もあり、彼女の事情もあり、話すこともチャットすることも少なくなっていった。

南米が終わり、エジプトかイスラエルあたりから、僕はまた彼女と頻繁に連絡を取るようになった。時差が同じになったのが理由だった。僕らはまた同じようにチャットでふざけあい、悩みを言いあうようになった。

知り合って1年9ヶ月。ようやく彼女と会える。そう思えると胸がわくわくした。



気がついたら9時くらいになっていた。僕は12時52分発の列車のチケットを取り、駅の荷物預かり所に荷物を預け、ジェノバの街を歩いた。海の都の物語で「宿敵ジェノバ」と言われるように、ジェノバはかつてヴェネチアと覇権を争った海上帝国だった。だが、今はそんな物々しい感じは一切せず、綺麗な港とナポリのような趣のある路地裏がある、イタリアの一つの地方都市という感じだった。街は静かで、気品があって、良くも悪くもヨーロッパだった。

ローマもナポリもヨーロッパの中ではかなり特殊な部類に入る。僕はジェノバに来てようやく所謂ヨーロッパに入ったのだと実感した。

時間はあっという間に過ぎ、サンレモ行きの列車に乗った。サンレモまで2時間半ほどかかるようだったので、前日夜行列車であまりよく眠れなかったこともあって眠った。だが、何故か途中でおきてしまった。そのままリグリア海岸を見ていた。この海岸がずっとフランスにスペインにと続いていく。それは僕にとってロマンでしかなかった。イタリア・フランス・スペインの海岸、自分には似ても似つかないような場所にもかかわらず、この日本人が憧れる場所に自分がいるということが嬉しくてしょうがなかった。

リグリア海

海を見ているうちに列車はサンレモに着いた。サンレモの駅は大きくて近代化していた。僕は入り口に向かった。僕は1年9ヶ月前に知り合った友達、あの時、ネットで知り合った外国人と実際に会うということが不思議だと思っていた。だが、南米を経てそれは普通のことになった。それでも、それでも僕にとって彼女と会うことは不思議であり、嬉しいものだった。

僕が入り口に向かう途中に、彼女はいた。髪を短く切って男の子みたいで、革ジャンを着て全身真っ黒のロックバンドのボーカルのような彼女は僕を見つけて手を振った。僕は彼女とハグをしてベシートをした。ようやく、ようやく会えた。1年9ヶ月目にしてようやく会えた。

僕とファニーは予約したホテルに向かい、彼女はいつの間にかカップラーメンと日本のビールを買ってきていた。僕はカップラーメンを食べ、ビールを飲んだ。彼女は僕にプレゼントをくれた。彼女の手編みのマフラーだった。僕は大きな声でありがとうと言った。彼女は笑っていた。僕と彼女は部屋の中でふざけあってグダグダとおしゃべりをした。だが、僕は体力の限界が来て、ビール一缶で酔っ払い、完全に頭がおかしくなった。

彼女は日本が大好きで、日本人と会えたのが嬉しくてしょうがないようだった。何度も何度も僕の名前を呼び、ふざけた仕草をしてきた。彼女は僕が思っていたよりも子供だった。またクレイジーだった。それはまるで甲本ヒロトのような感じだった。

僕は彼女と死ぬほど会いたかったにもかかわらず彼女と一緒にいるのに疲れた。眠気も限界に来ていた。だが、僕は彼女が帰るまで一緒にずっと話をしていた。

彼女が帰った後僕は泥のように眠った。次の日、約束した11時に部屋をノックする音がして僕はドアを開けた。ファニーは相変わらずのハイテンションで僕に挨拶をした。僕はシャワーを浴び、荷物をまとめてニースに向かおうとしていたが、彼女の友達の家に荷物をおかせてもらうことが出来たため、近くのイタリアの街に行き、友達の家に荷物を置かせてもらい、彼女と彼女の友達と一緒にリグリア海を歩いていた。もう秋も深まってきているがイタリアの海岸沿いは暖かく、泳ぐことすら出来た。僕は着替えもタオルもないまま、リグリア海を泳いだ。

いつの間にか日は暮れて、彼女の友達と別れ、僕はファニーと一緒にフランス国境の街ヴェンティミリアまで来た。ここで僕らは数十分散歩をし、じゃれあっていた。本当に子供のようだった。僕も合わせて子供のようになっていたが、彼女は完全に子供だった。僕はここまで純粋で子供らしい20を超えた大人を見たことがなかった。

夜になり僕はニースに向かった。ここでファニーと別れ、次の日から、ニースを拠点としてファニーと会うことになる。僕がサンレモに行くか、ファニーがニースに来るか、またはその間のヴェンティミリアかマントンで会うか、、、、どこで会うかは分からないがいずれにしても僕は安宿のないサンレモやヴェンティミリアにいるわけには行かない。

ヴェンティミリアからニースへの切符は8ユーロもしなかった。フランス。ここからは未知の経験になる。

僕は今までの人生でイタリアとドイツより西に行ったことがなかった。それは若いころにヨーロッパを旅行して「ここでフランスとイギリスに行ったら人生の中で旅が終わりになってしまいそうな気がする」という理由からだった。「いつかフランスとイギリスとスペイン、、、イタリアより西に行きたい」と思っていた。ようやくその夢が叶いそうだった。

ようやくフランスに入れる。僕の頭にフランス国歌ラ・マルセイエーズが流れ出した。

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